奥様は接待秘書
浩一 作
刺青の女　１の続き

　すりガラスに映る刺青の薄影、ガラス戸の向こうには全身刺青の、魅力的な男性がそこにいるのですから。思わず彫雅さんと体型を比べてしまいました。

「黒川さんて、あの肩幅、すごく立派な体格ですよね」
　わたしまでが潜める声に、彫雅は椅子を寄せてくる。ヒザがあたるくらいすぐ側まで。
　間近にジロジロ舐め見る視線を避け、目はガラス戸に。

　スリガラスに映る薄影、若いのにストイックなまでに摂生されたのか、無駄肉もないマッチョな逆三角形の体型です。
　彫雅さんには申し訳なかったですが、チラ見すると思わず刺青の肉体に見とれそうになりました。

　しばらくして、ガラス戸の隙間から覗き込む気配も遠ざかり、どうやら身支度帰り支度の様子です。

「広い背でしょ。１ｍ９０、１１０キロと言ってました。歌舞伎町界隈の顔ですよ。額彫に胸割り五分、丸１年ですよ。なんせ体格が良いもんだから、こっちも彫りがいがあったしね」

「もう終わりなんですよね。彼…」
　惚れ惚れするような肉体の刺青って、動く芸術品のようです。

「悪いね、これ黒川が帰るまで参考に見てみるかい」
　なにを思ったのか、彫雅さんは変に恐縮され、なにやら棚から取り出し、手渡されたのは分厚い刺青の写真集でした。

　わたしは仕方なくパイプ椅子に座ったまま写真集に目を移すことに、彫雅さんは手持ち無沙汰風にぎごちなく、横に立って見ています。
　乳房の谷間を上から覗いてるのなんて諸バレ。

「俺って２０年もこんなとこに籠もってさ、他人の肌に彫ってんだから、腹も出て根暗にもなるよね」
　もう、話のきっかけが欲しいんだろうけれど、そんなこと言われても相づちも打てやしないって…。

「ああ、これきれいだ…！」
　と、話題を変え写真の刺青を称賛しました。背に緋鯉を背負った女性の写真でした。

「うん、それね。青墨波紋の美しさがあって緋色が引き立つんだ。和彫りの基本は墨色なんだよ。考えてもみて女性の白い肌に緋色だけじゃ目立たないだろ。墨色が互いに引き立て合うそれが和の刺青なんだ」
　あの無精ヒゲの分厚い唇から、こんな芸術的な言葉が出るなんて、性格は良い人だというのがすぐ分かりました。
　が、この体型とご面相はと…。腕はよくてもヒマなはずです。

「この、花ばかり多いのって、彫雅さんが思う女のイメージですか…？」
　菊花に牡丹、蝶に花扇子が連なり背の柔肌に。

「いや、それってね、連れの男の注文なんだよなァ〜　緋紗子さんもそう思うよね」
　意に添わぬ仕事だったのか、彫雅さんも否定的だった。確かにそうだ。綺麗が連続しても美しくはない。せっかく背に刺れる物なのに軽すぎると思った。

　わたしなら…と。

　大判の写真が綴じられた彫雅さんの作品集を、パラリパラリと捲ります。女性の場合やはりワンポイントとか、ファッショナブルな小作品が多いのですが、その中にひと際目を引く女性の写真があり、目を止めました。

「アア…それ、九紋龍史進、水滸伝の英雄のひとり。会心の出来なんだ…！。二重彫りって言って、彫り物の人物の中に彫り物があるのが、見せ所なんだけどねぇ」
　と、残念そうな言葉じり。

「まあ、女性で総身彫りって珍しいし、刺青って人様にどうぞって見せるって物じゃないけど。彼女、元ソープ嬢で刺青を売り物にしてたんだけどな。今は某興行会社の社長夫人っていえば分かってもらえるかな」

　うん、きっとこの辺りが彫雅さんの自信作のようです。と、写真を捲る。
　思わず「あっ…！」と、声を漏らしてしまった。

「これ、乳房にまで刺青…！」

「胸割五分に龍魚、いいだろう…これ！弟子の一人だったんだけど美人だし、今じゃ俺より売れてる女流彫り師さんだよ」

　見とれていました。さすが女彫り師さんです。顔さえボカさず、刺青を背負うことの誇らしさが顔に表れ、正面からの胸割りに乳房まで墨が入り凜とした気品さえありました。
　背には鯉から龍へと滝昇り、肩から胸にかけての墨色の波文様に緋色の桜の花。

　肩周りに二の腕と額彫りに見切られた肌、太ももにまで五分の額彫りを刺れた、まだうら若い女性の写真に魅せられました。あまりの美しさに震えが来ました。

　そうこう言っている内に、黒川を送り出したお弟子さんが挨拶に来られた。山田孝夫、字面は違うがどこかで聞いた気がする名前でした。

　隅でそそくさと着替えされ、お先に失礼しますと気を利かせたのか、わたしの顔をちらりと見てすぐに帰って行かれ、とうとう作業場から誰もいなくなりました。

「どう、そんな和彫りの写真見てたら、彫り物を背負うって良いものだろう」

「ええ、女性でも、ここまでされる方がおられるんだと思って…」

「じゃ、思い切って、腰から太ももなんかじゃなく、最初から背負ってみるかい」

「背負うって、背中ですか…！」

「うん、清河も決めるのは緋紗子さんだと言ってたし、あいつ龍を背負ってるけどちょっと後悔してるみたいでね。
　緋紗子さんも見たことあるだろうけど、広い背中の割りに小さいだろ」
　それでかと思い当たりました。

　カズさんのは広い背中に左肩口から背中にあるだけです。あれでヤクザとか、球界復帰は無理だと言われたら可哀想です。

「奥さんと離婚したからといったって、今さら大きく彫直すことが出来ないからね。最初に全体の振り合い考えて彫れば良かったんだけど、あいつ意外と気にしててさ。緋紗子さんさえ良けりゃもっと大きな物をって、俺にさ」

「そうなんだァ。じゃ、さっきの全身に額彫った女性のようなの刺れるんですかぁ…？」
　自分でも驚くほど興奮気味な声が出た。腰から太ももだけって写真集見てたら、超、中途半端ですもの。

「彼女ほどじゃ極端すぎるけど、緋紗子さんに覚悟があるのなら考えてる試案があるんだ」

「試案って、そしたら背中一面からってこと…？はい…！それでお願いします」
　と、ウキウキと沸き立つってこのことです。

「肌の状態、見せてもらって良いかな…。清河には、汚れてもいい服装で来てくれと言ったんだけどな…」

「わたしもそう聞いていましたから…うふふふっ…」
　含み笑いから声が出ちゃいました。

「そう、じゃぁ着替えたら作業場で」
　彫雅さんはそう言って作業場に先に行かれました。

　背中に背負う、それもカズさんより大きな物、いいんじゃない。彫雅さんの勧めに完全にその気になっていました。

　もう誰もいないというか、その場の乗りというのか、彫雅さんが肌の状態を見たいというので、最悪汚れてもいいかと、ノリで着てきた安物の派手目のワンピースを脱ぐ。

　その場のハンガーに掛け、透け透けのブラとパンティの下着姿になりました。これなら汚れないだろうというのは口実、早く超セクシー下着を見せて驚かせたいだけです。

　最初の目論見通り、バッグと拝見途中の写真集を持って、作業場に入りましたが、寒くはありません。

　案の定か、ガマガエルの驚きの顔。

「アオッ…ビックリしたよ…！そんな格好で出て来るもんだから。てっきりジャージかなんかに着替えるものだと思ってさ」
　引き戸を開けて出るなりです。思惑通り彫雅さんのビックリした顔が、眼を細くしたガマガエルに似ていて、下着で出てきた甲斐があったと言うものです。

「こちらこそ、汚れてもいい格好と聞いてましたから、あの部屋で脱いで良かったかなって…」
　セクシー過ぎる下着に、平穏を装う彫雅さんの視線は、胸に入ったり下腹に来たりと忙しそうです。

「足もとはこのままで構いませんか、スリッパもなかったから…」
　彫雅さんの目が小さな三角形のパンティから足先に降ります。自慢の美脚に１２センチヒールのサンダルです。

「アアッ…ッ、え、いいです、いいです」
　まだ、彫雅さんは興奮気味です。

「ここ、元は水商売のお店だったのでしょうか…？」
　写真帳とバッグをかまちに置き、室内を覗く振りをして良く清掃されたリノリウムの床を数歩前に。足を重ねるセクシーウォーク。
　エロスを売り物にするグラビアアイドルさんに、負けないくらいのＴバックの後ろ姿まで見せちゃいました。

「アア…ッ、和風料理屋だって、このビルの３Ｆじゃ、いくらなんでも無理だったみたいだけど」
　うふふっ…！そんなこと言いながら見てる、見てる。このヒモＴの後ろ姿を…。なら大サービスしちゃおかな。

「そうなんですか。あっ…！」
　不自然だけどサンダルの留め具を見る振りをして、少し脚を開いて前屈みに、後ろからセクシーなチラリズム。

　お尻の肉蕾ちゃん辺りなら１センチ幅ほどのヒモＴの陰部が全開です。

　今日はカズさんが着けてけってた紅色のシースルー、輸入物の超セクシーな薄布１枚エロ下着セットでございます。
　紅色ならエロ下着しかなくてと言うと、アイツの前で脱いだっていいぞだって、ついサービス精神で見せちゃいました。
　わたしって男性の前だと、衣服を着てのお澄ましより、自信ある下着姿だとか裸を見せる方が楽なんですよね。

「人前で、そんな超セクシーな下着姿って、緋紗子さんは仕事柄慣れてるかも知らないけど、俺なんかもう、ビックリしちゃって…！」
　感激を言葉で表して頂けるのもうれしいものですね。

「清河のヤツが電話でサプライズだって言ってたけど、分けわかんなくてさ」
　カズさんのやつ、期待させるそんなことまで言ってたんだな。

　含み笑いに、よし。

「面白いでしょ、後ろ姿は裸同然だし、紅色の三角のパンティの中に黒い恥毛の小っちゃな三角。パンティの上からでも分かりますよね」
　そう言って、遠慮がちな彫雅さんの目線を透け透けのパンティに誘導します。

「ホントにドッキリだよ。ＡＶしか知らなくて、接待秘書のプロの方って、そんな風にも手入れしてあるんだね」

「もう、プロだなんて…」

「あ、ゴメン…！プロって言い方失礼だよね。でもそんな下着着て来るんだ」
　そう、分かってくれればいいのよね。ふふん…。

「セクシー下着って、わたしのポリシーなんです。実用的じゃないけど顧客様に喜んでもらいたいというか、接待秘書だったこだわりってことかな」

　わたしの魅力的なパンティに彫雅さんの上から目線が集中します。あの舐め見る視線も慣れれば、モテない中年男の悲哀を感じ、いじらしく思えてしまうから不思議です。

「ふふっ、これマンスジと繋がってまるでカクテルグラスみたいに見えるでしょ。ブラもお揃いで薄布だけの作りなの、この重たいのを支えるだけほら…！」
　ぼよよ〜んと揺らせたブラジャーの胸を、彫雅さんの顔の前に持ってきてあげた。

　目が点になってる。

「透け布だから乳首から乳輪までモロに見えるでしょう。オッパイの真ん中から下の筋がステッチの合わせ目、輸入品のＬサイズだからけっこう立体的な造り。でもエロ下着ってサイズがさぁ…」
　彫雅さんの目は９０センチオーバーの乳房に釘着け。

「輸入のＬサイズっていっても、Ｈカップのオッパイには小さすぎてアンダーが浮いちゃって」
　別にそんな余計なことまで説明しなくても良いのですが、背中に彫り物を刺れるということで、ノリノリになってつい言っちゃいました。

　彫雅さんは困ったような顔で、なにか言いたげでわたしを見ています。

「やっぱし、背中ってブラも外した方が良かったんですよね…」
　彫雅さんの顔色を見、気を利かせてブラを外しかけたときです。

「外さないで…！ブラはまだ構わないから。見ていたいんだよ俺、赤色の下着って特に好きだから」
　なんか変な返事でしたが、外しかけたブラのホックをもう一度掛けました。

　彫雅さんは作業場に上がり、わたしを見たまま湧き出る情欲にか困惑ぎみの顔です。

　さては赤い色の下着フェチなのか…？カズさんはそれを知っていて、自分の好みの黒の下着でなく、紅色の下着を着けさせたんだな。

「ここに座れば良いんですよね」

「アッ…ゴメン、その座布団の上に座ってくれていいよ」
　このいい女を前に、なにボーッとしてさ。もう。

　さっき居た四畳半が元調理場だと気づき、造りから作業場は座敷を改造したようです。
　上がりかまちに低めの床、ここが元座敷席、さっき黒川ってヤクザ屋さんがいた硬めのマットです。サンダルは履いたまま、座布団が敷かれた上に軽く腰掛ける。

　彫雅さんからオッパイの谷間がよく見えるように斜に座りました。

「どうぞ、肌の状態見るんでしょ。背中でもお尻でも、さわってくれて良いですよ。わたし写真見せてもらってますから」
　どうぞって言って意識させて変ですが、不自然にならないように、さっきの刺青写真集にまた目をやりました。

　気になる彫雅さんは斜め後ろ、紅色のブラを意識しているのが、おかしいほど分かります。手は背中から、最初ちょいとブラの背を撫でる。

　いよいよか。

　そんな感じで手のひらが横に廻り、指先が薄布の乳房にわずかに触れました。ゾクゾクっとする男の指先の動き、この感覚。
　わたしはされるがままに、写真集を見ているだけだというのに、それ以上は出来ないようです。

　オッパイくらい堂々とさわれば良いのに…。

「す、吸い付くような極細の肌だ。張りも弾力も失ってはいない。失礼だけど清河から２７歳だと聞いてたけど、風俗の若い娘より、肌年齢はずっと若いよ。こんな肌ならこちらからお願いしたいくらいだよ」
　褒めていただいた。その手は職人さんのちょっとざらつく男の温かい手でした。

　女の肌を触る緊張感か、言葉が余所余所しくなっています。肌年齢が若いか、カズさんにも２７歳ってホントの話、しなけりゃ良かったな。

「ぼ、僕はさ、彫り師として言うのは何なんだけど、女性が額や甲羅に男のように刺れるの反対なんだ。まして肌のきれいな緋紗子さんならね」
　素肌を探る彫り師の手、感じないことはありませんが、刺青作品の写真に気を取られ、彫雅さんの言うところの意味が、そのときはまだ分かりませんでした。

「ひ、緋紗子さんって、清河の言いなりじゃなく、刺青に興味を持っていてくれてるのが、よく分かるよ。なにかきっかけってあるたの」
　彫り師としてこんなに情熱と女性の施術写真があるのに、言葉に詰まるほど緊張して大丈夫なのかなと、わたしの方が心配になります。

「じゃ、彫雅さんに告白しちゃいます」
　とおふざけ半分に…。

「わたしが最初に刺青に惹かれたのは、総身に刺れた大手芸能プロダクションの社長を接待したときかな…？それまで腕や肩に刺れた人は見たことあったけど…」
　由香利がわたしに指名するのは、若い娘だと人怖じするそんなのばかり。

　少しウソも入ってるけど的外れじゃない、最初の刺青男はわたしを変態的なまでのセックス大好き女に調教した、玉川って言うサオ師さんだなんて言えないしね。

「全身刺青の方ですけど、刺青の腕に抱かれたとき、全身にゾクゾクっときて、それから清河の龍なのかな…？そうだやっぱり芸プロの田崎さんだ」
　彫雅さんの緊張を解くように、そんなことをひとり言のように話しました。

「芸プロの田崎って…！六本木の…」
　蛇の道は蛇、彫雅さんも知っていたようです。

「そう、その人から、俺の愛人になったらＡＫＢ入れてやるって言われたんですよ。それもセンターに立たせてやるって、この歳なのにねぇ…」
　抱かれながらの睦言に、芸能界入りを誘われたときのことを、ウソも交えて面白く。

「田崎さんったらね、２１ってサバ読ゃいいし、芸能記者連中にゃ１回抱かれりゃ清純派だとか、まだ処女だとか面白おかしく書いてくれるって。ねえ、このわたしがさあ、ＣＤ売りにオタク相手に握手してるとこって、彫雅さんは想像できる？。ふふふふっ…」
　男性をリラックスさせるのも接待秘書の話術です。

「えっ、アイツが社長っだって、ゴロだよ。芸プロの田崎ね…プッ…！絶対ウソだＡＫＢってっさ。ウフフフフ…緋紗ちゃん、お腹痛いよ、俺、久しぶりに笑ったよ。そりゃ…ＡＶの間違いだろ。アイツの自慢ったらＡＫＢの女の子を何人かＡＶに落としたくらいだぜ」
　散々笑われ、緋紗子さんから緋紗ちゃんへの格下げです。

　せっかく緊張を解いて上げたボケなのに、失礼じゃないですか…。

　だったら男にも負けないようなの背負いたいと、極妻のような総身に刺青を刺れた女性の写真を示したんです。全身彫り物ってソープ吉原の有名人さんの。

「エエッ…！さっきの話、聞いてくれなかったの。総身って、今時の若いのだって逃げ出すさ。まして緋紗ちゃんて、リソノって大きな会社の接待秘書さんだろ」
　彫雅さんはわたしの手を取り開いた写真集を取り上げ、すぐ横でちょっと怒ったような顔を見せました。

　そのときの彫雅さんの変わりよう、余りにも突然でした。

「緋紗ちゃんは俺みたいな男って嫌いか…？イヤなら言ってくれ…！俺、緋紗ちゃんに嫌われるのイヤだからさ」
　異容に目が据わった彫雅さんの手が、後ろから肩に回り、目の前にヒゲ面の唾に濡れた分厚い唇がありました。

「清河は誰にでもさせる女だと言ったけど、俺、緋紗ちゃんはそんな女じゃないとすぐに分かったよ。なんて言ったらいいのかよく分からないけど、風俗の女とは違うオーラを感じたんだ。だから」
　そういうことなんだとピンと来ました。それならそうと早く言えばいいのに…。

「いいんだね。緋紗ちゃん…！俺でいいんだね」
　なにがそんな女じゃないだ。この男、やる気満々に抱きついてるくせに…。
【前】/【次】
あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
2015年12月16日掲載
Copyright (c) 2015 浩一 All rights reserved.
▲