保育士だった人妻

保育士だった人妻

はちみつ太郎作

５４

　４月１日。ひかり保育園へ初出勤の朝、田山に言われた赤ちゃんを授かる日だが、昇の姿はなかった。３交代の夜勤側にまわされた昇は、笙子とすれ違いの生活に入っている。２０時に出勤した昇は、午前６時に自宅に戻る。

　業務的な引継ぎを笙子と交わすと、体を交わらせることなく軽いキスだけでシャワーを浴び、寝床に入った。

　４パターンある勤務体系のうちの一つを割り振られた笙子は、３歳児担任を任されている。「こじかくみ」と木で作られた看板が入り口にぶら下がっている。

　副担任の川下良子は年齢が３０後半で、人当たりのいい感じがする保育士だった。色々な打ち合わせをしながら、子供達を迎える。

　時間的に皆が揃ったのは９時を過ぎた頃だろう。これは市立の時とさほど変わりなかった。お遊戯、おやつ。給食、お昼寝、おやつ。

　なんら変わりのない仕事に安心と戸惑いがある。笙子は「これで、あの給料？」と疑問だけが午後５時頃の帰宅前によぎった。

　笙子が帰宅の準備のため更衣室に向かう。更衣室は３箇所設けられている。シフトによって更衣室は違うが１歳児クラスの保育士補助の春村花梨（２３）が、笙子とは別の更衣室に消える。

　どこか、周りを気にしながら鍵を掛けた。男性保育士は、５歳児のクラスに一人いるだけだ。気にするようなこともないはずだが、春村は警戒心が異常だった。

　電気がつくこともなく人の気配も薄い。笙子は気になると、ノックをし応答を待った。鍵はかかったままで応答はない。

　確かに入ったことは確認している。気になるがそれ以上のことは、深入りせずに自分の身支度を整えた。

　玄関付近で靴を取ると、園長である野河安に声を掛けられ園長室に招かれる。椅子に座った安は、笙子をたたせたまま、園の雰囲気と仕事内容を質問する。

「どうでした、一日。」

「えぇ、緊張はしましたが、大きな変わりはないので安心しました。・・・シフトは、時間的にも楽ですが、ほんとにいいのですか？」

「えぇ、慣れてきたら副園長と相談して、変わるかもしれませんが。」

「はい、その時は。」
　安はパソコンの画面と笙子を見比べながら、会話の途絶えた空気を変えることが出来ず、笙子からの言葉を待っている。

「じゃ、失礼させていただきます。」

「あ、はい、ご苦労様でした。」
　安は笙子のヒップラインとパソコン画面にアップされている赤いドーナツ座布団をシンクロさせながら鼻をゆがませ笑みを潰した。

　駐車場に一台の車が止まる。そこから降りた男は、園の迎えでごったがえす玄関には立ち寄らず、園庭を通り、機械室と呼ばれるボイラーなどが収められているところに行った。鍵を取り出すと辺りを気にし、中に入り込む。

　業者の点検と踏んだ笙子は、特に気にすることなくアクセルを踏む。門のところで強引な割り込みをする一台の高級車にクラクションを鳴らされた。

　気分の悪くなる鳴らされ方だが、保護者であろうことに気がつき道を譲る。チャイルドシートにも載っていない男の子が助手席で飛び跳ねている。

　笙子の受け持ち、こじか組の東山竜神だった。初日から手を焼かされた笙子だが、２、３歳児特有の気性に怒りが湧くこともない。が、竜神の父の振る舞いが子にも影響していることは運転でも感じ取れた。

「お父さんが、あれかぁ。」

　笙子は、気にはしたものの立ち入る場ではないと感じる。東山の黒い高級車が視界から消えると、笙子は反対方向へ帰宅していった。

「おい、竜神、新しい先生どうだ？」

「うん！きれいだよ。・・・うんと、うんと、・・・しょう・・こ、せんせ。」

「そうかぁ・・・やさしいか？」

「うん！・・・ダンス・・・した。うさぎさんになって、・・・ぴょんぴょんって。」

「おっぱい揺れてたか？」

「うーん・・・わかんない？・・・おかあさん、おっぱい揺れる？」

「あぁ、お腹がおおきいからな・・・笙子先生も、お腹が大きくなったらゆれるかもなぁ。」

「赤ちゃんが出来るの？・・・しょう、こせんせも。」

「あぁ、いずれ、出来るだろうなぁ。」
　東山は竜神を乗せた車を自宅へと進ませることなく、笙子の行き先をかんぐるように跡をつけている。　
　夕飯の買出し、レンタルビデオへの返却、セルフスタンドでの給油。一般的な通勤活動を東山は、退屈に感じながら間を空けている。

　竜神は、車内に流されているキッズアニメを貪るように見つめていた。帰ろうと言われると、違うキャプチャーに変え、時間を稼いでいる。

　笙子が自宅に車を入れるのを確認すると、業務を終えたように事務所の方向に車を向けた。

　竜神は、母の実家に預けられた。身重の妻が竜神を預かると、夫である典秀には興味を持たないように小言だけを告げた。

「家、掃除してる？」

「あぁ、してる。」

「どこで、ご飯にするの？」

「えー、決まってない。」

「若い子等といくん？」

「そうするかな。」

「家で食べていけば？」

「辞めとくは、・・・ばぁさんにまで小言言われたくねぇし。」

「それが、だめなんだと思うけど。」

「うるせぇよ・・・また、朝迎えに来るわ。」

「・・・。」
　妻は玄関を軽く締める。典秀が車に乗り込むまで見送ることはなかった。典秀が向かった先は、自宅ではなく再び戻った暗闇の中のひかり保育園だった。

　笙子は帰宅後、郵便受けにある大きめの封書を取り出した。『田山レディースクリニック　検診結果在中』と記された封書の中には検査結果を知らせる書類が入っている。

「問題なし、問題なし、問題なし、問題なし。」

「なに？それ。」

「あぁ、これ、新しい保育園の全額負担で婦人科検診受けた結果。」

「で？」

「うん、全部問題なしだった。」

「全部って、どんなの？」

「え、乳がん、子宮ガン・・・子宮頸がん、子宮筋腫とか。」

「よかったね・・・って、・・・オマタ、パカッてしたのか？」

「うん・・・したよ。」

「女の先生？」

「妬いてる？」

「男なんだぁ・・・若いの？」

「同じくらいかなぁ、昇さんと。」

「そうかぁ・・・指とか、器具とか？」

「そりゃ、まぁ、ねぇ。・・・でも、仕事でしょ向こうも。毎日見てるんだから、気にしてないって。」

「いや、こっちが気にするでしょ。」

「でも、赤ちゃん出来たら、絶対、しなきゃいけないじゃん・・・診察とか。」

「女の先生を探そうよ。」

「えぇ、少ないよ、絶対数が。」

「そうかなぁ・・・でも、笙子の、ここ・・・・触られたんだろ、見られたり、・・・だよなぁ。俺だけの物じゃなくなったみたいで・・・。」

「今日・・・する？・・・ここの先生が言ってた・・・４月１日が・・・赤ちゃん出来やすい日だって。」

「そんなことも！セクハラじゃね？・・・ますます、女の先生を探したくなるなぁ。」

「まぁまぁ、妬かない妬かない。」
　笙子はにじり寄るように昇に近づくが、当の昇は及び腰で、出勤の準備をし始めた。

「しない？」

「うん、・・・もう２０時前だし・・・行って来るよ。」

「うん、いってらっしゃい。」
　笙子は昇の唇を軽く吸い、少し膨らんだデニムの股間をふた撫で繰り返すと、玄関から消える昇を見送った。

　一人になった笙子は、検診結果を見ながら田山に触診された時を思い出し、ジャージの上から熱量を感じる股間を撫でさすってしまう。

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2014.5.3掲載

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