奥様は接待秘書
浩一 作
６　自供する女　１

　警察の例のウワサは本当だったんですね。昼食にカツ丼…！午後の取調べを前にして昼食にカツ丼が出てきたんです。
　あの女刑事が出がらし番茶と机の上に取り置いたこのパックはかつや、お持ち帰りカツ丼をご馳走になるのか、フタを取ると湯気が上がり、うう〜ん、出来立ての美味しそうなこの匂い。

　カツ丼に目をやるとなんと豪華な、四角いパックの上が卵でとじたカツだらけです。ゴチと、朝食抜きの身に喜んだのも束の間、あの女刑事がレシートをわたしに突き付けたんです。

「食パン３枚じゃかわいそうだから買ってきてあげたわよ」
　だって。
　留置所の昼食は食パン３枚なんだって。他に食べたければ自弁って言って、お金を払わなくてはいけないんだなんて後から知った事実、都民の税金ですものね。

「ねえ、お腹すいてるんでしょ」
　猫なで声に掛けた言葉の優しさとは裏腹に、女刑事の狡猾な嫌らしさがにじみ出ていました。

「ロースカツ２枚の松にしといたから、税込９１８円よ」
　思わず女刑事の顔を見てしまいました。

　ロースカツが２枚、うら若き女の身に絶対カロリーオーバー、誰がそんな余計なことを、それならまだヒレカツ丼なら、小さくてもヒレカツが３枚で税込７４５円なのに。
　差し出した１０００円のお釣りの、８２円を小銭入れに戻しながら悪態の一つでも言いたくなります。西口地下の大吉なら税込９００円で美味しいヒレカツ丼が食べられたのに。

「なによその目、警察官の親切心が分からないとでも言うの」
　なにが親切心だ。女刑事は机に両肘を付いた手にアゴを乗せ、対面からわたしの食べっぷりを見ているんです。
　食事らしい食事を摂ったのは昨日の夕方、キャバの出勤前だったから、女刑事の言うように確かにお腹がペッコペコ。

「あ〜あ、口の横にご飯粒、あわてちゃって、お茶くらい飲んだらどう」
　もう小姑のように、バカにしないでよ。

　それでもガツカツと残さず食べて、胃が朽ちるほどお腹がいっぱいになると、余裕っていうのか色々思いを巡らすことが出来る物です。
　不覚というのか、恥ずかしい話ですが、あの最中に刑事さんたちに部屋に踏み込まれ、目の前で清河が逮捕されたこともあって、気が動転していたんだと思います。

　後からあの状況を思うに、マンションの部屋は公園横の２階ですから、刑事さん達は防犯上の鉄格子の入ったベランダ柵を外しての侵入なんです。それも外した隙間から一人ずつ時間を掛けて入って来たはずなんです。

　なのにベランダの物音に、わたしが視線をやったときにはズラリと、思えば刑事さん達がガラス戸越しに並んで間近に見ていたんです。警察恐るべしですね。

　踏み込まれたときも、素っ裸だったから恥ずかしさは変わらないはずなのに、大勢の刑事さんにビックリしちゃって、全裸のまま取り乱してしまったのが情けなくって。
　任意同行ということで池袋署へ。なにか着る物をと即されて、慌てて白い下着の上下を身に着け、Ｔシャツとローライズのスキニージーンズ穿いたんです。

　それが警察署で、あの女刑事から屈辱の辱めを受けるとは思いませんでした。

　午後、事情聴取ということで、取調室で捜査１課の島田警部と名乗られた方から訊かれたことは、東池袋のホテルでの無理心中事件のこと。清河の当日の行動なんて知らないって言ったんです。

　お仕事しなくちゃ食べていけないから、事件の夜は勤めに出てて、帰りにホテルの横を通ったことを話したんです。そしたら興味津々。
　でも、さすが警部さんです。話し上手の聞き上手、リラックスさせてくれて訊問も丁寧でした。

「じゃ、もう一度確認するけど、ギリギリセーフって名のキャバクラに勤めてたときだね。東池袋の店を出たのが午前１時１０分頃、ホテル従業員出入り口横に停車していた。白かクリーム色のワゴン車でよかったのかな」

「そう、なにがギリギリセーフよ。６０００円って時給は良かったけど引き算が多くて、実質３０００円がいいとこで、セクキャバと間違えてんのかってくらい客筋が最悪！」
　エホン…！と、島田警部さんは咳払い。

「緋紗子さん…！店の確認じゃなくて、ワゴン車の色！」

「ゴメぇ〜ン警部さん。車なら、白というよりアイボリーてのかな。灰色のようなクリーム色で、サイドミラーが畳んでなくてさ。よそ見してたらゴッチンって、腹が立ったから誰だって、中を覗いたら…」

「出入り業者の車だと思ったんだね。大事なとこだからもう一度確認するよ。社名のないリネンサプライ業者のワゴン、車種は写真で見てもらったハイエースで間違いないね」

「すご〜い！さすが警部さんですね。島田さんって話すこと全部覚えてるんだぁ！」

「光田緋紗子さん、重要な事だから茶化さないで」
　と、素気ない素振り。

　くせ毛の髪の感じが片岡愛○助さんに似ていて警部さんて偉いんだと、おべっか使っただけなのに、重要案件だから良く思い出すんだと、逆にお説教。

「亡くなった中谷由香利さんや長谷川宏樹さんとは、会社関係の付き合いしかなかった。それで間違いないね」

「間違い有りません。ヒロ君はおバカだけどかわいいってか、お抱え送迎運転手でさ。由香利って殺されても不思議じゃない悪女。傲慢でいけ好かないだけの女よ」

「長谷川宏樹か？新卒で、送迎のお抱え運転手ね」
　島田警部さんもゆとり世代が気になるみたい。

　あれやこれやと、島田警部さんは清河や事件当日のこととか、亡くなった由香利と弘樹との関係やらを聴取されました。そのときです。ココンとノックが有り取調室のドアが開き、またあの女刑事が入って来ました。

「失礼します。係長、科警研よりの報告と光田緋紗子の逮捕状です」
　どういうこと、わたしにも逮捕状だって、やっぱし覚せい剤？なの。
　見ると、わたしだけでなく、あの傍若無人な女刑事まで妙に緊張していました。

「川上、分かったァ」
　と、手であの女刑事を制止し、文面を読んだ島田警部さんは、わたしに向かって。

「規制薬物使用の容疑で光田緋紗子を逮捕します。午後４時１８分通常逮捕」
　あんなに島田警部さんに協力的に話したのに、鑑定に出された尿から規制薬物の成分が検出されたということで逮捕ということになりました。

「係長、手錠はよろしいですね」

「そうだな、聴取中だからな」
　そんな言葉のやり取りに、あの女刑事にキツく腰縄を打たれ、縄の端は椅子にくくり付けられたんです。

「川上いいのか、留置となると、このお嬢さんのこの格好じゃ」
　もう、お嬢さんだなんて。と、警部さんの顔を見ちゃいました。

「まかせて大丈夫なんだろうな？」
　島田警部さんは、わたしの着衣を見てなんだか心配そう。

「係長、委細承知しております」
　と、あの女刑事はぶっきらぼう。

「失礼します」と、礼をして、あの女刑事はドアの外へと出て行きました。

「フンだァ…！」やな女〜ぁ。
　細腰のウェストラインに巻かれた腰縄に憤りもあって、島田警部さんに言うだけは言ってやろうと。

「逮捕って、わたし持ってただけでクスリなんか使ってません！。誓って覚醒剤なんかやっていません」
　取調の島田警部に執拗に言ったんです。
　そしたら警部さんは穏やかな口調で、諭すように話しかけられた。

「光田緋紗子さんね、あなたの尿から検出された規制薬物ってメチレンジオキシメタンフェタミンにリゼルギン酸ジエチルアミドって言うの。覚せい剤とは違うんだけど、ヤツらスケコマ師が狙った女性に投与する意味では同じような代物なんだ。とは言え緋紗子さん、あなたも薬物の使用、初めてじゃないだろ。知らなかったでは済まないんだよ」

『ええっ、逮捕って覚醒剤じゃないの…！』
　そしたらアレと、思い当たる節。

「そ、そんな…！わたし、そんなドリンク飲んでませんって…！」
　と言っても薬物といえば、あのセックス前のドリンク剤じゃないかと心当たりがあって、警部さんの顔も見れずにうつむいたままでした。

「緋紗子さん、ドリンク飲んでませんって、心当たりがあるんだよね」
　しまったと、うなだれるように、頭を下げるしかありませんでした。

「今朝、帰宅後９時１７分に冷蔵庫からドリンク剤を取り出して飲んだよね。向かいのワンルームマンションから、うちの捜査官が現認している。報告書によるとそのドリンク剤の残存物からも同様の薬物が検出されていてね」

「それって…」もう後の言葉が出てきません。ずっとあの部屋から覗きしていたのは変態さんじゃなくて警察官だったのです。

「それに緋紗子さんはヒロポンって知ってるかな。自宅に残してきたドリンク剤ってあるでしょ。その自宅から押収したドリンク剤には通称ヒロポン、塩酸メタンフェタミンまで含まれていたんですよ。分かりますよね」

「あの試供品のドリンクからですか？」
　薬の名前なんかよく分からないけど、清河は疲労がポンと取れる言ってたっけ。あの高揚とした気分、清河とのセックス。じゃ、主人の元を飛び出したのは、やはりあのドリンク剤の高揚感の所為？。

「このドリンク剤ね。使われている薬物の純度が高いんですよ。清河も自供したけど、目的に合わせて意図的に調合してあるのね。中谷由香利さんと長谷川宏樹さんが無理心中と思われたのも、薬物の致死量を計算されつくした物だったからなんです」
　言われてもうわの空、文句を言ってやりたくとも、清河は別件の企業脅迫事件で丸の内署に、ここにはいないんです。

　出会ったときから仕組まれていただなんて、我ながらバカな女だ。
　疑ってはいたけれど、覚醒剤以外にクスリの種類があるなんて、清河にずっと欺かれていた現実を改めて確認したしだいでした。

「つまりね薬物の知識が相当にある者が製造に関わったと言うことでね。扱いなれてるプロってより、頭の良い学者様てのを疑ってんだ。使われているリゼルギン酸ジエチルアミド俗に言うＬＳＤから、アメリカ西海岸に拠点を持っている人物を、警察はマークしているんだ」

　ふと思い至ったのは、家を出るとき残してきた何とかフェタミンが入ってたドリンク剤です。主人にも飲ませたんです。あんなのでも逮捕…？！。それに西海岸って言ったら、主人が留学してたバークレー校のあるカリフォルニア州もそうだ。
　言葉じりから島田警部も、主人を警察が疑っている。そう思ったら急に恐くなってきて。

「警部さん、あのドリンク…！清河からもらったんです！。そんなのと知らなくて主人にも飲ませたんです。主人は犯人じゃないです！。犯人の仲間じゃ絶対にありません。主人まで逮捕なんてそんなのやぁ…！やあ…だぁ！」

　泣き落としじゃなくて本当に主人のことが気掛かりだったんです。立ち上がり警部さんの腕を取り叫んだんです。
　それしか出来なくて。そしたら力が入りすぎたのか腰縄に括られた椅子が倒れて、腕を引かれ突っ立った警部さんが、机の縁で前のめりに倒れてきて。
　わたしの胸の谷間のところに顔を埋めるような格好になってしまって、あわてて手がネクタイを掴んでて。

「ング…ッ…！み、光田緋紗子ォ…！落ち着け、オファ、ウヘッ…落ち着きなさい…！大丈夫だから、座りなさい！」
　わたし、警部さんともみ合いながら、ネクタイを絞めたみたいで顔を真っ赤にされてて。

「コイツァ…！なにてぇやんだ！」
　調書を取る刑事さんのつんざく怒声。
　立ち上がった刑事さんにその腕を捻られ、机の上に頬を押しつけられ制止させられたんです。痛い…！。

　厳つい刑事さんの手で机に押さえつけられ背けた顔のその先に、乱れたＴシャツの背から、龍の刺青が壁にあるミラーガラスに映っていました。

「だ、大丈夫だ。白川、緋紗子さんを放してやれ」
　その一言で抑制した憤りに火が付いたのか、押さえつけてる刑事さんが後ろ手に締め上げた手をそのままに、背を押さえた手でめくれ上がったＴシャツを肩まで引き上げたんです。
　もう背中の刺青、白い透けブラまでが丸見えでした。

「係長、両の目を開けてよく見りゃどうなんです。この女、確かに特上の女かも知れねえが、背中にモンモンさんを背負った、ただのスベタじゃないすか。さっきから聞いてりゃ容疑者を緋紗子さんって、さん付けで、そんな甘ちゃんだから、こんな女の色香にはまって無様なことになるんでさ」
　鬼瓦のような顔をした白川と言う刑事さんは、肩を押さえた手と捕まえたわたしの手首を、職務柄かなかなか離そうとはしません。

「いいかァ俺ゃ、見てたんだよ。あのワンルームマンションでな、くっそ面白くもねえ。延々と続けるあんたらのシャブマンをよ…！まだ全身から清河って男の臭いがするんじゃねえのか？おい…！。泣き落としに係長を手玉に取るなんて、どこのどスベタだ。この柔らかな手で、どんだけの男に奉仕してきたんだよ」

「白川、離せ…！分からねえのはお前だろ、内閣官房、近藤警視長の肝いりだぞ」
　島田警部の声に鬼瓦の刑事は渋々のこと手を離しました。

「係長にアマちゃんキャリアまで誑かしか？そう言や元接待秘書という名の淫売だったか、キャリアにばっかやらせないで、俺の相手をして見ろってんだァ」

「白川…！それ以上言うと懲戒だぞ」
　恐い、白川って刑事は欲求不満に野獣を思わせる凶悪さでした。そのまま犯されそうで、わたしは島田警部の方へ身を寄せ、乱れたＴシャツの居住まいを正したんです。

　警部さんが言った近藤警視長って、きっと近ちゃんのことだ。近ちゃん、わたしのこと忘れてなかったんだ。なんかうれしくなって涙が出てきました。

「光田緋紗子さん、大丈夫だァ。気が動転したんだな。うん、ご主人のことが気になったんだな。悪いがここじゃご主人のこと、どうもしてやれないんだ」
　警部さんの取りなしにも、ただ涙しかありませんでした。

「ああっ〜んんっ…あ・あ・あっ…！」
　主人まで逮捕されるんだ。と、涙ながらに問い詰めたけど、被疑者の身に島田警部は何も教えてはくれません。

「心配いらない。検事上がりの若いが優秀な女弁さんだ。明日になれば接見出来るから、よく相談したらいいから」
　と、ただ島田警部は、やり手のヤメ検の女弁護士さんが、弁護に付いたからと言われました。

「でね、光田緋紗子さん、自宅に残したドリンク剤だけど、清河からもらったのは間違いないんだね。あなたのご主人はただもらった物だと知らぬ存ぜぬと言うばかりでね。警察は宅配記録から４月８日に入手と断定したんだけど送り主が分からなくて、清河で間違いないのかな」

「主人が…」
　わたしのためだ。

　自分に疑いが掛かるのに、主人は弁明もしなかったと聞かされた。警部さんの穏やかな口調に、ただうなずいただけでした。

　島田警部は、なにやらミラーガラスに視線を送っていました。きっとあのカガミなったガラスの向こう側の誰かに、主人の逮捕に向かわせたんです。

「警部さん…！悪いのはわたしなんです！。主人は、主人は関係ないんですぅ…」
　なのにわたしったら、そう叫んだだけで、オイオイとその場に泣き崩れてしまいました。

「分かった、緋紗子さん分かったから、泣きやめろ。な、取調べの続きは明日だ。明日にしような。オイ…！」
　と、目配せ。
　なんでこんな目に遭わなくちゃいけねんだ。と、島田警部はミラーガラスの向こうに視線を向け、わたしの背を励ますようにトントンと叩いていました。

「光田緋紗子…！立ちなさい」
　取調室に入って来た留置係りの婦警さんに、ガチャリと手錠をかけられ腰縄を引かれての退出、やっと今日の取調べが終わりました。

　そして誰もいなくなった取調室にドガンと拳でガラスを叩く音が響いた。並み居る刑事達が見守る中で、ミラーガラスの内側につんざく怒声。

「オイオイ、誰があんなのに調書取らせたんだよ。近藤警視長からだぞ。察庁に戻られたらあの若さで警視監だぞ。分かってんのか…！。島田も島田だが、白川の野郎…！ワンルームマンションで望遠レンズを独り占めしてたって言うじゃないか。ダメだろ、突入組が目前で極上女の生本番を拝ませてもらったからって、なにとち狂ってんだよ。女房に逃げられて頭いかれてんじゃねえのか！」

「管理官、お言葉が過ぎますが」
　理恵は白川を弁護する気はなかったが、係長の緋紗子に対する甘さには白川に共感を覚えた。なにが緋紗子さんだ。身柄を拘束した容疑者だぞ。

　理恵の顔、その不満げな理恵の顔を怒りにまかせた管理官が睨んでた。

「なんだとぉ…お嬢ちゃん…！近藤警視長殿に名指しの電話もらって舞い上がったか！。お前らもそうだ…！ホテルの出入りの業者って龍仁会系なんだろ。ワゴン車の盗難届が翌日出てるって犯行を白状したような物だろが」
　管理官の怒りは、その場にいた刑事たちにまで。

「ホシは玉川と割れたんだろ、何処に居るか分からないだと、うちの組対はぼんくらか！公安がなんだ。近藤警視長がなんだよ。極上女の尊顔をご拝見か、こんな所に雁首揃えやがって今すぐ玉川の身柄を取ってこいよ。川上…！お前は光田浩一のウラ取ってこい。川上すぐにだぞ…！」

「はいはい、分かりましたァ。一茂ぇ…！行くよ」

「…ったく、光田緋紗子の顔を拝みに来たのは管理官じゃないすか、人使いが荒いんすから」
　不機嫌さを隠さず山中は理恵に続いて室を出た。

「主任、白川主任の荒れよう尋常じゃありませんね。やっぱ公安からの横槍で企業脅迫事件の捜査から外され、主任の下に付く格好になったからっすからねえ」

「余計なことは言わない。光田浩一、先生にウラ取りに行くよ」

「しゅ、主任っ…！でもすごいすよね。近藤警視長って、警察庁長官か警視総監一直線って、出世街道ばく進中のキャリアですよね。てか、あの主任と同級生だというあの女と…？」

「余計な詮索はしないの」
　電話の件はすぐに広まった。

　誰もが知りたがったが誰も口にしなかったこと。首相直属の内閣官房に出向する近藤警視長から、刑事部部課長を通さず直接１課係長に掛かってきた経緯だ。

　周囲の視線が痛いほど突き刺さる。理恵の晴れない気分の原因は近藤警視長からの依頼だった。心の中を見透かされ、断ることなど出来なかった。

　光田先生に疑いのないのは分かっていた。なのに無理に容疑って、先生のいや緋紗子に付く弁護士だ。高桑芹香、名前を聞いて気が重くなった。

　係長も余計な一言を。その一言で不満渦巻く刑事部内が、公安なにする物ぞとすでに蜂の巣を突いた騒ぎだ。それでなくとも犯人逮捕より、盗撮映像を見つけるに重点を置いた公安主導の捜査体制だ。
　安保問題で政局が揺れている事態に、財務大臣のスキャンダルがマスコミ関係に漏れてでもしたら、警視庁幹部のクビだけではすまなくなる。

　そんなまっただ中で内閣官房へ出向中の警備局、公安のエリートキャリア近藤警視長から、１課の島田係長の携帯に異例の直電話があったのは、緋紗子の取調べの前だった。

「ハイ、川上は優秀な捜査官であります。責任？では出動を指示されたのは近藤警視長でありましたか、ハイ、川上と代わります」
　緊張に立ち尽くす係長から取り次がれ、理恵も電話を受けた。

「川上警部補、お願いがあります。光田緋紗子の逮捕に関してですが、穏便にすませて下さい。拘束は４８時間まで、延長はしないで放免してください。いいですね」
　耳元で張りのあるバリトンの語り声、思わずハイって言ってしまいそうになる。それでも理恵はそんなの許せなかったから、察庁エリートキャリアに逆らうと懲戒もあるかなと怖さもあったが口に出した。

「近藤警視長、緋紗子、その緋紗子とは本職の高校時代の同級生だったもので申し訳ありません。その光田緋紗子を放免すると先生、あっ、先生って光田浩一なんですが、緋紗子は光田浩一の元に戻ると思います。そんなの私、絶対許されないし、それでは何の解決もならずに、緋紗子はまた薬物に手を出すと思います」
　理恵はつい感情的になってしまった。

「川上警部補、逮捕状は覚醒剤ではなく規制薬物と聞いています。また本人の意志の外での使用である以上、弁護士に依っては当然無罪もあります」
　請求した逮捕状の中身まで知られていては無理は言えない。

「分かりました。追加拘留請求はしません。ただ、夫である光田浩一以外の誰かが身元引受人となって、あのバカを甘えさせず薬物から脱却させるためにもです。なんならこの際、強制入院措置を取るべきだと考えますが、いかがでしょうか」

「フム、光田浩一か、一度会ったことがあるが人物だと思えなかったが、元に戻りますか？なるほど。フフッ…そうですか、川上警部補の考えはそうなんですか。さすがあの刑事部長が慣例を無視して抜擢した優秀な捜査官だ。警視庁１番の美人だけではなさそうですね」
　褒めているのか、けなしているのか。頭の良すぎるキャリアの考えなど理解に苦しむ。

「じゃ光田浩一はまだ容疑があるとして、あなたが身元引受人になりなさい。確か緋紗ちゃ、いや光田緋紗子には身内はいなかったはずだから、高校時代の同級生で司法警察員なら裁判官も認めるでしょう。強制入院は大げさとして川上警部補に任せます。不都合があればこの番号に掛けてきなさい」
　はあ、私が緋紗子の身元引受人。

「近藤警視長…！先生、光田浩一は収監、いえ丸の内署に収容されるのでしょうか？」

「いかに警察でも、しては行けない事があります。私からは丸の内署に指示する権限もつもりもありません。あくまでも任意で話を聞くだけです」

「よかったぁ…あっ！申し訳ありません」
　思わず声が出た。もう近藤警視長に悟られたのは間違いなかった。

「川上警部補、私もそのまま、緋紗ちゃんがご主人の元に戻られるのはイヤですから」
　憶測だけで誰も知らない目的の一致。

　近藤警視長の人となりも少し分かったつもりになった。結果、警察機構のホープから理恵は目を掛けられる事態となってしまった。

「川上…！どうすんだよ。警察庁警備局長の懐刀、現内閣官房出向の近藤警視長から直電話だなんて、相当だぞ。何様なんだ光田緋紗子って…？」

「そんなの一言、ただの疫病神」
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あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
2015年11月18日掲載
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