ずっと愛してます4
羅衣 作
第56話　晶子の戸惑い


　須藤晶子は自分自身が軽蔑する女に自ら堕ちていくことに戸惑っていた。
　身重な妻がいる真也との不倫関係になってしまったことに後悔しかないが、彼に求められると肢体の奥底から熱いモノが溢れ出して淫乱な女に化けてしまうことが抑制することが出来ないのだ。

　冷え切った夫婦関係は仮面夫婦そのものであって、１人息子の存在だけが支えと言って良い。
　もちろん夫も彼女も息子には無償の愛を注いでいるのが唯一の救いだろうが、それ以外は２人とも仕事人間であり歪んだ核家族であった。
　そんな真っ只中に彼女はオンナになってしまった。
　年下の上司は憎らしいほど色事に手慣れており、彼によって目覚めさせられいく快楽に溺れていく自分が情けない思いだった。

　真也は仕事では頼りがいがあり、新しいデザインについて熱く語る彼に上司として尊敬の念しかない。
　彼の妻、紗弥はパリで才女と讃えられた存在であり、実際一緒に仕事をしてキャリア十数年の晶子ですら感銘を受けることしばしばであった。
　ファッション界に新星の様に現れた天才カップルは、噂通りの存在で晶子が新たな職場としてチャレンジしたのは正解だったと満足していた。
　そんな上司でもある紗弥を裏切っているという思いが未だに拭えないのだ。

　ただ所謂不倫関係ではないということが、彼女を困惑させる。
　真也と晶子の関係は、紗弥に認知され公認されている現実が晶子を混乱させる。
　彼女の培ってきた常識とは全く違う価値観と人間関係は理解するのは難しい。
　そもそもだが彼女はセックスは子供作るためだけの行為と考えて、それに伴う快楽について興味も無くて意識的に距離を取っていた女であった。

　男性主導の妄想が広がるＡＶの様な性の世界に嫌悪感すらあったし、それは１児の母親になって以来決して変わることがなかったのだ。
　常識的で貞操感も強くて身持ちも堅い女の代表的な存在だった彼女だったが、真也に抱かれた一夜で一変してしまったのだ。
　大人の女としての油断があったと恥じて精神的に立て直そうとするが、真也はそれを許してくれない。

　彼女の肢体に点ったピンクの炎をあの手この手で煽って炎上させていく。
　晶子は経験したことのないような快楽に直面し、脳が溶けてしまうような女の悦びに目覚めていく。
　そして次々に開拓されていく自分の性感に飲み込まれていく。
　あっという間に理性が性欲に負けていく自分に為す術もなく流されていく。

　気がつけば絵に描いたように男に溺れていく女になってしまった自分に絶望しかない。
　駄目だと思いつつ、もう彼無しでは満たされない肢体に堕ちてしまったと自覚があるし、出張などスケジュール管理も任されているのを良いことに彼とのプライベート時間をしっかり確保してしまう欲張りな自分を歯止めが効かなくなっていく。
　そんな彼女を更なる現実が襲う。

　真也紗弥夫妻から「会」の存在を教えられて、意思に関わりなく携わることになってしまうのだ。
　彼女にすればまさか自分自身が不倫するなんて思っていなかったのにドップリ嵌まり込んで一杯一杯だったのに、そんな不道徳な裏社会に引きずり込まれてしまうなんて驚きしかない。
　彼女の中で常識が音を立てて崩れていく。
　そしてどんどん事態は進行していき、彼女は立場的に逃げ出せない状況になっていく。

　彼女ほど社会的な経験があれば、自身が足を踏み入れた世界が取り返しがつかない深みだと察する。
　彼女をそういう世界に引きずり込んだ張本人だが、頼れる人で守ってくれる人は真也しかいないのも現実だ。
　キャリアで生きてきた彼女が生まれて初めて女として理性より肢体の欲求を優先する選択をしていく。
　実際、もう彼との関係に溺れていて夢中になっていたのだった。

　それでも冷静に自分自身の行動を俯瞰する意識は残っている。
　気がつけば真也紗弥夫妻が望む立ち回りを自ら行っている状況であった。
　ただ深く関わっていくうちに「会」というものが小さい存在ではなくて、日本社会そのものの裏面なのだと分かってくると怖くなってくる。
　徐々に蓄積していく不安に苦悩していく。
　そんな思いがピークに達したタイミングで、真也と２人で福岡に出張に行くことになったのだ。

　福岡に着くと販売店出店先のファッションビルオーナーである峰恋（れん）に出迎えられる。
　彼女は紗弥の従姉妹である郁美の兄嫁で、九州エリアでは最大の企業グループ「峰ホールディングス」の社長夫人でもあり、彼女自身も複数の企業オーナーなのだ。
　紗弥の人脈に感服すると共に、恋の人柄にも心奪われる。

　ビジネスの打ち合わせをすれば、面談相手の器量が伝わってくるし話の展開に大きな差が生じる。
　通常であれば数時間はかかるだろうボリュームの内容だったのだが、１時間弱で今回終わってしまったのだ。
　決して右から左のような話ではなく、途中厳しい条件などの意見調整もいくつも経ての展開であった。
　その幾つかは晶子も予め予想していたポイントであったので、恋が前もって資料検討しっかりしていてくれたことを示している。

　恋は交渉上手で指摘する事項が明快で適切なのだ。
　そしてなにより決断が早い。
　晶子は再び年下のやり手の女性に出会い悔しく思う。
　転職してきて自分自身はそれなりキャリアを積み重ねてきたと自負していたが、紗弥といい、恋といい、上には上がいるものだと思い知らされたのだ。

　真也はその日の夜は別行動となった為、晶子は１人先に宿泊先に向かうことになったのだが、彼女は寂しくて途方に暮れてしまう。
　タクシー乗車中に、携帯電話が鳴る。
　かけてきたのは恋で、真也とは単独行動となった晶子に一緒に夕食をしないかというものであった。
　もとより暇であったから渡りに船なので快諾した。
　待ち合わせは晶子が泊まるホテルロビーとなった。

　晶子はロビーソファーで仕事のファイルを見返しながら、自分は出張すればいつしか真也が傍にいることが当たり前になっていて、彼が居ないと手持ち無沙汰になってしまう有様に愕然とする。
　彼に出会う前は平気で１人で出張先でグルメスポットに行っていた自分が遠い昔のような気すらするのだ。
　改めて自分はすっかり女になってしまったのだと思ったのだった。
　正直この数ヶ月の自身の変化だけでなく、環境の変化の速度についていけない部分もあるのだ。

恋　　「晶子さん　お待たせ致しました」
晶子　「お誘い頂きましてありがとうございます」
恋　　「うふふ　ご遠慮なさらないで」
　　　「晶子さんの方が先輩なんだから」
晶子　「いえいえ　恋様は　取引先様なので」
恋　　「今日は　もう仕事は終わり」
　　　「私「美あんず九州」預かっている身なので」
　　　「晶子さんにいろいろアドバイス出来るかと」
晶子　「はい　ありがとうございます」
恋　　「焼き鳥とか　いかがですか？」
晶子　「はい　大好きです」
恋　　「良かった　オススメのお店にご案内しますね」

　晶子は盛況で賑わっている大きめの焼き鳥店に連れて行かれた。
　恋は予約していてくれたのか、ＶＩＰなのか、直ぐに入ることが出来た。
　恋は大企業グループの奥様だというのに自然体で決して威圧感など無くて、フレンドリーで一緒に過ごしやすいタイプの女性だ。
　オーダーチョイスして思い思いの焼き鳥を頼むのも楽しいし、仕事終わりの生ビールジョッキで飲む爽快感が堪らない。

　思えば晶子は社会人になってから一匹狼よろしく単独行動派であり、女友達と一緒に食事などほとんどしてこなかった。
　頭の中は子育てのこと、そして仕事のこと、だけだったかもしれない。
　それなのに今、恋との食事が楽しくて堪らない自分に戸惑う。
　こんな面でも自分は変わってしまったのだということに驚く。

恋　　「晶子さん　無理してない？」
晶子　「えっ　どういうことですか？」
恋　　「私も　初めはそうだったから」
晶子　「・・・・・・・・・・・・・・」
恋　　「女って　どんどん鋭敏になって」
　　　「次第に　言葉無しで　色んなことを」
　　　「感じて　その急な変化に戸惑う」
晶子　「はい　それは感じてます」
恋　　「男って　ある意味単純だから」
　　　「強く抱きしめれば　女はついてくるって」
　　　「思ってるけど」
　　　「女って　もっと複雑なんだよね」
　　　「そして時には　やり過ぎちゃう」
晶子　「はい　なんとなく分かります」
恋　　「まあ　そんなとこが愛らしいんだけど」
　　　「それって」
　　　「そう思えるまで女はシンドイと思う」
　　　「今　真也さん気になって仕方がないでしょ？」
晶子　「・・・・・・・はい」
　　　「気がついたら」
　　　「彼の姿目で追っている自分に気がつくんです」
恋　　「ですよね」
　　　「「会」の主旨や活動聞いたと思うけど」
　　　「これって　はいそうですかってならないよね」
晶子　「そうですね　未だに信じられなかったり」
恋　　「もっと気楽考えた方が良いと思う」
　　　「そして仕事もセックスも」
　　　「純粋に楽しんじゃうことをオススメしますわ」
　　　「真面目に彼のこと愛してるとか無意味よ」
　　　「まあ　ご存じだと思うけど」
晶子　「そうなんですけど　身体が・・・・・」
恋　　「それは　身体が彼を好き　ということで」
　　　「良いの」
晶子　「エッ？」
恋　　「彼とのセックスは　仕事のご褒美みたいな」
晶子　「そんなことって　あっ　・・・・・」
　　　「そういうこと！！」
　　　「そうですよね　彼には素敵な奥様いらして」
　　　「私だけ真面目に恋愛して　子供みたい」
恋　　「そう　言葉は悪いけど　割り切ってしまうと」
　　　「女って　結構気持ちがスッキリする」
　　　「そして実は美味しいとこ取りって思えたら」
　　　「女は　オンナ　に化けるの」
　　　「考えてみて」
　　　「普通なら　ただの不倫よ」
　　　「それなのに　私達の環境は免罪符があるの」
晶子　「私達夫婦は　・・・・・」
恋　　「その点は大丈夫」
　　　「「会」というより「美あんず」が」
　　　「晶子さんをしっかりサポートすること誓うわ」
晶子　「ありがとうございます」
　　　「まあ　もう彼とのセックス無い人生」
　　　「考えられないのも正直な本心です」
　　　「もう頭じゃなくて　身体が彼を忘れられない」
恋　　「うふふ　さすが晶子さん　率直な言葉だわ」
晶子　「ひょっとして　紗弥専務のご配慮ですか？」
恋　　「うふふ　はい　ご明察です」
晶子　「そうですか　・・・・・」
　　　「私のような浮気相手のような女のこと」
　　　「お考え頂けるだけで　恐縮してしまう」
恋　　「まあ元気すぎる夫を持つと　いろいろとね」
晶子　「なるほど　うふふ」
　　　「せっかく得た絆」
　　　「大切にしていきたいと思います」
恋　　「はい　それも遠慮しないで」
　　　「楽しくオンナ満喫して欲しいです」
晶子　「えっ・・・」
恋　　「その為に　「美あんず」があるのです」
晶子　「なるほど　確かに　頑張ります」
恋　　「では　この話はここまでにして」
　　　「今日はおもいっきり飲みましょう」
　　　「とことん付き合いますわ」
晶子　「はい　よろしくお願い致します」

　恋が語る彼女の経験談は、晶子の想像を超えている。
　年下の彼女が既にオンナとして数段上を歩んでいる理由が今の自分ならよく理解できる。
　人の三大煩悩で人間関係の根幹を占める情欲といった部分を掌握したオンナは最強の存在なのだと思い知らされる。
　晶子は自身が女であることを利用する生き方を避けてきたようなところがあるが、思えば服装１つでもスカートを履けば既に女を利用しているという現実を知る。
　恋の生き様から女であることを使うことに遠慮など必要なかったのだと知る。

　もちろん枕営業とかセックスを代償に男達を利用するという意味ではない。
　女は男達を惹きつけて場を和まし効果的に采配することに長けているのだ。
　これはどんなに優秀な男でも女のような手法ですることは出来ないのだ。
　恋は立場上、企業グループの総帥夫人という立ち位置だが、その才能開花により既に夫と変わらないくらいの影響力を持つ存在になったのだ。

　第三者目線では恋は夫の虎の威を借る狐のような存在だと思っている人は多いであろうが、そう思っていた経済人達は皆彼女の影響力に圧倒され膝を屈したのだ。
　恋の場合、実家の豊富な財力を嫁ぎ先に浸透させて、既に事業の大半の財務基盤を支える銀行団は彼女の影響下にあるし、九州地区の報道機関も掌握している。
　それもこれも彼女は単独で成し遂げた訳でなく、自身が女であることを有効に生かした結果なのだ。
　彼女の傍に従える男性スタッフはただの部下ではなくて、なによりそれ以前に彼女のファンで信奉者なのだ。

　それはこのような飲食店に来ても変わらない。
　店のスタッフからも羨望のまなざしを集め続けているし、彼らへの態度も人として素敵であり自分との差を思い知らされる。
　料理を運んでくれた店員に対しても、自然にお礼の言葉発するし最高の笑顔をプレゼントするのだ。
　彼女が慕われるのは容姿だけではないのだ。

　年下といえど、ここまで差を見せつける恋の言葉は精神的に迷走気味であった晶子の中に入ってくる。
　恋の人柄だろうが店のスタッフとの会話も盛り上がるし、晶子も知らなかったのような食材の小話もあって色んな焼き鳥を堪能しつつ、２人で色んなお酒を楽しんで思ったより深酒してしまう。
　晶子はお酒は結構飲めるタイプだが、恋は同じように飲んでケロッとしている。

恋　　「晶子さんは」
　　　「自分自身の価値を自覚していないと思う」
晶子　「そうなのですか・・・・・」
恋　　「なにより女として男が惹かれてるということ」
　　　「自覚が足りないと思う」
晶子　「・・・・・・・」
恋　　「半信半疑な顔してるけど」
　　　「ほら　その胸元」
晶子　「えっ？」
恋　　「自覚していないのに　そんな隙チラチラして」
晶子　「これは　そういう洋服だし」
恋　　「ファッションというのは　言い訳よ」
　　　「そういう誘惑的な格好は」
　　　「無自覚では　しては駄目よ」
　　　「もっと男性目線意識しないと」
晶子　「もうわたくしも　いい歳ですし」
恋　　「はあぁ・・・３０代前半でなに言っているの」
　　　「一番女が磨きかかった時期なのに」
晶子　「えっ・・・そうなんでしょうか」
恋　　「なるほどねぇ」
　　　「紗弥が心配して私に相談するだけのことある」
晶子　「それは・・・」
恋　　「具体的な話の方が良さそうね」
　　　「真也さんに心惹かれているのは自分だと」
　　　「思っているでしょ」
晶子　「えっ？」
恋　　「それは勘違いよ」
　　　「先に惹かれていたのは　彼の方」
　　　「そして　今もあなたにゾッコンなのは彼」
晶子　「・・・・・・」
恋　　「なのに　晶子さん　あなたが本気になったら」
　　　「困るのが　紗弥の立場だし」
　　　「皆が困る」
晶子　「わたしは・・・子供がいます」
　　　「家庭壊すのは　困ります」
恋　　「だよね　なのに彼に心引っ張られている」
晶子　「それは自覚してます」
恋　　「彼は欲張りさんだから」
　　　「晶子さんの家庭事情につけ込んで」
　　　「心を奪おうとしているの」
　　　「気づいているでしょ？」
晶子　「はい・・・」
恋　　「今日　彼が夜別行動で寂しいと感じたでしょ」
晶子　「はい」
恋　　「あはぁっ　正直ね」
　　　「でもそれ　彼もだって　気づいてる？」
晶子　「えっ・・・」
恋　　「それも　数倍よ」
　　　「あの打ち合わせの話　私が持ちかけた時」
　　　「彼があなたを見ていたの自覚してる？」
晶子　「確かに」
恋　　「彼はあなたと楽しいデートを予定していた筈」
　　　「ごめんなさいね　年下の私が生意気だけど」
晶子　「いえいえ　わたくしが不甲斐ないのです」
恋　　「決して彼と別れろとか」
　　　「そういう話ではないです」
　　　「大人の対応という都合の良い言葉で纏めて」
　　　「晶子さんには　楽しくオンナとして」
　　　「生きて欲しいだけです」
晶子　「なるほど」
　　　「ちょっと混乱気味ですが　努力します」
恋　　「うふふ　努力じゃなくて意識するだけで」
　　　「女には十分だと思うわ」


達也　「お待たせぇ　恋　ゴメン遅くなった」
恋　　「うふっ　お帰りなさい　あなた」
　　　「グットタイミングよ」
晶子　「あっ　これは　峰社長様　ご無沙汰してます」
達也　「ああぁぁ　座ったままで　気にしないで」
晶子　「しかし」
達也　「もうオフなんだから　ご遠慮なく」
　　　「須藤さん　よろしくです」
晶子　「こちらこそよろしくお願い致します」
恋　　「もう堅苦しい」
達也　「そうだね　達也と呼び捨てでよろしく」
晶子　「それは・・・」
　　　「わたくしは晶子とお呼び下さい」
達也　「堅い！！　堅い！！　達也！！」
晶子　「はい・・・達也・・・様」
達也　「晶子ちゃんは美人だから」
　　　「ずっとオフで会いたくて」
　　　「恋に無理言っちゃて」
　　　「やっとチャンスゲットぉ　なんてね」
晶子　「そっそんなぁ」
恋　　「うふふ」
達也　「遅れたけど　少しお腹減ったな」
恋　　「私　まだ食べるから　頼みましょう」
晶子　「私も　軟骨もっと食べたい」
達也　「それは　よか」
　
　晶子は、あっという間に達也恋夫妻との楽しい会話に引き込まれていく。

　そんな彼女のLINEには真也からのメッセージが数件貯まっていく。
　今まであれば直ぐに既読する彼女がスルーしてしまう変化を見せ始めていたのだ。
　
　晶子の思いがけない福岡の夜は始まったばかりであった。


つづく
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あなたのひと言が作者の励みとなり、新たな作品が生まれます。ご感想宜しくお願いします。
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2022年12月16日掲載
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