ヒトツバタゴの咲く島で


ヒトツバタゴの咲く島で【知佳の美貌録】知佳作
若い漢を母娘で共有　若かりし頃、中州でずいぶんと浮名を流した美人ママが、ゆえあって比田勝に流れ着いていた。彼女の欠点は数々あった。中州でも指折りであったろうと思われるほどの美人ながら、育ちの悪さが素行に出てしまい、儲かるはずなのに、白鳥の経営となるとそれほどでもなかった。その苦しい生活の中にあって、実に可愛らしい女の子を、彼女なりに育てていた。一部の噂では、さる御大との間に出来た、いわば非嫡出子らしい。　当時、そういった生活の不足分を彼女は、呆れたことに漢を囲うことで埋めていた。囲うのだから、益々生活費に苦慮すると思いきや、飯をただ（ロハ）で食わす代わりに、なんやかやと理由をつけては囲った漢に金品をねだるのだ。　つまり、表向きは囲う風に見せかけておいて、その実懐具合や下の口までも面倒見させるというのが彼女流のやり方だった。中州がそうならこちらでも、生まれてこの方美人というだけで、ちやほやされて生きてきたものだから、金銭感覚なるものがとんと疎い。店では客の財布を使い、自分も一緒になって呑み食いし、勘定時になると酔いつぶれてそろばんが弾けない風を装い客に全てをおっかぶせる。翌日ともなれば儲かったのか、はたまた損してるのか、極楽過ぎて判断がつかない。そこで足りない分を、漢妾さんに一宿一飯の恩義とかなんとか言い立てて払わせる、つまり払う気のない借金を申し込むのだ。　彼女の悪癖はもうお気づきの通り、相手が上流階級の、それも女に飢えているとみるや、見境なしに囲い込み、契りを結ぼうとしてしまうのである。　なのに対馬に流れてきたのは、その御大に迷惑かけたくなかった…、のではないかと思われた。業界好きの鉄火の女で通していた。　彼女が好む漢とは　こういった事例がある。　冬場、対馬の磯は大グレ（メジナ　対馬ではクロと呼ぶ）、沖では寒ブリ（８５センチ以上をこう呼ぶ）のシーズンに入る。この時期に限って磯の何たるかを知らない俄か太公望が対馬に集結する。その中に、鉄火女の噂を聞き付けこの日、岡でも海でも釣り糸を垂らしたい野郎が比田勝に上陸した。　本土でよく言うところの、名前だけはさる会社のお偉いさんという手合い。どういう経緯で美人ママのもとに辿り着いたのかは知らないが、辿り着くやいなや一直線に白鳥を目指し、店でしこたま呑んで、その勢いで自宅（ほんの１０メートル先が玄関）に押し掛け……、いや、どうやらママのいつもの悪い癖が出て、アレしたさに持ち帰ってしまったようなのだ。　というのも、好みの漢が店に来ると、スナック（名前はバー白鳥となっているが、届出はカクテルなど作れないスナックとなっていた）が本来やってはいけない、カウンター奥から出て来て、並んで座り酌をする、いわゆる純性接待をやるのである。漢が躰を触り始めると、それにつられ自分も漢の太股や果ては持ち物に触る。品定めをしておいて、場所を変え、肉を貪り合うのである。「どうすんだよ、あんな奴家に入れて！」　早速透くんという名の自衛官、つまり漢妾が食って掛かる。「どがんしたと？　何も悪か人やなかとに、そがん言い方はなかろうもん」　せっかくの親切に水を差すのかとママ。　　店も廃屋も廃屋、掘っ立て小屋なのに、中だけそれなりの雰囲気を醸し出す壁紙を張り、派手なライトを取り付けた。たったそれだけの実に粗末なもの。　自宅に至っては、隣国の不法滞在者が出て行って空き家になった廃屋に、勝手に棲みついていて、役場から追及されると追い出すのかと息巻く。対馬であるからして流れ着いた人々は、手元に何も無いわけだから、仕方なしに流木をかき集め、外は適当に板を打ち付けたような粗末な小屋を建て棲み付く。土地は狭く、どこからかかき集めてきた材料を使って建てるものだから、２部屋に台所と風呂が付いているだけ。独身者ならいざ知らず、家族が住むには狭い。その貴重な部屋だが、ママと透くんは上がり框にある居間を使い、佐恵子という女の子だけが別室を与えられている。後にも先にもそれしか部屋はない。そこにしっかり酔ってしまった、それも恐らく下心があるであろう漢を連れ帰ってしまっていた。　朝が苦手で起きれないママが、深夜遅くに酔った勢いでご飯を炊き、おかずを作る。明け方近く、佐恵子と透の様子を窺いつつ床につくのだが、ご無沙汰過ぎる脂ぎった中年の漢とひとつ布団に折り重なって寝るものだから、コトが始まると妖しげな声を漏らしてしまっていた。透は、それでなくとも佐恵子を意識しすぎ、寝たふりしてるものの、ほとんど寝れてない。そんなふたりの気持ちなどどこへやら、暗いうちにひそひそ声で何やら話してると思ったら、持つものを持たせ、釣行の見送りまでしている。　こういった折の漢は眼鼻が利く。隣室に寝ているであろう娘の存在に気付いた。ママとはまた別の、微かな芳香が漢を更に逞しくさせていた。早朝、ママに見送られ、さりげなく釣行したが、機会あればと狙っていたんだろう。「よく言うよ。寝かせてやった挙句、弁当まで持たせて送り出すなんて……」「男んヒトやもん、弁当ぐらい持たせちゃらんと……、冷たかこと言うっさねえ～、透ちゃんは」　にべもない　透は余程、俺は別として佐恵子が隣の部屋で寝てるのに、明け方近くまさぐり合わなくても……、と言いたいのだが、そこをグッと堪え上番の準備にかかる。「朝飯もそうなら、弁当代も…、ひょっとして夕べの飲み代も貰ってないんじゃない」　透は佐恵子を将来と決めてかかっている。その佐恵子の手前、財布はひとつなんだからと言いかけると「商売ったらそがんもんばい、あん人は会社んお偉いさんばい、出そうと思えばポンッと出してくるるとばい」　久しぶりに息をひそめ、契りを交わせたあものだから、無事帰ってきたら今一度とでも思うのだろう、躍起になって突っかかって来た。　フェリーの到着日も海は荒れたが、翌日の釣行も海は荒れに荒れ、撒き餌をした甲斐なく、釣果はゼロだったらしい。というのも、瀬渡し船が選んだ釣り場が海栗島の沖合なら、狙った魚がブリと来た。群れで回遊するため、その日の潮の流れによりけりで、この日は対馬側ではなく本土側を下ったらしい。撒き餌代５～７万がパーになる。釣れなきゃ釣れないで別の竿を使えるのだから、真っ直ぐママのもとに帰ってくれば良いものを、どうやらその日はゲン直しにバー桂で夜を明かしたらしいのだ。「俺が夜勤に上番してる間に、あの漢を部屋にあげたりしないでよ、佐恵がどんなに怯えてたか……」　佐恵子を送り出すと、ママに向かって一言釘を刺し、透は午前１０時頃、交番脇に鰐浦に向かうべく停留中の、自衛隊の輸送トラックへと向かった。　午前６時４０分頃、この同じ場所にボンネットバスが止まり、上番自衛官を乗せ、一路渡船場のある鰐浦に向かう。交代勤の連中が、今度は乗り物をトラックに変え、比田勝の交番脇へと向かう。このトラックがいわゆる糧食運搬を兼ねた上番者輸送便で、透はこの便に乗って他の連中より一足早く（夜勤上番者は通常、２便遅い午後４時前の便に乗る）上番するのが常となっていた。　　バー桂の女の部屋から出てきた件の漢は、その足で至極当然とでも言いたげにママの元へ向かった。呑み代もそうなら女を買ったソレらすべて、白鳥の借金でと言いくるめ帰ってきており、バー桂もこの漢の持ち物に岡惚れしたであろうママに、至極当然とこの夜のお代をおっかぶせた。「お前が紹介してくれた、あの釣り船はダメだぞ、さっぱり釣れないどころか、船酔いで朝方まで吐きまくってた」「そうね……、心配しとったとばい、帰らんもんだけん……、食事はどがんしたとね？」　まるで亭主を迎え入れるが如く、気を使いまくる。　釣り船は暁闇に出発し、午後も早くに港に帰ってきていて、ママのそれをよく知っている。なのに、翌日も朝遅くに帰って来たとなると、どこかで遊んでたことになる。けれどそこがかつて中州で流した美人ママ。女が欲しくてたまらない漢の心理をちゃんと心得ていて、まず体調はどうかと問うた。自分もそうなら、桂の女もまた、まともに食事を作れるわけが、漢の面倒をみれるわけがない。ノコノコ帰って来たということは、腹ごしらえし、ひと眠りし、翌朝もまた、気力に任せ寒ブリ狙いに船を出すつもりでいるらしい。　お客様用の食用品に渡船代、それに加え仕掛け料に撒き餌代。更に昨夜のバー桂の飲み代という名の、女を買ったことによる借金、それらすべて現地妻である白鳥のままにおっかぶせ、無一文を決め込む彼。女房が財布を握っている以上フェリー代程度しか出せるわけがなかったようなのだ。「すぐ用意するばって、待っときや」　巾着を握って駆けだした。宮田が転がした、あの女の子が売り子をやってる魚屋に酒の肴を求め走ったのだ。酒はあるにしても、これから抱いてもらおうとすれば朝食であっても気の利いた刺身なりを、上等の酒を添え差し出さねば、現地妻としてみてくれないとでも思ったらしい。「おう、すまんなあ……、わざわざ買い出しに走らんでも、茶漬けで良かったのに……」　殊勝なことを言う割には、部屋のそこかしこをゴソゴソした形跡があり、しかもその顔に余裕すら浮かべる。しまったと思ったときには既に遅かった。ほんの一足違いで娘の佐恵子が帰り着いていて、こちらはやけに怯えているらしく、しっかり飲み食いし、ぼちぼち金の無心が始まるだろう頃になっても、別室に引っ込んだまま一向に居間に出てくる気配がない。「男ん人は食うもん食わんば力が出んぢゃろが」　過去の経験から言っても、恐らく娘と漢は出来てしまったであろうことは見て取れたが、それ以上に明け方の閨が想い出され、妄想なるものが湧き起こり、娘はともあれ自分こそ今は漢を欲しがって疼いていることを自覚せずにおれなかった。ここで親切ごかしのことをやっておかねば、この家に二度と帰ってきてもらえないし、抱いてもらえないとでも思ったらしい。　可愛そうとは思うのだが、女の子は遅かれ早かれ漢を迎え入れることになる。花子も佐恵子の年頃には客を取らされていることを、当の佐恵子も知っている。佐恵子のことは見なかったことにし、片づけを終えると十八銀行へと、小走りに駆けて行った。借金を申し込むためだ。台所の戸棚に隠しておいた、お店を切り盛りし、生活費に充てるお金がごっそり消えていたからだ。船長に問い合わせると、心配した通り、渡船と餌代だけでその程度の金額。それら全て帰る前に払うという約束でツケにしているという。　こうして用意したなけなしのお金を漢に手渡し、送り出した。潮目がよかったのだろう。この日は念願のメートル超えの鰤を釣り、しかしそれを次郎長寿しに卸し、そのお金を持って漢はママに一言も挨拶することなく帰っていった。「んんんっ……、あの男帰ったん？　……それで払ってくれたん？」　隊の電話交換室でワンオペ、つまり夕方４時上番～明朝９時下番のオールナイト・オールナイトを終え、夜勤明け中番で帰って来た透は開口一番ママにこう問うた。「ええええ、帰ったとよ、大物釣り上げてん喜んで」　いやに歯切れがよい。納得済みでの遊びが遊びなら、商売も商売。自分がいない間、さぞかし可愛がってもらえたのだろう、仕方ないことだと諦めかけてふと不安が募り、思わず佐恵子の部屋に走り、学習机の中に潜ませておいた彼女の将来のためにと透がお金を出し作った彼女用の貯金通帳を見た。残高がゼロになっていた。　さすがママの娘というべきか、初心であってもそこはお年頃、手慣れた中年漢の性技に、許嫁のような存在となっていた透のことも忘れ開き、挙句逝かされてしまい、あまりに刺激的だったせいか、母に奪われまいとするあまり、透から手渡された将来のため使うべく金のありかまでをも、問われる前に吐いてしまったのである。　こうなってしまうと、悔やんでみても始まらない。彼女の思考は母同様、中年漢の持ち物に注がれているからだ。「―― あの野郎、佐恵子にまで……」　ママ以上にきれいな佐恵子である。飢えたからこそ対馬くんだりまで足を延ばした、漢の手にかかったことは状況からして聞くまでもなかった。歯ぎしりし悔やんだが、後の祭りだった。　俺の金を勝手にと言いかけて息を呑んだ。限界を超えてまで火照る躰を精神力で抑え込み、漢に対し見栄を張りとおしたのだろう。台所の脇の扉を開け放ち、内からも外からも丸見え状態にしつつ透き通るような肌を惜しげもなく晒し、湯あみを始めていたからだ。
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【知佳の美貌録】
2025年7月29日掲載
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