若妻・預かります ひら 作
◆第５章 　翌日の日曜日は朝から激しい雨が降っていた。朝食後のソファでくつろぎながら、俺は優美に対して今日の予定などを話していた。 　今朝の彼女はピンクのタンクトップにミニのタイトスカートという、身体のラインがはっきりとわかってしまうような非常に刺激的な格好をしていた。 　盛り上がる形の良いバストと剥き出しの白い太腿に目が釘付けになってしまう。 　そして、俺の視線に恥ずかしそうに反応する優美の姿がとっても愛らしくて、いつまでも眺めていたいと思ってしまう。 「‥‥という事で、今日は残念ながら優美の相手ができないんだけど、それでもいいかい？」 「はい。もともと晃さんのお仕事の邪魔をしようだなんて考えてもいませんでしたので‥‥。けれど、凄いんですね。３０才の若さで大学の准教授をされているなんて」 「いや、大した事ないよ。小さな専門大学だし」 「あ、そういえば、晃さんは、若い頃に高校の臨時講師をされていたでしょう？ 私、その時から将来立派な先生になるんだろうなぁって思っていたんですよ」 「え？ 優美は俺が大学で助手だった頃に臨時講師をしていたのを知っているのか？」 「はい。私も高校時代に晃さんの授業を受けていましたから」 「えええっ！？」 「私の母校は聖應女学院なんです」 　俺はそれで合点がいった。彼女を初めて見た時に、以前どこかで会ったような気がしたのはこの事だったのか。 　言われてみると、あの女生徒ばかりの学校で化学の授業を教えていた頃、その中に一際美しい少女がいた事を思い出していた。えーと、名前はなんと言っただろうか‥‥。 「君の旧姓は、もしかして山之辺‥‥？」 「わぁ、すごい！ 覚えていてくれたんですね！」 「君とはほとんど言葉を交わす事がなかったけど、とっても印象に残る女の子だったし、名前があの山之辺製薬と同じだったから‥‥って、え？ もしかして‥‥」 「はい‥‥。その山之辺製薬の今の社長が‥‥私の父なんです」 「そ、そうだったのか‥‥」 　俺はその告白にかなりの衝撃を受けていた。優美があの大製薬会社に繋がる娘だったとは‥‥。 　言葉遣いが箱入り娘そのものだったので、ある程度は予想していたが、まさかそんな一流の大企業の社長令嬢だったとは思いも寄らなかった。 「ただ‥‥私はその会社と家族から、すでに除外されてしまった人間ですから‥‥」 「思い出させてしまって‥‥ごめんな」 「いいえ。こんな私を覚えていてくれて本当にうれしかった‥‥。晃さんの授業はとってもわかりやすくて、毎回楽しみだったし‥‥、あなたが‥‥私の‥‥初恋のヒトでしたから」 「‥‥ええっ！？ じょ‥‥冗談だろう‥‥？」 「ううん、本当の事です。ただ、クラスの女子の中にも先生のファンの子が多くて、ちょっと臆病風に吹かれてしまったことと、精神的にもまだまだ不安定だったので、ついにラブレターをお渡しすることはできませんでしたが‥‥」 「そうか。こんな俺を‥‥」 「だから、夫から晃さんの名前を聞いた時は運命かもしれないと思って‥‥、それでここに来ることにしたんです」 　俺はこの２日間の人妻とは思えない、彼女の大胆な行動の理由が少しわかったような気がした。 　しかし、いくら初恋の相手だからといって、いきなり抱きついたり、キスをしたり、ペニスを咥えたりしてくるものだろうか‥‥。 　“本当に愛してしまったら、相手が結婚しているかどうかなんて全然関係なくなってしまう”と言っていた優美の言葉が強く思い返されてくる。 　俺は心の中で「まさか‥‥それはないよな」と強く否定しながらも、優美がこうして再会した俺の事をどう思っているんだろうかと無性に気になってしまっていた。 　彼女はすでに愛する夫を持つ他人の妻だ‥‥。彼女にとっての俺という存在は、その夫よりは劣るけれども、普通の男友だちよりは上という、そんな中間ぐらいの位置にあるんだろうか‥‥。 「あの頃に、もしもラブレターをもらっていたら‥‥、俺と君との関係は今よりも変わっていただろうか‥‥」 「それは‥‥誰にもわからない‥‥。けれど、私は‥‥今からでも変えられるんじゃないかと思っています」 　俺はそう語る彼女の真意を図りかねていた。人妻である今の彼女と俺との関係をどうしたら変えられるというのだろうか‥‥。 　そんなやり取りがあった後、俺は今週の講義内容の確認や研究テーマに沿った資料整理などを自室で行うことにしたが、優美との事が頭から離れずに、なかなか仕事が進んでいかないという状況に陥ってしまっていた‥‥。情けない自分の有様にウンザリしてしまう。 「あのぉ、晃さん？」 　優美の声に振り返ると彼女はコーヒーを載せたお盆を持ちながら佇んでいた。 「よければ、資料整理のお手伝いをさせていただけませんか？」 「え？」 「ご迷惑かなぁとも思ったんですが、あんまり仕事が進んでいないように見えたので‥‥」 「ふぅ、実はそうなんだ‥‥」 「私、これでも大学ではずーっと有機化学を専攻していたんですよ。家が製薬会社という事もあったし、晃さんの授業で化学のおもしろさを十二分に教えてもらいましたから、うふふ」 　そう言いながら楽しそうに微笑んでいる彼女が、俺には“救いの女神”のように見えた。 　彼女が手伝ってくれるのなら、研究の資料整理の方もうまく進んでいくかもしれない。 「わかった。それじゃあお願いするよ」 「はい、先生。どうぞよろしくお願いいたします」 「優美に“先生”と呼ばれるのはちょっと照れてしまうな」 「うふふ」 　そうしてこの日は夕方まで仕事を手伝ってもらった。 　俺は彼女の知識と理解力の高さに驚かされていた。もしかすると、うちの大学院生たちよりも遥かに優秀な人材かもしれない。 「優美、今日はありがとう。おかげで今取り組んでいる研究テーマの方もうまくまとまりそうだ」 「そう言っていただけると、お世辞でもうれしいです」 「お世辞じゃないよ。君が大学時代に一生懸命勉強していた事がよくわかったし、正直に言ってその能力の高さに驚いている」 「晃さんそう言ってもらえると‥‥本当にうれしい。こんな境遇じゃなかったら、大学に残って勉強を続けたいと思っていたので」 「‥‥こんな境遇って？」 「あ、マズい事を話しちゃった‥‥」 「優美、俺にはもう隠し事はしないで欲しい」 「ごめんなさい‥‥。実は‥‥昨年の春、大学を卒業するという時になって、突然父から家に戻れという連絡が来たんです‥‥。どうやら政略結婚の準備を進めていたみたいで‥‥。私は一人娘ですし‥‥」 「そうか‥‥。優秀な男と結婚させて、無理矢理跡を継がせようという事か‥‥」 「私は会社を継ぐ気がありませんでしたし、大学に何とか残りたかったんですが‥‥、そのままでは力ずくでも家に連れ戻されてしまいそうでしたので、卒業すると同時に家から遠く離れた場所にこっそり就職して‥‥」 「そして、朝倉と知り合って結婚したというわけか‥‥」 「‥‥‥‥」 　叔父による歪んだ愛情、家族から一人離れての寮生活、そして家の都合による政略結婚と、この娘はなんと過酷な人生を歩んで来たんだろうか‥‥。 　俺は彼女のために少しでも支えになれたらと願わずにはいられなかった。
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2010年1月16日掲載
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