はちみつ太郎 作
| １０４ 立川夫妻と書かれた研究対象物のホルダーには、年表のような夫婦の記録と、神足組などから押収された悟の動画が記録されている。松山に依頼し内々で届けられた記憶媒体。警察の押収記録には残されていない物だった。 押収記録のないデータから紐解かれる犯罪事実はなく、笙子が証言台に立たされることもない。事件は、別の次元で解決していたのだった。 向山は、松山を呼び出していた。事件の顛末を聞く名目だが、話の中身はそれとは違っていた。手を叩いて喜ぶとは言えないまでも、はっきりとした承諾の印は下半身をみればわかる。 「旦那のほうも、了承してのことで？」 「えぇ・・・夕方、夫婦ともに了承したわよ。・・・一筆欲しい？」 「ま、まぁ、面倒にならんようにするには、そうしたほうがいいんでしょうが、不法行為の契約書なんか何の意味もないですし。」 「そうよねぇ、だから、確かめればいいの。・・・女の真意を・・・。」 「大丈夫なんですよね。」 「えぇ、お墨付きよ。・・・あれだけのことをされてきた女よ、普通のエッチで満足できるわけないし、それが心身にも及ぼすことのほうが重大ね。」 「そういうもんですか。」 「警察としても、性犯罪被害者の心理を勉強するにもいいんじゃない。・・・嫌い？タイプじゃない？笙子さん。」 「・・・。」 「河さんから聞いてるわ。・・・踏み込むタイミング、ずらしたんでしょ・・・奥さんの往かされるところ熱中してて。」 「探偵さん。そんなことを。」 「うん。・・・決まりよね。電話番号は知ってるでしょ。・・・ま、アプローチはこっちから投げてみる。最初だから上手くいくか、・・・旦那さんにも松山さんのことを。」 「それ、しなきゃ、だめですか。」 「職業は伏せておく。・・・私の信頼できる男とだけにね。」 「お願いします。」 松山は、下腹部の位置を直すように立ち上がり向山に一礼をして部屋を出た。最初のアプローチは、昇にだった。履歴を偽り、松山を消防署勤務の消防士と偽っている。 ある程度の想像をつけさせていくと、年齢、職歴に納得したのか、その線で進めることを了承していた。２段階のアプローチは、笙子にだが、それは時間を見て松山からさせる算段にしていた。 数日がたち、笙子は昇から聞かされた内容を咀嚼している。 「うん。本当に・・・いいの昇さん。」 「あぁ、・・・徐々に・・・変わればいいんだし、いや、元に戻ればいいんだし・・・笙子も大丈夫か？」 「恥ずかしいけど・・・大丈夫。・・・次の土曜日だよね。」 「あぁ、笙子に連絡がいくらしい。・・・先生からその男性には連絡先を教えてるから、知らない番号からの電話でもでてくれって。」 「あ、そうなんだ。・・・うん、・・・昇さんも一緒に来るの？」 「い、いや、・・・先生の言うとおりにする。家で待ってるから。」 「いい人だよね。・・・向山先生のお知り合いなら・・・。」 「あぁ、・・・じゃないと・・・困るよ。」 昇と笙子は、久しぶりにお互いの昂ぶりを感じつつある。まだ、今までどおりではないが、幾分笙子のほうがその感じは大きいように見える。ベッドの中で、手をつなぎ、寄り添うように昇の胸板をさする。反応したい昇は、下腹部に手を具えたが、したい反応とは程遠く、笙子にキスだけすると、わかってくれと目で訴えた。 笙子もそれを感じ取り、つないだ手をぎゅっと握るだけにして目を閉じ、夢の中に落ちていった。 指の絡まりは朝には解けている。笙子と昇の心のわだかまりまでは解けてはいないが、正転ではなく逆転し始めた歯車の歩みは一歩進んでしまっていた。 「こんばんわ・・・え、・・あ。」 「こんばんは・・・松山です。」 数ヶ月前にさかのぼった記憶の隙間にあるその顔は、大きく変わることなく、その時の安堵を呼び込んでいる。食事のテーブルに着いた笙子は、カフェ店員の声に反応した。 「あ、・・・何か、頼みました？」 先に着いていた松山は、注文済みであることを告げる。コース料理であることを告げると飲み物だけのオーダーを店員は聞いた。 「あ、じゃぁ・・・ウーロン茶で。」 オーダーを繰り返すことなくおしぼりだけをおくと、目線隠しの格子の向こうに消えていく。松山は、会話の糸口を触れてはいけない事象を省き笙子に語りかける。 「びっくりしましたよね。」 「あ、はい。・・・まさか、・・・あ、どうしてですか？」 「私も・・・先生の患者なんです。・・・治していただいたというか。」 「そうなんですか。・・・治るものなんですね。」 「はい、根気が要りましたけど・・・なんとか・・・子を授かりましてね。」 「そうなんですか、・・・え、じゃ、こんなこと・・・。」 「あ、こんなことですよね。・・・でも、まだ治療の一環でして。」 「一環？」 「はい、完治ではないんです・・・まだ、これからも起こりうる、というか・・・怖いんですよね、職業柄。」 「強面な感じで、・・・あ、ごめんなさい。なんていうか・・・貫禄があるっていうか。」 「フォローになってないですよ。」 「そうですね・・・ハハハ。」 「私は、笙子さんのこと先生から聞いています。・・・なので、私のほうから・・・。」 松山は、名刺を取り出すと、テーブル越しに笙子に近づけた。笙子はそれを取り上げると、裏と表をまじまじと見つめ問いかける。 「松山さん。・・・お若いですよね・・・私より少し上？・・・。」 「笙子さんは、２８くらい？」 「はい。・・・２８です。松山さんって？」 「いくつに見えますか？・・・あ、なんか、合コン臭いですね。・・・３７です。」 「え、若いです・・・もっと近いかと思って・・・でも、警部さんって結構、上の。」 「しー、役職で言われると・・・ごめんなさい。」 「あ、ごめんなさい。・・・つい、そうですよねぇ。」 「銭形って言ってください・・・それ、隠語なんで。」 「とっつあんの方が良くないですか？」 松山と笙子は、雪が解けるように心を通わせている。コース料理の前菜が出てくるまでの間、時間の感覚を忘れてしまっていた。 スープが出、魚料理が出た頃には笙子は、過去の事件のさわりも聞きいることが出来た。警察としての顛末や、組織の壊滅に力を注ぐ自らの部署の役割も伝え聞くことも出来た。 「本当に・・・ありがとうございました。」 「お礼を言われることなんて何も・・・ただ、これだけは知っていてください。・・・僕らを動かしてくれたのは、紛れもなく旦那さんであり、そのことに気がついた向山先生なんですから。」 「昇さんが？」 「えぇ、旦那さんの会話の中から向山先生が察したんです。それで、笙子さんに探偵を張り付かせた。・・・ここは、内緒にしておけといわれたんですが・・・。」 「そうなんですか・・・でも、・・・。」 「私も伝えておいたほうがいいと・・・こういう機会がなければ、黙っていたのですが。」 「教えてください・・・その方が、すっきりします。」 「はい、笙子さんのことが心配で、探偵を張り付かせ、・・・探偵社では手に負えないと判断されたんです。・・・そして、私どもに協力を仰がれた。」 「そうなんですね。」 「えぇ・・・それで、今日に。」 「今日、ですよね。」 「笙子さん・・私は、食事だけでもかまいません。・・・先生にもそう伝えています。表に出ない被害者の方のケアも仕事のうちですから。」 「・・・。食べましょ・・・お魚、冷めちゃいますし。」 フォークを取り出した笙子は、松山から視線を逸らし小骨を取り分けている。デザートが出終わり、会計の伝票が渡された頃、笙子の意はまだ霧の中にあった。 |
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| 2014.8.30掲載 |
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