若妻・預かります
ひら 作
◆第４章

　土曜日の朝、俺が目を覚ますと彼女の姿が消えていた。俺はあわててベッドから跳ね起きると、廊下を走りリビングルームのドアを勢いよく開けた。
　そこで俺の視界に飛び込んで来たのは、リビングの右側にある対面キッチンで楽しそうに朝食を作っているエプロン姿の優美だった。

「晃さん、おはようございます。よく眠れましたか？」
「あ、ああ‥‥。おはよう、優美さん」
「晃さん、もう少しで出来上がりますので待っててくださいね。それから“さん付け”はもうナシですよ。昨晩のように“優美”と呼んでくださいね、うふふ」
「はあ‥‥」

　俺はうれしそうな優美の表情を見ながらホッとしていた。そして、ここにいる間だけでも、彼女の悲しみが少しでも和らぐように精一杯努力してみようと心に決めていた。


　朝食を食べ終わった俺たちは、ソファでコーヒーを飲みながらくつろいでいた。
　俺はこれからどうしようかと思案しながら優美を眺めて見る。彼女は昨晩と同じ白いブラウスに紺色のスカートという服装で、俺を見ながら幸せそうに微笑んでいた。

「優美、何かいい事でもあったのか？」
「昨日の夜、晃さんが私を抱きながら“とってもきれいだ”って言ってくれたことを思い出していたんです、うふふ」
「う゛ふっ！」

　俺はコーヒーをあやうく吹き出しそうになった。

「そ、それは良かった‥‥。ところで優美は替えの洋服を持って来ているのか？」
「いいえ。急いでここに来たので着替えは１着しか‥‥。ここからはちょっと遠いですけど、後で取りに行こうかなと思ってます」
「それなら、今日は特に用事もないし、一緒に洋服を何着か買いに行かないか？」
「えっ！ いいんですか？」
「ああ。朝食まで作ってくれたお礼に俺からプレゼントするよ」
「ええっ！ それはダメです。お金ならけっこう持って来ているので」
「いいからいいから。それにしばらく一緒に暮らすんなら、俺の好みの洋服も着て欲しいし」
「あ、それは全然かまいませんけど‥‥、やっぱり代金の方は私が」
「ダメだ！ その代わり優美は、俺の選んだ洋服がどんなに気に入らなくても必ず着用する事。それでいいだろ？」
「晃さんって意外と頑固なんですね、うふふ」

　そうして俺と優美は、駅前のショッピングモールまで買い物に行く事となった。
　出かける準備をして玄関を出ると、彼女が俺の手をそーっと握ってきた。顔が真っ赤に染まっている。
　俺はニコッと笑いながら、彼女の白くて愛らしい手をしっかりと握ってやった。彼女は俺を見ながら嬉しそうに微笑んでいる。

「あらま、上条くん、なかなか隅に置けないわねぇ」
「げ、安藤のおばさん！」

　俺たちの目の前にはいつの間にか、マンションの隣の住人でガッチリとした体型の主婦・安藤さんが、ゴミ袋を手に提げてニヤニヤしながら立っていた。

「３０にもなって全然女っ気がないから心配していたら、とってもきれいな娘さんじゃないか」
「あ、いや、こちらは‥‥」
「優美と申します。晃さんにはいつも大変お世話になっています」
「あらま、礼儀正しくていい娘さんだね。上条くんはちょっと頼りないところがあるけど、心根はとっても優しくてイイ男だから、末永く付き合ってあげてちょうだいね」
「はい。私も心から信頼しています。晃さんに愛想を尽かされないように精一杯頑張りたいと思います」
「ちょ、ちょっと優美、それはどういう‥‥」
「おほほ。上条くんにはもったいないぐらいの素敵なお嬢さんだね。私も安心したよ」
「お、おばさん、俺たちは‥‥」
「安藤のおばさま。私たちはまだまだ未熟者同士ですので、これからもぜひよろしくお願いします」
「わかったわ、優美ちゃん。困った事があったら何でも相談してちょうだいね」
「はい、おばさま。とっても心強いです」

　安藤のおばさんは、満足そうに笑いながらゴミ袋を階下に運んで行った。
　俺は呆然としながらそれを見送ると、後ろに寄り添っている彼女を振り返った。

「優美、一体どういうつもりであんな事を」
「うふふ。“将を射んと欲すればまず馬を射よ”と言うじゃないですか」
「そ、それを人妻に言われても‥‥」
「それよりも、晃さん、早くショッピングモールへ行きましょう。晃さんが私のためにどんなお洋服を選んでくれるのか、とっても楽しみなんですもん」
「はいはい、わかったよ」

　そうして俺と優美は恋人同士のように手を繋ぎながらショッピングに出かけて行った。
　ちなみに、途中で数人の知人と出くわしてしまい、安藤のおばさんと同じような反応をされてしまったのは言うまでもない。
　隣近所に噂が広まってしまうのも時間の問題だろうと思いながらも、それでもいいか‥‥と諦めてしまっている自分が不思議でならなかった。


　その日の夜は、優美の手料理をご馳走になった。「朝倉が羨ましくなってしまうな‥‥」と俺が呟くと、彼女はとってもうれしそうに微笑んでいた。
　夕食を終えていつものようにソファでくつろいでいると、優美が炒れたてのコーヒーを運んで来てくれる。

「晃さんって、ミニスカートが好きなんですか？」

　彼女は隣に座るやいなやトンデモない事をいきなり尋ねてきた。
　俺はまたもやコーヒーを吹き出しそうになりながら慌てて答える。

「い、いや、嫌いではないけど‥‥なぜそんな質問を？」
「今日、選んでもらったお洋服がミニばかりだったので、晃さんはそういう趣味なのかなぁと」
「ああ、そ、それは‥‥ミニが趣味というよりは、優美の‥‥」
「私の‥‥？」
「優美のきれいな脚に似合うと思って‥‥」
「きゃっ、うれしい！」

　彼女がいきなり抱きついてきたために、二人でもつれ合うようにしてソファに倒れ込んでしまう。
　気がつくと俺の身体の上に優美が覆いかぶさるように抱きついていて、お互いの顔はわずか数センチの距離しかなかった‥‥。
　彼女は顔を真っ赤に染めながら、囁くような声で聞いてくる。

「私の脚は本当にきれいですか？」
「ああ、とっても」
「けど、ミニスカートを穿くのは高校生みたいでちょっと恥ずかしいかも‥‥」
「とっても似合うんだからいいじゃないか」
「私は人妻ですよ」
「それこそ関係ないだろう？」
「はい、そうですね」

　彼女はうれしそうにそう言うと、ピンク色の愛らしい唇を俺の唇に重ねてきた。彼女の甘く優しい香りが俺の心を満たしていく。
　数瞬後、優美は恥ずかしそうに唇を離しながら、突然のキスに固まってしまっている俺に対して、小さな声で「ありがとう」と呟いた。
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2010年1月13日掲載
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