若妻・預かります ひら 作
◆第１０章 　水曜日の夜、ニューヨークに滞在している朝倉から電話がかかってきた。 　俺は複雑な気分で彼の声を聞いていた。親友を裏切るような真似はしないと言った自分の言葉が、深く心に突き刺さって来る。 「上条、どうだ？ 優美とはうまくやっているか？」 「ああ‥‥。毎晩ご馳走を作ってもらって、本当にこちらが恐縮してしまうぐらいだ」 「ふふ、ご馳走か‥‥。どうやら毎晩の寝室の方でもうまくいっているようだな」 「おい、朝倉、それはどういう意味だ？ お前、優美さんが一人で寝られない事を知っていて‥‥。一体どういうつもりなんだ！」 「まあ、落ち着けよ。お前は自分と優美の病が、表と裏の関係のように似ているとは思わないか？」 　俺はその問い掛けに、膣では感じないペニスと、ペニスでは感じない膣との奇妙な関係性を思い返していた。 「それは‥‥まあ、確かに‥‥」 「だから、お前に優美を預けることにしたのさ‥‥」 「‥‥どういう事だ？」 「同じような心と身体の傷を抱えている者同士が、一緒に暮らしてお互いを見つめ直すことで、今よりも一歩前に進んで行ってくれる事を願ってな。ちょっと乱暴だったかもしれないが‥‥」 「‥‥そうか。お前はそんな事を考えていたのか‥‥」 「どうだ？ 少しは効き目があったか？」 「ああ‥‥。優美さんには心から感謝しているよ。おかげで、過去から逃げずに向き合っていく覚悟ができたような気がする‥‥」 「そうか、それを聞いて安心したよ。お前に優美を預けたのは間違っていなかったんだな‥‥。あ、ところで、そろそろ彼女に変わってくれるか？」 「ああ、そうだな‥‥」 　俺は傍らにぴったりとくっついて、朝倉との会話を盗み聞きしていた優美の頭をポンポンと軽く叩いてやりながら、受話器をホイと渡してやる。 　彼女はそれを嬉しそうに受け取ると、夫との近況報告を始めていった。 　俺は彼女から離れてソファにドスンと腰を下ろしながら、朝倉の言った言葉を噛み締めていた。 　アイツは‥‥俺たち二人の心の病が良い方向へ向かうきっかけになればと考えて、愛する妻を置いていったのか‥‥。 　そんな朝倉の託した願いを考えると、この５日間に俺がしてきた行為の数々は正しかったのだろうか‥‥。 　朝倉と電話で会話をしながらも、こちらに向かってパタパタと手を振ってくる優美の可愛らしい姿を眺めながら、俺はこれから先の事を真剣に決めなければならない時期に来ていることを痛感していた。 　翌日の夕方、俺たちは自宅から１０分ほどのところにある剣道場を目指して歩みを進めていた。 　今日の優美は白のＴシャツに水色のホットパンツ、白いハイソックスというラフな格好をしていたが、ピチピチとした剥き出しの太腿とＴシャツから淡く透けて見えるブラのシルエットに思わずドキッとしてしまうほど魅力的だった。 　そうして並んで歩いていると、彼女が俺を上目遣いに見ながら“興味津々です”といった顔つきで尋ねてくる。 「あのぉ、晃さんは、なぜ剣道を始めたんですか？」 「ああ、そうだな‥‥。優美は“六三四の剣”という昔のコミックスを知ってるかい？」 「うーん、わかりませんねぇ‥‥」 「俺は子どもの時にそれを読んで、亡き父の目指していた剣の神髄を追い求めて、ひたむきに打ち込んでいく少年の姿に物凄く感動してしまって‥‥、それで剣道を習うようになったんだ」 「うふふ、なんだかとっても可愛い♪」 「あ、あのなぁ、これでも高校時代にはインターハイまで出場しているんだぞ」 「わぁー、すごい！ それで今でも道場に通っているんですね」 「というか、お世話になった先生に恩返しがしたくてな。週に１回だけだけど、子どもたちの練習の手伝いをやっているんだ」 「とっても素敵ですね‥‥。けど、何で私を誘ってくれたんですか？」 「優美には‥‥俺の全てを見て欲しいと思ったから」 　それを聞いて彼女は心の底から嬉しそうに微笑むと、俺の右腕にしっかりと両腕を絡ませてきた。俺はそんな彼女の姿を見つめながら、自分の行動が間違っていないんだという事を確信していく。 　目的地に到着すると、俺はさっそく剣道場に入り深く一礼した。 　すでに道着をつけて準備運動を始めていた数人の小中学生たちが、俺たちの姿を目ざとく見つけて駆け寄ってくる。 「先生、そのヒトは誰だ？ まさか恋人か？」 「ええー！ 先生に恋人なんていたのか？ し、信じられねー」 「チョーきれいなヒトじゃん。先生、やるなー」 「いいなー。オレもこんな彼女がほしいぜ！」 「あ、あのなあ、もっと言い方があるだろうが‥‥。まったく近頃のガキどもは」 「こんばんは。優美と言います。今日は私の方からお願いして練習を見学させてもらいに来ました。みなさん、頑張ってくださいね」 　その言葉に男子生徒たちは俄然やる気モードになっていた。口々に「頑張ります！」と叫びながら準備運動を再開していく。 　俺は、美人の力というのは大したもんだと改めて感心しつつ、準備運動を始めていった。 　１時間半の稽古が終わると、優美の持参してきたおにぎりの山を囲んでのささやかな食事会を催すことになった。 　今日の稽古に来ていた小中学生は男の子ばかり全部で８名ほど‥‥。野球やサッカーの人気に比べると少し寂しいものを感じてしまうが、みんな真剣に打ち込んでいるので、ついついこちらも頑張ってしまう。 　目一杯運動をした後のおにぎりは最高においしくて、車座になって食べているみんなの顔からも、たくさんの笑顔がこぼれてくる。優美はそんな子供たちの顔を眺めながら満面の笑みを浮かべていた。 　すると、俺の真っ正面に座っている、この道場の師範でもある中山先生が声をかけてきた。 「いやー、上条くんが恋人を連れて来る日が来ようとは‥‥思ってもみなかったな」 「先生、それはひどいっすよ。俺だって決める時にはちゃんと決める男ですよ」 「はっはっ。それよりも優美さんとはどこまで進んだ仲なんだ？」 　その質問に、待ってましたとばかりに、子どもたちからも過激なヤジが飛んで来る。 「オレもそれが気になっていたんだ！ 上条先生、もうキスはしたのかー？」 「一緒に連れて来るぐらいだから、当然してるんじゃないのか！」 「いいなー、こんな美人とキスができて。チョーうらやましー！」 　優美は囃し声に顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。俺はそんなガキどもの騒音をハネのけるかのように宣言してやる。 「羨ましいと思ったら、お前らも剣道に一生懸命打ち込んでみろ！ そうすれば、可愛い恋人が必ず出来る！」 　その力強い宣言に生徒たちが一斉に歓声を上げた。「おおおー！ そうかー！」「オレも剣道を頑張って彼女をゲットするぞー！」「おおっ、やってやるぜー！」とか思い思いに叫んでいる。 　その様子を見ていた優美が隣でくすくすと笑い出した。 「子どもって、やっぱり真っ直ぐで、何だかうらやましくなってしまいますね」 「そうだな‥‥。あいつらを見ているとこっちも頑張らなきゃって気持ちになってくるよ」 「おいおい、上条くん。私の質問にはまだ答えてくれていないようだが？」 「先生、その話題はもう勘弁してくださいよー」 「うふふっ。先生、私たちの関係はまた改めてご報告させていただきます」 「ゆ、優美っ！ そんなことを言ったら、先生が誤解してしまうぞ」 「了解した。君たちの正式な報告を楽しみに待っているよ。あっはっは！」 　というような具合で散々からかわれながらの食事会となってしまったが、俺は優美を連れて来て本当に良かったと感じていた。 　自分をしっかりと正面から見てくれて、そして心から応援してくれるヒトがいるという喜びをこれほど実感できた事はなかったし、子供たちからもたくさんの勇気をもらったような気がする。 　そんな満足感にひたりながら帰りの道を歩いていると、優美が胸の前に手を合わせながら楽しそうに呟いてきた。 「うふふ、うれしかったぁ。晃さんが“可愛い恋人”と言ってくれて‥‥」 「あぁ‥‥、またその話かぁー」 「うふふ。それと‥‥、もうキスはしたのかと質問されて、ちょっと困ってしまいました‥‥」 「‥‥え？ 何故だい？」 「だって、本当のキスは‥‥まだしていないから‥‥」 　優美はぼそぼそと小さな声で呟きながら顔を真っ赤に染めあげていく。俺はそんな彼女の姿を見つめながら、意を決して答えることにした。 「優美。本当のキスというは、愛し合う恋人同士だけに許されるものだと思うけど‥‥。俺の考えは間違っているかい？」 「いいえ。私もそう思います‥‥」 「だから、今までできなかったんだ‥‥。俺には、する資格がないと思っていたから‥‥」 「‥‥‥‥」 「けれど、今ならできる‥‥。優美を心の底から愛していると確信できたから‥‥」 　俺は華奢な両肩にそっと手を添えながら、彼女の端正な顔を正面からジッと見つめた。 　彼女は澄んだ瞳で俺を見つめながら、天使のような微笑みを返してくれる。 　俺は顔をそっと近づけると、彼女のピンク色の唇に自分の唇を重ねていく。 　柔らかい唇に触れた瞬間、頭がジーンと痺れてきて、ふわふわとした感触に五感が支配されていく。 　俺はその感触をもっと味わいたくて、可愛い唇を吸い上げてみる。 　優美の唇は蕩けるような甘い蜜の味がした。 　たまらなくなって、その柔らかい唇をさらに吸い上げながら、彼女の身体をきつく抱き締める。 　愛らしい唇に舌先を押しつけると、彼女は小さな口を開いて迎え入れてくれた。 　舌と舌とが激しく絡み合い、そして求め合う。 　彼女の口の中を存分に舐め回しながら、ジュルジュルと唾液を吸い上げていく。 　彼女の身体がビクビクと小刻みに震え出す。 　俺は吸い上げた甘美な唾液を口の中で心ゆくまで味わいながら、テラテラと濡れる唇を貪るように吸い上げていった。
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2010年2月13日掲載
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