鞭を執れ
はちみつ太郎 作
３１


　女体を覆うものは口と鼻だけ開いたラバーマスクのみ。後手に拘束され、冷えたコンクリートの床に転がると、動くこともままならない。

時間の経過すらわからないが、目覚めてから3時間が経った頃、聞き覚えのある男の声がする。

「起きてるか？生きてるよな？」

　３８０９と呼ばれていた男の声に間違いなかった。小春は、何も声を発せず、音のする方向から顔をそむけた。

　３８０９は、小春の顎を持ち、口元にペットボトルを宛がう。

　小春は、拒絶の意を示すが、３８０９が内容物を伝えると一転して宛がわれた飲み物を飲み始めた。

「喉の渇きの原因は、薬物のそれかもな。」

「薬物って、、。」

　小春が口を離し、疑惑の言葉を問いただす。

「まぁ。ご心配なく。覚せい剤やコカインってものじゃねぇ。ＭＡＤの家で食らったのは、睡眠導入剤と興奮剤を混ぜたようなもの、脱法ドラッグの類よ。」

「、、、。」

「癖にはならんよ、ま、これからの物の方が癖にはなりやすいかもな。」

「そ、そんなものを使うなんて、、。」

「使いたくなる時も来るよ、これからのお前さんへの仕打ちじゃな。精神的に参ったら、、、ごちそうしてやるよ。」

「ねぇ、、。帰して、、、ここから、出して。」

「言うこときいてりゃ、帰れるよ。」

「なにを、させられるの、、、。」

「、、、。再現ドラマの女優かな、簡単に言うと。」

　３８０９は、小春の口元からペットボトルを離し、飲み干したボトルを部屋の隅に置いた。

「よぉ、嫁ちゃんよ、、、最後に飯食ったのいつだ？」

「、、、。」

「ＭＡＤの家に行く前だよ、いつだって？」

「、、２時間前に。」

「ってことは、、、、。わかった。」

「、、、。」

　３８０９は、時間の計算を小春には伝えず、檻の扉を閉じた。小春は、鍵のかかる音を聞き、ここがマンションや、住宅ではない、特殊な建物であることは理解できた。

　コンクリートの壁に背を付け、脚を伸ばし、次のアクションを待つしかなかった。

「計さん、、、。」

　計の名をつぶやくと、ラバーマスクの中に伝う涙。それを拭うことは出来ないでいる。

　この先の仕打ちを３８０９の言葉から探る。

「再現ドラマ？」

　テレビで良くある再現ドラマを想像した。主役なのか脇役なのか。登場人物は、シチュエーションは。

　小春は、暗い闇の中で模索する。

　裸で転がされている自分に、柔なドラマは演出されないだろうと自答する。

　あずさの足音を聞くまで堪えられるか、

　計の存在は、おそらく餌にされることは理解できている。

　鍵がかけられ、その先の音は聞こえない。車両の移動する音もなかった。部屋の位置、建物の位置、配置されている監視の数。

　それらの情報は、３２０１と３８０９の存在のみだった。


　これまでの加害者とされた夫婦の片割れの行方不明から、自殺と断定される遺体の発見までの平均を想像し、凌辱され続けられる日数を想定した。

「４５日も、、、ある。」

　長く想定した日数は、凌辱を重ねられる日数と、摘発までのアドバンテージの日数。

　小春は、アドバンテージととらえていたが、現実は人間としての尊厳を失わされる日数であることを今は知らないでいる。


　尊厳を失わされていく時間のスタートは、早くも訪れた。

　３８０９でも３２０１でもない声が、遠くから聞こえてくる。

　３人目の登場人物が近づきを感じ、身構える。

　壁ににじり寄り、脚をきつく閉じ、声のする方向から遠ざかろうとする。

　鍵の開ける音はせず、扉の向こうから声を浴びせられた。

「黒田小春、２４才、、、住所、○○県広山市、、鴻之台４丁目１２９−１、ベルハイツ１０５号室。」

「、、、。」

「職業、無職、、専業主婦。」

「、、、。」

「黒田計、２７才、、、住所、○○県広山市、、鴻之台４丁目１２９−１、ベルハイツ１０５号室。」

「職業、トヤマ運送、セールスドライバーか。」

「、、、。」

「これから、戸籍の姓名である、黒田小春という名は捨ててもらう。ここに、名前のあるやつはいないからな。」

「戒名をつけさてもらったよ、まぁ、３文字で良かろうと、ま○こを濡らすだけの奥さんにはよ。」

「戒名って、、、。」

「そうよ、死んだ者の呼び名よ。」

「、、、。」

「黒田小春、改め、淫童女と呼ぶ。そう心得よ。意味はな、淫らな事を覚えてしまった成人していない女の子ということだ。」

「、、、。」

「旦那に言われ、見知らぬ男と交わり、それを他人に見せつけるなど、こういう名がふさわしいとは思わんか？」

「淫童女。」

「、、、。」

「呼ばれたら返事を。」

　小春は返事をせず、声のする反対を向いた。

　扉が開くわけでもなく、呼ばれたら返事をという声が何度もこだまする。

「、、、そんな名前、、、、。」

「名前なぞないといったろ、ここは、人間世界とは程遠い所。三途の川のほうがまだましだろうて。」

　小春は、呼び名を呼ばれても無視を続ける。

「旦那の事を教えてやろう、、、あいつの戒名はな、、、尻童中とした。」

「しりとわらべとなか。で、しりどうちゅう。良い戒名だろ。」

「、、、。」

　小春は、計の身体に何が起こっているか想像した。

「け、い、、旦那に、何を。」

「まぁ、大したことではないよ、夫婦仲良く、穴という穴を使い、御仏にこれまでの懺悔をしてもらうただそれだけよ。」

　小春は、何も言わず、うなだれた。

「想像できたか、そうよ、尻の名は、、、。」

「なんてことを、、、。」

「怒らんでも良かろう、尻童中は、淫童女の尻の穴を誰かに掘らせるつもりで、男を探していたのだろ。」

「その報いを受けてもらっているんだから、感謝されてもいいくらいだ。」

「、、、。だ、だんなは、、、。助けて、、、お願いだから。」

「もう助けられん、御仏の心次第。尻童中は、穴でご奉仕しながら懺悔の言葉を、念仏のように唱えているよ。」

「そんな名で呼ばないでっ。」

「淫童女が粋がっていられるのも、尻童中と同じ２時間までだろうな。」

「、、、。」

　３人目の登場人物の声は、それから聞こえなかった。遠ざかり、立ち去る音はしたが、その場に残る雰囲気は、小春の不安の増幅に寄与していた。
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2020年9月1日掲載
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