七月八日・午後一時九分 昼。豊田と滝、柳沢を乗せた車が山中の屋敷に到着し、調教に参加するメンバーが一堂に会した。 新顔のミサと拓海を上畑が紹介したあと、さっそく『作戦会議』がはじまった。 「今回のターゲットは月本涼子。年齢は二十二で、都内在住の学生です。三ヶ月前、食品関係の専門商社に勤める男と入籍しています」 リビングダイニングの隅にあるパソコンを操作しながら、独特のボソボソッとした口調で柳沢夏彦は言った。プリントアウトされた資料をミサと拓海がテーブルに分配する。 「夫の栄二は二十八歳、昨今の食品問題の影響でしょうか、このところ海外出張の頻度が増えていたようです。先日も北京に二ヶ月ほど滞在していました。仕事が忙しいせいか、挙式と新婚旅行の日程も未定のようですね。おそらくは、月本涼子の卒業を待ってから、というつもりだったのでしょう」 「この交通事故というのは？」 キッチンカウンターの椅子に座った滝が尋ねた。真新しいスーツを着こみ、髭も綺麗に剃り落とされていて、ホームレス時とは別人の様相だった。体格も大柄だから、実際の年齢よりもはるかに若く見える。 「月本涼子と入籍した直後、老人の運転する車と接触したようです。ただ、われわれの計画とはなんの関連もありません」 「……で、退院後またすぐに出張か」 「はい、海外だけでこの半年間で三回。国内を含めると、概算して約百二十日は家を空けてることになります」 「そこまで多忙となると、夜の営みはどうなんだろう」 「そう多くはないでしょうね、月本涼子自身もかなり奥手な性格のようですし」 「十六歳から最近にいたるまで、夫以外の男との交際経験はいっさいなし。そして、はじめての合コンで知りあった相手と即、入籍か」 調査記録の文章を雑に読みあげ、上畑はウーン、と低く唸った。目元の柔らかさが特徴の顔立ちだから、どんな表情でも笑顔に見える。 「これは初歩の初歩から調教しないとですかねえ、滝さん」 「でも、扱いやすそうなタイプではあるよ」 「柳沢、調教内容に関して南雲のじいさんから指示は？」 豊田がはじめて口を開いた。 「資料の五枚目をごらんください」 灰皿に煙草を押しつけて、豊田は印刷物の束をめくった。ほかのメンバーもそれぞれ文章に目を通す。 「身体面、精神面での健康状態を維持しつつ、淫行用奴隷としてのあらゆる性戯、性感を開発させること……？」 「どこにでもだせる女を育てろ、ってことさ」 眉をひそめる拓海に上畑が説明した。 「しかし、こいつは厳しいねえ」 ふう、と息をついたのは滝だった。 「変態プレイで苛め抜くだけなら、素人にだってできる。肉体だけが淫乱な女を作りたいなら、薬を使えばいい。だが変態プレイで感じる正気の女を育てるとなると、話は別だ」 「ええ。継続的な反復訓練と休息。何より、心のケアが必要ですからね」 「あと、本人の資質や過去の生活環境も関わってくる。かなり無謀な注文だよ、二ヶ月というのは」 リビングダイニングの空気が重くなった。 「……とりあえず、ひとつずつ仕込んでいくしかないかな」 「はい。まずは実物を見てからですね」 滝と顔を見あわせて頷いたあと、豊田は席を立った。 「いちおう俺と上畑で調教スケジュールを作成してみます」 「うん、頼むよ」 「柳沢、地下室の監視カメラはどうだ？」 「いちおう四台ほど設置しておきました。あとは出入口と通路ですかね」 「急いでやってくれ」 「わかりました。拓海くん、手伝ってくれませんか？」 「はい」 灰皿を持参した豊田と上畑がリビング側のソファへ、拓海がパソコンの前へとそれぞれ場所を移した。ミサが軽い会釈をして部屋を出る。 コーヒーを飲み干して席を立ち、滝は、黒いワンピースを着た女の背中を追った。 「仔猫ちゃん」 玄関ホール手前の廊下で声をかけた。 「悪いが、あとで部屋にきてくれないかな」 「滝さんのお部屋に、ですか？」 「うん。久々の実戦なんでね、少し手馴らしがしたいんだ」 その意味をすぐに理解して、ミサは悪戯っぽい微笑を浮かべた。 「つまり、わたしは練習台ということですわね？」 「ハハ、練習台か。こいつは一本取られたな」 滝は苦笑の目でミサを眺めた。涼しげな顔立ちの女だが、冷たい印象はなく、物腰も柔らかい。そういう女から意味深な口調でからかわれるのは楽しかった。 「本音は別さ、美女は放っておけないたちなんでね」 「お世辞でも嬉しいですわ」 「世辞じゃない、男としての責務だよ。ノーブラにノーパンのいい女を前にして、指を咥えて黙ってるわけにはいかない」 「あら、いやだわ」 驚きの裏側に期待を隠したような声だった。 「……いつからお気づきでいらっしゃったの？」 「誰だって気づくさ」 滝の目線がワンピースの胸元に落ちる。特別に襟の開いた服ではないというのに、胸の谷間が目立つ。鎖骨のすぐ下からもう亀裂がはじまっているのだ。ノーブラだから、形状も手に取るようにわかる。 「そういう趣味なのかい？」 「これも仕事の範疇ですから」 「いつでも相手ができるように、ってわけか」 女の白い腕が滝の首にまわった。 「おいおい、仕事はいいのかい？」 「問題ありませんわ」 リビングダイニングから人が出てくる気配はない。パソコンのキーボードを叩く音、プリンターの起動音だけが室内から聞こえてくる。滝は、右手で彼女の腰を支えた。 「わたしも楽しみにしていたんですのよ、滝さんにおあいするの」 そう言って豊かな胸ごと身体を押しつけてくる。男を誘惑する術を知り尽くした女特有の緩慢な動作だ。 「この世界では有名ですから、長老のお噂は」 「ハハ、その呼びかたはやめてくれ」 「身も心も蕩けさせていただけますか？ ご自慢の『神の手』で」 「ご所望とあらば、尽力するよ」 ふたりの唇が重なった。 ☆ 同日・午後八時三分 つなぎの作業服を着た男たちがライトバンに乗りこみ、屋敷から去っていく。遠ざかる車のテールランプを廊下の窓から見送ったあと、豊田は、玄関ホールの階段をおりた。 すでにほかのメンバーはリビングダイニングに集結していた。 「荷物が搬入されましたよ、豊田さん」 パソコンデスクの前で上畑が声をかけた。 豊田は部屋の隅へと歩んだ。Ｌ字型の事務用机に三台のテレビモニターが鎮座している。そのうちのひとつに、四分割された室内の映像があった。単なる部屋ではない、鉄格子とコンクリートの壁で仕切られた牢屋である。 そのなかに、ターコイズ色のドレスを着た月本涼子が軟禁されていた。手足を縛られ、荷物のように床にころがっている。 「カメラを顔に寄せてくれ、できるか？」 「はい」 柳沢がパソコンのキーボードを操作すると、別のモニター画面に女の顔がアップで映しだされた。すでにさんざん泣きはらしたのか、化粧がほとんど落ちかけている。小さな唇はボールギャグの口枷でぱっくりと開かされ、ウーウーと低い呻き声がスピーカーから流れる。 「本当に幼いねえ」 顎に手を添えて滝はつぶやいた。 「こういう姿ならもう少し色気があってもいいものだろうに。顔だけなら、まるきり小学生じゃないか」 「でもまあ、マニア受けしそうな絵ではありますがね」 「上畑くん、ロリコン趣味があったのかい？」 「ハハ、まさか」 上畑は失笑した。 「正直、僕も今回は乗り気じゃないんですよ。彼女、この前共演した中学生の子役タレントに似てるから」 「確かに純朴そうな娘ではあるがね」 「柳沢、すぐに下におりても大丈夫か？」 「すみません、五分だけ待ってください」 慣れた手つきでキーボードを叩きながら柳沢は答えた。 「カメラの最終チェックをおこないますので」 「なら、それまで小休止といこうかね。仔猫ちゃん、コーヒーのおかわりを頼むよ」 「はい、ただいま」 ミサはキッチンの奥へと歩み、ソファに戻った滝と豊田にコーヒーをはこんだ。 「あの、上畑さん」 キッチンカウンターに座る上畑に拓海が声をかけた。 「南雲泰治って、どんな人なんですか」 「気になるのかい？」 「はい。今回の依頼人なんですよね」 「ま、そういうことになるかな」 上畑は煙草に火をつけた。 「拓海くん、山下初音って女性を知ってるかい？」 「確か、不倫問題で芸能界を引退した女優ですよね」 「じゃあ、嶋彩香は？」 「将棋だか囲碁だかの女流プロの人じゃ……前によくテレビに出てましたよね。そういえば最近見ないなあ」 「沢口美加子」 「ええと……知りません」 「政財界じゃそれなりに有名なやり手の未亡人実業家さ。全員、この屋敷で僕たちが調教した女たちだよ。南雲泰治の指示でね」 「ええッ？」 拓海は大げさな声で驚いた。 「南雲泰三……といっても、拓海くんの年じゃあわからないか。八十年代に影の総理と呼ばれた大物政治家がいてね。南雲泰治はその息子さんさ。父親の名と財をそっくり継承して、今でも各方面に強い発言力を持ってる」 「なんだか怖そうな人ですね」 「見てくれは普通のじいさんさ」 「じゃあ、さっきの女の人たちはみんな……」 「確かに愛人もいるが、単なる性欲や道楽だけで動いてるわけじゃない。偉い人には偉い人なりの問題があってね、そのゴタゴタの処理をあのクソジジイはやってるのさ」 「ゴタゴタ、ですか」 「うん。それに、わけありなのは女たちだって同じさ。社会の裏事情や男女問題、金銭トラブル……自分の意志で調教を受けた女もいるし、そうじゃない女もいる」 「それじゃあ、今回の女の人は……」 拓海が口を開きかけた矢先、柳沢の最終チェックが完了した。滝と豊田がソファから立ちあがる。 「それじゃあ戦闘開始といくかね。柳沢くん、撮影の準備は？」 「万全です」 「よし、いこう」 ミサと拓海を除く四人で部屋を出て、玄関ホールの裏手にある廊下を進む。 狭い通路の奥には、明らかに異質な感じのする鉄製の扉があった。滝が鍵束を取りだし、ドアノブにさしこむ。不気味な音をたてて扉が開いた。 奥にももうひとつ扉があって、その先は、地下へとつづく階段となっていた。階段といっても、最初の数段だけがかろうじて視認できるだけで、そこから先はほとんど暗闇に閉ざされている。まるで地獄への入口だ。 扉を内側から施錠すると、闇はいっそう深いものになった。 廊下灯のかすかな明かりを頼りに、まず滝と上畑が、次いで撮影機材をかかえた柳沢が階下へとおりていく。その背中が闇に消えたのを見届けてから、豊田も足を踏みだした。愛娘の顔が一瞬だけ頭をよぎる。 「ミイラ取りがミイラ、か」 自嘲気味につぶやいた。 足音が階段の奥へと消える。静寂と闇だけがあたりを包んだ。やがて、女の悲鳴にも似た鉄扉の開閉音が階下から聞こえた。 |
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| 2009.8.22掲載 |
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