ずっと愛してます３
羅衣 作
第57話　転進


　九条瑠璃子は、急遽日本に留まることを決意した。

　ＥＵでのプロジェクトもほぼ山場は乗り越えて、後は抜かりなく仕上げて最終契約を締結するだけだ。
　もちろん村西薫とイチから立ち上げた仕事の集大成でもあるから最後まで関わりたいという気持ちがあったのも事実であるが、周囲の事態は急変しており断念せざるを得ない。
　なにより薫に任せておけば不安が全くなかったのも、その決断を後押しした。

　瑠璃子としては薫とした、あの日の約束を果たしたいと彼女を休日の昼食に呼び出した。
　案の定、彼女は久々の休日をビジネスホテルの一室でゴロゴロと過ごしていた。
　彼女は仕事と恋愛を不器用にも両立で出来ないタイプで、何事も仕事優先で生きてきた。
　瑠璃子から見れば、自身も似たような生き方をしている先輩であるから手に取るようにプライベート事情が分かる。

　瑠璃子を亜紀と郁美達との出会いが変えた。

　結局自分は九条家の女であり、それから逃げ出していたに過ぎないのだと気がつかされたのだ。
　いくら男勝りな実力を身につけても、何百年と続く伝統と格式の中ではなにも変わらない現実を今更ながら気がついたのだ。
　そもそも今の成功も、自分の血統とゼウスの支援があってこそだ。
　瑠璃子自身も一族の中で祖父ゼウスの寵愛の中で、名だたる男達を従えさせてきたのも結局ゼウスの意向だ。
　結局全て自身の力ではないとの自覚が彼女を変えた。

　自身が九条家の女である以上、血統の影響は無くなることがないし、ゼウスの寵愛も無くなるはずがない。
　しかしこれは誰にも譲ることは出来ないし、他者がその地位に代わりに就くことも出来ないものだ。
　となれば自ずと自身の生きる道は見えてくる。

　九条家の女にしか出来ないことが歴然とあり、それにより時代や歴史を動かしてきたのは魔性を持つ女達なのだと気がついた。
　母親が息子を溺愛する感情は、実は女という生き物に潜んでいる遺伝子が無関係ではない。
　女達は自身では出来なかったことを息子に託し実現するという選択肢しか無いのだ。
　だからこそは彼女たちを見習って、まずは女としての本来の生き方に方針転換した。

　まずは大切な盟友の薫だ。

　薫は瑠璃子から見ても容姿端麗で、一緒に行動しても誇らしい盟友だ。
　彼女は男性の好意には無頓着で、仕事で女の武器を使うなど全くしない不器用なタイプだが、それが彼女の魅力だ。
　それでも彼女に好意を寄せる男性は星の数ほどいたのだが、端から見ていて気がついた瑠璃子は敢えて干渉してこなかった。
　薫が望んでいないと知っていたからでもあるが、そのことで彼女が自身から離れてしまうことになることを恐れていたことも否定できない。

　薫以外にも多くのキャリア志向の女子達と仕事してきたが、ほぼ全ての子達が挫折し結局恋愛に逃避して脱落していった。
　商社という会社自体が、グローバルで活躍する商社マンを支える妻を養成したいと女子社員を雇用している実情もあり、なんだかんだと社内結婚が多い背景がある。
　もともと容姿端麗で優秀な女子達で優秀な男達からの求愛は日常茶飯事であるから、男は選び放題であるので誘惑は強烈である。

　瑠璃子は帰国時には定宿にしている大手町にあるホテル「星の○東京 」に薫を呼び出した。
　ここは都心ど真ん中にありながら、和のテイスト満載の日本旅館風リゾート高級ホテルだ。
　帰国時には、薫はどうしても両親に会いに行ったりするものだから、別行動が多い事情がある。

　ロビーにある畳スペースで裸足で畳の感触を楽しんで待つ時間も楽しい。
　海外暮らしを長くすると畳の感触が恋しくなる。
　この感覚に日本人なのだとしみじみ感じる。


薫　　　「瑠璃子様　お待たせして申し訳ありません」
瑠璃子　「うふふ　待つのもここの醍醐味なのよ」
薫　　　「恐縮です」
瑠璃子　「実は今日無理言って　来てもらったは」
　　　　「あの約束　果たす為なの」
薫　　　「えっ　それでデートモードで来いって」
　　　　「仰ったのね」
瑠璃子　「そう」
薫　　　「お恥ずかしい　本気になされていたのね」
　　　　「私に　心寄せる男性など　なかなか」
　　　　「私　堅物って　思われてるから」
瑠璃子　「うふっ　私も真っ青なぐらい」
　　　　「モテモテなのに　不思議な」
薫　　　「またまた　恐れ多い」
瑠璃子　「今日ね　夕食ご一緒して欲しい人」
　　　　「いるの」
薫　　　「えっ・・・・・はい」
瑠璃子　「まあ知っている人だけど」
薫　　　「はぁ？？」
瑠璃子　「もう６年ほど　薫一筋の人」
　　　　「そして私達の恩人でもあるわ」
薫　　　「恩人？　どなたですぅ？」
　　　　「うぅぅぅぅぅぅぅん」
瑠璃子　「もう　ほんとに分からないの」
薫　　　「はい」
瑠璃子　「社内では　私でも彼はダントツだと思う」
　　　　「誠実だし　そして　仕事も出来る人」
薫　　　「えっ　ひょっとして　部長？」
瑠璃子　「うふっ　そう」
薫　　　「・・・・・・・・・・・・」
瑠璃子　「彼しか　いないわよ」
　　　　「絶対　幸せにしてくれるし」
　　　　「キャリアも　彼なら絶対」
　　　　「尊重してくれるわよ」
薫　　　「私　そんな気持ちで見たことない」
瑠璃子　「知ってるわ」
　　　　「でもね　実は彼の気持ち　私ずっと」
　　　　「見てたの」
　　　　「あの時も　自分が損するのに薫のこと」
　　　　「推薦してくれたでしょ」
薫　　　「それは　今でも感謝してる」
瑠璃子　「彼は　あなたの才能を誰よりも評価してる」
　　　　「だから　あの時　背中押してくれた」
　　　　「でも　それだけで　競争社会の社内で」
　　　　「出来たと思う？」
　　　　「薫のこと　愛していたんだよ　彼」
　　　　「ずっと　薫のこと　見てた 知ってるの」
　　　　「でも決して　薫になにも言わなかった」
　　　　「理由　分かる？」
薫　　　「・・・・・・・・・・・・」
瑠璃子　「薫のキャリアにとって」
　　　　「大切な時だと思って　応援だけして」
　　　　「見守ってくれたんだよ」
　　　　「だから　彼が　私のイチ押し」
薫　　　「瑠璃子様・・・・・・」
瑠璃子　「薫さんは　いつも私を助けてくれた」
　　　　「でも　今回　大事なところで」
　　　　「迷惑かけてしまうけど」
　　　　「そろそろ　薫にも」
　　　　「翼を休める人作って欲しいの」
薫　　　「考えてみます」
瑠璃子　「今晩　ここのインルームダイニング」
　　　　「用意してるの」
　　　　「彼は　午後６時半に来るわ」
　　　　「一度　二人っきりで話してみて」
　　　　「もちろん　彼はなにも知らないわ」
　　　　「私が　仕事で相談あるって話してる」
薫　　　「ありがとうございます」
　　　　「そうですね　彼には色々助けて頂いたし」
　　　　「いずれにしても　ゆっくりお話してみます」

　薫は夕刻まで瑠璃子とゆったりした時を過ごした。
　２人には共通の思い出がビッシリだ。
　思えば瑠璃子に出会ってから全速力で駆け抜けた４年間であった。
　入社後、毎年のように転属を命じられて、どこでも意地でトップの成績を収めていたのに、正当に評価されず辛かった日々。
　大阪支店法人営業でがむしゃらに頑張っている時に、工藤部長に出会った。

　彼は冷遇に等しいたらい回しにされている自分を長く引き留めて育ててくれた唯一の上司であった。
　数年後、薫に主任の地位を用意してくれたのも彼だった。
　お陰で颯爽と現れた瑠璃子の企画プロジェクトに参加するチャンスを得たのは間違いない。
　革命児で、異端児であった瑠璃子の元に、まだ社内に理解が無い頃に部下を送り出すことは相当彼にも不利益があったと思う。
　それでも彼は薫を送り出してくれたのだ。

　その翌年、彼が地方の支店に転属させられたと聞いた時は胸を痛めたのは事実だ。
　だが瑠璃子と薫の活躍で、その後の社内事情は激変する。
　ほどなく彼も優秀であったから、要職に復帰し今では執行役になっていると聞いてホッとしていたのは去年の出来事だ。
　彼に会うのは４年ぶりだ。
　不思議な縁を感じる。

「そうだ　わたし　あの時のお礼言ってない」
「今の私　彼がいなかったら　ありえない」



　工藤一人(かずと)、４０歳、三○商事の若くして執行役の立場に上り詰めたやり手の商社マンだ。
　身長１８０センチのガッシリとした体格、元大学アメフト部長出身の絵に描いたような人物像だ。
　いわゆるモテモテのタイプで女性には全く不自由はしていない男だったが、６年ほどに前に出会った部下の女の子が忘れられないという意外に一途なタイプで未だ独身であった。

　次々に新規顧客開拓を纏めて順調に出世して、３２歳の若さで部長職に就いた。
　その２年後に目チカラのあるやる気満々元気な女性部下に出会った。
　彼女は明らかにキャリア志向を目指していたが、当時の社内は女性にはそのような仕事を望んでいない風潮であった。
　しかし彼女は非常に優秀で仕事の理解が早くて、同世代だと数年かかるだろう仕事を半年でマスターしてみせる。

　仕事を熱く語る彼女の瞳が彼の心を掴んだ。
　外野の横やりを排除して、彼女に居場所を用意した。
　しかし彼女が優秀であればあるほど、外野がうるさくなってくる。
　彼は悩む。
　このまま彼女を手放したら、間違いなく会社に潰されてしまうだろう。

　もう彼は彼女の笑顔が無くなるのが耐えられない。
　何度も結婚してくれないか、付き合ってくれないかという言葉が出そうになる。
　自分と結婚すれば、彼女への外野干渉は無くなるだろう。
　ただ子供が出来たら、間違いなく退職して妻として自分を支えることを強要されるに違いない。
　結果的には彼女のキャリアが絶たれることを思うと、その言葉飲み込むしか無かった。

　まさにその時に瑠璃子が現れた。
　彼は外野の意向に逆らって、彼女を瑠璃子の元に送り出したのだ。
　彼には愛する彼女を守るにはそれしか残されていなかったのだ。
　翌年、彼は懲罰人事に晒されるが、後悔してなかったし、自分の能力に自信もあったから自ら招いた逆境に真正面から立ち向かった。
　社内の流れも変わったのもあるが、結果的に今では同期出世街道トップの位置に復帰を果たしていた。

　そんな彼に瑠璃子から連絡が入る。
　休日中申し訳ないがＥＵプロジェクトに関係して相談があるので、夕食しながら会えないかという話があったのだ。
　薫も同席するということを聞いて、彼は嬉しくて仕方がなかった。
　４年ぶりだが、彼女の活躍ぶりはよく聞いているし、今では彼女は自慢の元部下だ。
　そして許されるなら、今回こそプロポーズしようと覚悟を決めていた。

「薫　成長した君に会いたい」
「まあダメ元で　今度こそ気持ち伝えるよ」

　自身も４０歳となって、もう結婚して家庭持ちたいし子供欲しい。
　仕事的にも妻という存在が求められる地位になってきたこともある。
　女遊びもそこそこしてきたが、恋人などずっと作ることが出来なかった。
　ずっと薫のことが忘れられなかったからだ。
　それに彼女も通常商社マンでは果たせない領域まで出来る地位まで上りつめた今だから、もうそろそろ彼女も女としての幸せも掴んで欲しいと願っていた部分もあるし、なにより彼は戦い疲れた自分を薫の笑顔で癒やして欲しかったのだ。

「俺は　薫を家に閉じ込めたりしない」
「一緒に　生きて行きたいんだ」



　瑠璃子は、夕刻、戸惑う薫を残して社長宅へ向かう車中にいた。
　ＥＵプロジェクトの山場は乗り越えたとはいえ最後の契約目前の自身離脱は、社には迷惑をかける。
　なにかと理解してくれた社長には筋を通すのは当然だろうし、彼女としては恩義のある工藤と薫のために一肌脱ぐ決意だった。
　工藤がいなかったら薫との出会いは無かったし、今ほど瑠璃子も活躍できなかったとの自覚があった。
　薫というパートナーを得たからこそ瑠璃子の社会人生活は充実していたとも言える。

　一緒に徹夜して資料を纏めたのも１度や２度では無いし、雨にずぶ濡れになって現地調査したのも今では楽しい思い出だ。
　夜中に屋台ラーメン２人で食べたのも楽しい思い出の１つだ。
　ベット１つに一緒に寝たことも星の数ほどある。
　薫が居たからこそ出来た仕事ばかりだ。
　今では彼女にとって家族以上に身近な存在であって、もはや姉妹に等しいほど愛しい存在である。

　自身が生き方を変えるにあって、彼女の生き方も見直しして欲しいし、その後押ししたいと思ったし、彼女も既に意識していると感じていた。
　先日の神戸での出来事は、お互い想い共有しているだけでなく共感していた。
　だからこそ彼女にやり残したＥＵの仕事を託するにあたって、２人にお礼がしたかったのだ。

「お節介かもしれないけど」
「２人とも　不器用だから」
「お節介者が　１人ぐらい必要よ」
「彼なら　薫の望む人生支えてくれるわ」



　工藤は瑠璃子の姿が無いことに驚いたが、直ぐに事態を察した。

「九条さん　仕組みましたね」
「いやはや　参った」
「ありがとう」

工藤　「村西さん　お久しぶりです」
薫　　「部長　ご無沙汰しております」
工藤　「いやぁ　もう部長じゃないよ」
薫　　「あっ　失礼しました　えっと　執行役？」
工藤　「今日はプライベートだから　そういうのやめ」
薫　　「でも」
　　　「今更で恐縮ですけど」
　　　「４年前　ありがとうございました」
工藤　「いやいや　それにしても綺麗になったね」
薫　　「えっ」
工藤　「俺は聖人じゃないよ」
　　　「下心あって　手助けしたに過ぎない」
　　　「お礼言われるほど　立派じゃない」
薫　　「ぶちょ　いや　工藤さん？」
工藤　「えぇぇぇい　今更　回りくどいことはやめ」
　　　「村西さん」
　　　「俺と結婚前提に付き合ってくれないか？」
薫　　「あら　うふふ」
工藤　「俺は本気だ　４年我慢したんだ」
薫　　「光栄です」
　　　「わたしでよろしければ　答えは　はいです」
工藤　「おおおおおおお　やったぁ♪♪」

　薫は彼の少年のような笑顔に引き込まれた。
　６年前に初めて上司として出会った彼に、自分の方が先にトキめいていたのだと思う。
　次第に挫折感に負けそうになった時に、彼の部下になり、直ぐに彼の元で働くのが楽しくて仕方がなかった。
　成功を収めると彼は笑顔で褒めてくれた。
　彼の笑顔が傷心となった彼女をどれほど癒やしてくれかは言葉で言い表されないほどだ。
　あの頃、初めて彼と結婚しても良いかもって思ったこともあったのだ。

　元々惹かれ合っていた２人だけに、行動を信条とする商社戦士同士だけに４年間のブランクは直ぐに埋めてしまう。
　まして工藤は交際ＯＫ貰ったから強気になる。
　洗いざらい６年間秘めた薫への思いをぶちまけて告白しまくる。
　それが彼の失われた４年間を埋める代償行為でもあった。
　薫は自分をそこまで愛してくれたんだと驚く。
　しかしその愛の言葉シャワーは、薫には非常に効果的であった。
　女は身体と言葉で愛を感じる生き物なのだ。

「あん　キュンとしちゃった」
「瑠璃子様　ありがとう」



　瑠璃子と社長の面談は、彼女の思惑通りで済んだ。
　もともと社長も幼少から見知っている方だから、彼女には父のように接してくれる存在だ。
　今回もお詫びに訪れても逆に謝られてしまうから、かえって瑠璃子も困る。
　帰国云々より彼女が社を離れる事態を恐れているらしく、我が儘を言わせて貰って日本勤務を承認して貰えるなら残りますと伝えると、彼は少年のような笑顔になり後の話は全てふたつ返事だった。

　瑠璃子は思う。
　やはり自分は九条家の女なのだと。
　どんなにあがいたところで、その事実はなんら変わらないし、九条家の威光は日本の全てに届くのだ。
　ならばより良き方向に物事を導くように努力することが自分の使命なのではないかと思う。
　持って生まれた立場は誰にも譲れないし、代われないのだから。

「お爺様　それを伝えたかったのね」
「そうそう今頃　薫　うまくやってるかしら？」
「工藤執行役は　このチャンス」
「生かせない役立たずだとは思わないから」
「彼から　薫　引き寄せてくれはず」
「２人に　任せるわよ」
「わたしは　当面　九条家の勤めに専念だわ」



　薫は背筋がキリキリと痛むほどの熱い抱擁に、神戸の経験がフラッシュバックする。
　後ろめたい気持ちが広がり始めるが、うっとりするほど優しいディープキスをされて直ぐに肢体に安堵が広がっていく。
　力強い抱擁とのギャップが絶妙だ。
　彼はモテモテ商社マンだから無為に４０年生きてきたわけでないから、それなり女性経験あって当然であり、逆にそれが嬉しい。
　それでも自分を６年もの期間想っていてくれたという事実が幸せに感じる。

　不意に彼の視線を感じる。
　目を開けると彼がずっと自分を見つめている。
　瞳と視線が絡み合う。
　再び彼は愛の言葉を浴びせてくれる。
　普段なら歯が浮きそうな言葉が彼女のビジネスマンとして纏った鎧を効果的に脱がしていく。

　薫と工藤の長い夜は、今まさに始まったばかりであった。


つづく
【前頁】/【次頁】
あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
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2021年2月14日掲載
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