| １０ せめて、最初だけは好きな人と いよいよ夜を迎え、ヒカリは複雑な心境でいた。忍に聞いた話だと、聖は『かくれんぼ』の呼び声を聞いた、という。 そしてそれは、自身も聞いているのである。 （ひょっとしたら、あのとき、わたしも同じ目に遭っていたのかもしれない…） そして、もしかするとその危機を救ったのは、自分の横に居る幼い少女かもしれないのだ。 緊張した面持ちのヒカリと同じく、巴のほうもまた緊張しきっていた。ただし、ヒカリの緊張とはやや違った緊張である。 年端も行かぬノンがいるとはいえ、一つ屋根の下どころか同じ部屋で就寝することになるとは思っていなかったのだ。 （…ともあれ、道路が復旧すれば、最悪車で逃げてしまえばいい…叔父さんたちもそう言っていた。 それまでヒカリちゃんを守るのは…この、俺だ…！） 人知れず気合を入れる巴だが、ヒカリはそれをまったく気にせず、物思いに耽っていた。 やがてヒカリが口を開く。 「巴さん」 「は、はいっ！？」 いきなり声をかけられて驚いた巴が頓狂な声を上げた。ノンのほうはいつの間にかヒカリのベッドで眠ってしまっている。 巴の反応を見たヒカリは、思わず吹き出してしまった。 「ふふっ、どうしたんですか？そんなに慌てて」 （やっぱり、お嬢様だなぁ）、と巴は思う。こんな状況でも不安な様子を前に出そうとはしないし、素振りも上品そのものである。 「…もうそろそろ、休みましょうか」 二人ともすでに入浴を済ませ（もちろん混浴ではない）寝巻き姿である。図らずもヒカリのピンクのパジャマ姿を見ることになった巴は、先ほどから（不謹慎ながらも）胸の鼓動を抑えられずにいる。 （しかし…ヒカリちゃんのほうは大丈夫なのかなぁ。まったく無害な男だと思われてるのかな俺） それはそれでちょっと問題がある気がする。 生返事をしてから電灯を消してベッドに潜りこむ。 （今夜は何も起こらなければいいが…って、あれ？今、『巴さん』って言ったよな。 ちょっと前まで『甲賀さん』だったような…？） 『はぁっ、はぁっ…』 ヒカリは、どこかの建物の中を走っていた。窓の外は暗い。いや、窓の外だけではなく、足元すらよく見えない闇だった。 （…これは…？ここは一体…？） 疲れきった体と心に鞭を打って、それでも少しでも遠くへ…遠くへと行かなければ…。 『もういいか〜い…』 これは大人の男の声だった。 （…床…ここは廊下？わたしはどこへ向かって走っていて、誰から逃げているのですか！？） 背後からは電灯の光が迫っている。懐中電灯だろう。暗い中、ヒカリを追い回しているのだ。 『…早く、あの子たちから引き離して…できるだけ、遠くへ逃げて…』 …そう思っていたのに、ヒカリは足元に転がっていた何かに脚を引っ掛け、床にひっくり返っていた。 背中や頭を打ちつけた激痛に耐え、なんとか起き上がろうとするが、もうすぐそこに光が迫っていた。 『…見つけた』 『男』がニヤリとした。直後、仰向けに起き上がろうとしていたヒカリの上に覆いかぶさった。 『い、嫌っ！もうやめて！もう…わたしを許して！』 今まで何度『あの子達』の傍で…壁一枚隔てたあの場所で、この男に嬲られたことだろうか。 （…は、裸！？わたし、裸で走っていたのですか！？） そこで初めてヒカリは、自分が裸で走っていたことを知った。しかし、よく見ると…。 （これは…わたしの体じゃない…） 明らかに体型が違う。自分よりももっと幼い。胸が小さいとかではなく『幼い』のだ。 『さぁ、捕まえた』 男は言葉に構わず、裸のヒカリを…貫いた。 「いやああぁぁっ！！」 「うわあぁっ！？」 ヒカリが、普段からは考えられないほどの勢いでベッドから跳ね起きたのと、その声に驚いた巴が跳ね起きてベッドから落ちるのはほぼ同時だった。 「いてて…ヒカリちゃん、どうしたの！？何があったの！？ろ、狼藉者か！？」 言うことが古臭いのは仇名がニンジャだからなのだろうか。 「はーっ、はーっ…と、巴さん…。い、今のは…夢…？夢…ですか…？」 顔も体も汗にまみれている。暑いからではない。冷や汗だ。目には涙も溜まっている。 「…ゆ、夢…？今のは…」 不安と恐怖に包まれたヒカリがやっと現実を見据え、そして落ち着きを取り戻したのは、向こうのベッドで慌てふためいている巴の様と、そして自分の隣で小さく寝息を立てているノンの姿を見てからだった。 直後、ドアが強く叩かれた。 『ヒカリちゃん！何があった！？』 声は八重樫のものである。おそらく寝付けずに起きていたところにさっきの悲鳴を聞いたようだ。。どうやら忍もいるらしい。 「な、なんでもありません。夢を…見ただけです！」 なんとなく気恥ずかしくなってしまい、思わず声が強くなる。 「…夢？」 巴がそう聞き返す。 『なんだ、巴もちゃんと起きてるんじゃないか！ちゃんと守ってやりなよ！』 今度は忍の声だ。…が、相手が夢ではどうしようもない。 （こうなったら、俺が寝ずの番だ） 八重樫と忍が自室に戻ったあと、珍しく不安をあらわにしているヒカリを見て、巴はそう考えた。 正直、もし現れたのが幽霊だったら、何か手立てがあるのだろうか？十字架も数珠も線香ですら持ち合わせてはいない。 （さっきの夢…、あれは一体…？） 巴が見守るなか、ヒカリはぼんやりと先ほどの夢について考えていた。 もちろんヒカリには、あんな夢で起こったような出来事を経験したことはない。 あの夢では、『追われていた』、『誰かの身を案じていた』、『逃げていた自分は追ってきた男に何度も凌辱された』ということが伺えた。 そしてもうひとつ、『どこかの建物の中だった』ということを、ヒカリは鮮明に覚えている。 （あれは、廃墟…？山荘ともこのペンションとも違う、廊下のような場所だった…。 ひょっとしたら、先ほどの夢でわたしは、『誰かの体験をそのままそっくり体験した』のかもしれない…？ でも、何故わたしが…？） 「あ、あの、もう大丈夫なので眠っていただいても…」 はっ、として顔を上げると巴が大あくびをしている最中だった。 「…え？あ、あぁいや、これは特に眠いわけじゃなくて」 はっ、としたのは巴も同じである。 「…巴さん」 神妙な顔で言われ、巴のほうはやはりあわててしまっている。 「ん？」 「…ここに来る前に話をしていた、山荘から奥に入った場所にある建物のこと、覚えてますか？」 あの夢を見たヒカリは、なんとなくそのことを思い浮かべていた。 「…あぁ、確か『離れ』って呼ばれていて、幽霊の噂が絶えないっていう？」 「はい。…確証はありませんが、わたしが声を聞いた幽霊は…その『離れ』に関係しているような気がして仕方がないんです」 不思議そうな顔をする巴に、ヒカリは先ほどの夢の内容を話すかどうか迷った。 内容が内容だからである。 仕方なく、ヒカリは夢の内容を『かいつまんで』話すことにした。『壁一枚隔てたところで何度も犯された』とかそういう話は抜いて、である。 「…人気のない場所の廊下で、男に追いかけられる夢、か…。しかも、その夢の中では、男が『かくれんぼ』の呼び方をして、さらに子供達がいることも示唆されていた…」 このペンションにも廊下はあるが、学校や役所の類とは材質が違うように思えるし、なによりも、このペンションは建て替えられたばかりである。さらには失踪事件があったのは十五年も前なのだ。 「このペンションの前に建っていた、揚羽山荘の可能性は？」 「わたしは山荘の内部を見たことがないので、なんとも言えません…忍さんや八重樫さんならご存知かも」 しかし『山荘』というだけに、学校や役所のような廊下はしていないだろうな、と巴もヒカリも思った。 「仮にその建物が『離れ』だったとしても、そんな場所に行くのは危険すぎるよ」 巴がそう言ったし、ヒカリもそういわれることは重々承知していた。 思えば、このペンションに来てから不思議なことばかりである。 最初に聞いた声、背中を突き飛ばされたこと、ノンの存在、そして聖に起こった惨劇、さらに先ほどの夢。 （その鍵が…『離れ』にあるような…そんな気がしてならない…） 『行かなければならない』と思った。それが何故か正確には分からない。 行けば酷い目に遭うかもしれない。いや、少なくとも危険な目には遭うだろう。安全なはずのこの場所ですら聖が襲われているのだ。 （『離れ』、か…） ヒカリに言われた巴は、『危険すぎる』と言いながらも、彼女の言葉に信憑性を感じていた。 もちろん、『夢を見た』というだけに過ぎない、根拠のないものである。しかし、今のところ他に手がかりもない。 すでに聖が襲われている以上、この場所が安全とも限らない。何しろ相手には姿がないのだ。 「…よし、姉貴と八重樫さんに相談してみよう」 「えっ？」 しばらく考えていた巴が顔を上げていうのを、ヒカリが意外そうに見ていた。 「どの道、何日かはこのペンションから出られないし、身を守る術や、幽霊が出てくるのを防ぐ手段があるなら探すのは無駄にならないと思う。それに…」 『ヒカリちゃんが言うことだから』、という次の言葉は出てこなかった。 「…それに？」 「…ん、敢えて男だけ…たとえば俺と八重樫さんだけで行く、とかなら却って安全かもしれない」 ヒカリも巴も、聖が具体的に何をされたか、までは聞いてはいない。しかし、理解は出来る。 （叔母さんを襲った幽霊は…集団で女性を暴行することに興味を持っていたらしい。なら、敢えて男だけなら…出てこないかもしれない） そう思ったのである。 （そういえば、今日は…声が聞こえてこない…？） 悪夢を見せられて眠れないヒカリは、つい昨日の夜のことを思い出していた。 『もういいかい？』という子供の呼びかけの声である。 「…巴さん」 「うん？」 声をかけると、巴はまだ眠っていなかった。なんとなくほっとした。今日のこと、先ほどの悪夢、そして先日の声のこと。 色々考えているうちに、静寂に恐怖を覚えてしまったのである。闇の中聞こえてきていたのは、ただただノンの寝息だけだった。 「あの…」 そこで口ごもる。少しの後、ヒカリは少し勇気を出してこう言った。 「…そっちに、行っていいですか…？」 「…はぁ…っ！？」 面喰らったのは巴のほうである。 「あの、変な意味じゃなくて…なんだか怖くなってしまって…ノンちゃんもかなり深く眠ってしまってますし」 「で、ででででももも、ほら、それは、いや、俺のほうはかなり嬉しい…じゃない、えっと…」 まさかヒカリのほうからそんなことを言われるとは思っていなかった巴のほうは、いつものようにかなり取り乱している。 「…で、ですから変な意味じゃないですし…それに…」 判を押したようにいつもどおりの反応に、大真面目に言ってしまったヒカリの顔が熱を放ち始めた。 「…それに？」 「えーっと、わたしは、巴さんになら変なことをされても…」 最後のほうの言葉は、自然に小さな声になって掻き消えてしまっていた。 （…すごい、ヒカリちゃんが隣にいる…体が、触れてる…） 結局押し負けた巴のベッドに、ヒカリが入り込んでしまっていた。 ダブルベッドではないのでやや狭く感じるが、その分二人の体が接近するため、嫌でも温かみが伝わってくるのである。 （髪も…いい匂いがする…って、何を考えてるんだ俺は！） 胸のうちでぶんぶんと頭を振る巴。ヒカリは安心できるかもしれないが、巴自身は、これでは到底眠れそうにない。 背中合わせなのがせめてもの救いである。 （巴さん…。もしわたしが『離れ』と呼ばれる場所に行ったら…もしかしたら、酷い目に遭うかもしれません。 そうなる前に…そうなる前に、わたしを…） 『あと一歩』。それが踏み出せないのはヒカリも同じである。せめてベッドにもぐりこんだときに前を向いていれば、背中合わせにならなければ…。 「…そうか、そうなのか、やっぱり…」 「…忍、趣味が悪いよ」 ドアの外で聞き耳を立てていたのは、忍と八重樫である。 あの悲鳴で自分達しか起きなかったのをいいことに、中の巴とヒカリの会話を今の今まで聞いていたのだ。 「…しっかし、ヒカリちゃんも鈍いけど、巴の鈍さも相当なもんだね…。 男では『ヒカリちゃん』って呼んでる友人は巴だけらしいし、家にまで呼んでるし、そう判断出来る要素はいくらでもあったのに。 まぁ、まさか二人して『お互いを片思いだと思い込んでる』とは思わなかったけど…」 「…若いっていいねぇ」 八重樫も苦笑いしている。 「…さ、あたしたちは自分達の部屋に戻るとするかね。…これからひょっとしたら、ひょっとするし」 「はは…まぁ、邪魔しちゃ悪いね。僕もそろそろ眠いし」 「さて、ヒカリちゃんのほうはどう反応するか…うちの弟、顔は童顔だけど。なかなかの巨大さだからねぇ」 「…なにが？」 「…ナニが」 馬鹿話をしつつ、二人は足音を潜めて、ゆっくりと自室へ歩き出した。 （…まずい、まずいぞこの状況…） さて、話は部屋内に戻る。ヒカリはともかく、巴のほうはもう寝るどころの話ではなかった。 それも当然の話。『片思い』の相手がすぐ傍にいるのだ。しかも、寝ているのだ。 いくら巴でも男である。そんな近くに寝ていれば、いやでもよからぬ『妄想』はしてしまうし、それに反応してしまう一部分も存在している。『まずい』といわれたのはその『一部分』である。 パジャマのズボンの中で興奮しきってしまっていて、大きく膨れ上がり、ズボンを押し上げてしまっているのである。 （ヒカリちゃんが眠ってしまっていれば、それはそれでよし。俺が振り向かなければいい。 しかし、俺が前を向いて、触れさせてしまうような事態になったら…間違いなく幻滅される…！） それに、いくらヒカリから望んできたこととはいえ、今彼女が後ろに寝ているのは、彼女自身が聞いた声やつい先ほどの悪夢、そして聖に起こった出来事のせいである。やましいことを考えること自体が不謹慎そのものだった。 しかし、その葛藤は思わぬかたちで中断させられた。 ふに、と暖かく柔らかい感触が、巴の背中に接触した。それも二つ。 「…ひ、ヒカリ…ちゃん？」 そっと頭をそちらのほうへ向けようとすると、ヒカリがすぐ後ろにおり、しかも背中に胸を押し付ける形になってしまっている。 「巴さん」 （寝返りじゃなかったのか） 声をかけてきたヒカリに対して、巴は最初返事が出来なかった。胸の高鳴りのほうが大きく、声を返す余裕がなかったのである。 「…わたしは、やはり『離れ』という場所に行ってみようと思います。ひょっとしたら、そこで酷い目に遭うかもしれません」 『酷い目』がどんな目なのかは、具体的に言われなくても、巴にだって分かる。 「…だから、その前に…巴さん、あなたに…抱いて欲しいんです」 その言葉を聞いた巴が、どんな顔をしていたか、どんな声を出したか。彼自身にもよく分からなかった。 「…な…なんで、俺…？」 しばらくの後、なんとか声になった声を返すと、ヒカリは笑みを交えてこう言った。 「…『好きだから』…、に決まっているじゃないですか」 「！？」 「…最初は、『好きな人』としたいんです」 （ヒカリちゃんは…そこまで覚悟して『離れ』に行こうとしているのか…でも、なんでヒカリちゃんが行かなきゃならないんだ？） その疑問もあった。 「大丈夫だよ」 『自分も想われていた』ということに胸がいっぱいになりそうになりながらも、巴は力強く言った。…背中を向けたままではあったが。 「…俺が、守る。幽霊だろうが悪霊だろうが、何が来ても、ヒカリちゃんを酷い目になって遭わせない」 我ながら恥ずかしいセリフだな、と巴は思う。 「たとえ、俺が先に死んだって、俺が幽霊になってヒカリちゃんを守る」 そこで初めて、巴は体を反転させてヒカリのほうを向いた。と同時に、その両手を強く握る。 「わたしに、そこまでしていただけるのですか？」 「…俺も、『好きだから』ね」 ついに、巴もヒカリもその一言を言った。 |
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| 2013.7.29掲載 |
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