| ３２ 遠ざかる景色 「…叔父さん、叔母さん、お世話になりました」 甲賀姉弟が、しっかりと北見夫妻と握手を交わす。八重樫たちもめいめいお礼の言葉を告げた。 いよいよ今日が、この山を下りる日である。昨夜は、崖崩れのことについてテレビでも放送していた。 「ここでの経営は諦めるが、私達はまたどこかでやるかもしれない。 しばらくはまた苦労が続くが、そこは聖となんとかやっていくよ」 「あなたたちもお元気で」 北見夫妻の暖かい言葉を受けて、一行は八重樫の車に乗り込んだ。 ゆっくりと遠ざかるペンションを、運転手の八重樫以外はいつまでも眺めている。 「…これでもう、あの山に幽霊が出ることは…ないよね？」 誰にとでもなく夢月が呟いた。もともと幽霊の噂が囁かれていた場所ではあったが、まさか自分達が来たのが原因でこんな事件が起こるとは思っていなかった。北見夫妻だって事件が起こると分かって誘うわけもない。 しかし、そのおかげもあって、十五年前の事件が解明された。もっとも、その内容を今誰かに伝えたところで到底信用の出来ないものであろうけれども。 「あの山は…やっと呪縛から解放されたのかもしれないね。いや、あの少年達が呪縛から解放されたのかな…？」 八重樫がそう言った。 崖崩れの現場であった場所を通ると、何社かの報道関係の人間がいたが、そこは忍と八重樫が大人の対応をしてやり過ごした。 （もっと大騒ぎになると思ってたんだけどな） 八重樫も忍も、もっと大げさなことになっていると思っていたため、若干拍子抜けしていた。 ともすると自衛隊の救助が入りかねない状況だったためである。 局地的に大雨になりはしたものの、工事が始まってしまえば完了が早かったのと、ペンションに食料が大量にあったために大騒ぎにならなかったんだろうな、と八重樫たちは解釈していた。 実際には、とある人物たちが後ろで手を回していたのだが、それはまた別の話である。 「順平、何考えてんの？」 遠ざかっていく山をずっと見ている順平に、夢月が声をかけた。 「…いかがわしいことじゃないでしょうね？」 「ぶっ！」 夢月の言葉に、順平がむせた。 「べ、別に聖さんのおっぱいのこととか考えてねえぞ」 「…言ってる言ってる。そっかー、順平は人妻趣味だったんだー」 「なんだその棒読みっぷりは！」 「聖さんがどうかしましたか？」 後ろで言い合いを始めた二人に、ヒカリが声をかける。 「順平がね、聖さんがいいお…」 「こらこらこらこら！」 「こらお前ら、車の中では静かにしろー。特に順平と夢月ー！」 （やっぱりなんかあったなあの三人） 後ろの言い争いを聞きながら苦笑する忍。あの三人というのは、もちろん順平、夢月、そして聖である。 揚羽町を出て、来たときにも見た田園風景が遠ざかっていく。 「また来ようね…って言いたいけど、次に来るときに、あのペンションは…まだあるのかなぁ」 夢月の言葉に、順平が考え込む。 「…分からないな。でも、北見さんたちがまたペンションを建てたいっていうなら、またそっちに行けばいいじゃないか」 「それもそうね」 「順平、あんたたまにはいいことを言うじゃないか」 忍が順平を茶化す。 「たまに、は余計ッスよ」 いつの間にか、巴の手をヒカリがそっと握っている。巴のほうは、その感触を気にしつつも気づかない振りをしている。 気づいて目を向けると、すぐに離してしまうのではないか。…それならば、気づかない振りをしてでも、この手の暖かさを感じていたい。 「…この旅行は終わりますが、夏休みはまだありますから、どこかに行きましょうか？」 「うん？そうだね。宿題もあるから遊んでばかりもいられないけど…」 （ひょっとして、今の言葉、俺が言うべきセリフかな） なんとなく情けなく思う巴。 「ふふっ、それなら、わたしの家で宿題をするのもいいかもしれませんね」 「あ、それならあたしもいいかな。涼しそうだし」 夢月が手を上げてみせる。 「馬鹿、自重しろ」 思えば、ヒカリ目当てにこの旅行に参加した順平が、夢月を止めているのはかなり妙な光景である。 「だって終わりそうにないんだもん。うちのお母さん、頭いいのに全然教えてくれないし」 「それは小説家さんなんですし、締め切りとかあって忙しいからでは…えーと、それで、巴さんのほうは？」 「うん、呼んでもらえるなら」 巴は素直にそう答える。今までの彼ならば大慌てしながら遠慮の嵐だったであろう。 しかし、彼にも少しずつ、『ヒカリちゃんは自分の彼女になっているんだ』という実感が沸いてきている。少しずつではあるのだが。 「もちろんです、歓迎します」 （よかった、いつものヒカリちゃんだ） 先日の夜は『どうしてしまったのか』という暴走ぶりだったものの、今のヒカリは、のんびりしていてゆっくり話す、いつものヒカリだった。 （わたし、多分『暴走』してたんですよねぇ…？） 巴と話をしながらも、ヒカリは先日のことを考えていた。あの『離れ』で経験した出来事の後、体が熱くて仕方がなかった。幽霊達にされたことを巴にならされてもいい、と思った直後、体の疼きが止まらなくなった。 結果的に自分が失神してしまったため、全てを実践するには至らなかったものの（至っていたら大変だったが）、自分から四つんばいになったり、巴の上に腰を落として自ら激しく動いたり、ということは未だによく覚えている。 結果的に、この揚羽町で起こった出来事は、北見夫妻の絆を強め、巴とヒカリの恋心を成就させ、順平と夢月に複雑な感情を芽生えさせたのだった。 …やがて、揚羽町は完全に車の窓から見える景色から消えた。 |
| あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。 |
| 2013.9.28掲載 |
蔵人一文字さんの作品群→ |