『永世少女』、『Ｎｉｇｈｔｍａｒｅ　Ｈａｌｆ』、『Ｉ×Ｂ（アイ・バイ・ビー）』をお先に読まれると更に楽しめます。＞管理人。

１　幽霊屋敷

　家がラーメン屋だったせいか、僕は今この仕事についている。といっても、親のラーメン屋を継いだわけではない。

　僕は今、『仕事』を終えて帰途へついていた。空はもうすっかり夜になり、車のライトの頼れるとはいいがたい明かりにともされ、暗黒の道を走っていた。
（腹は減ってないし、急ぐこともないか）
　時間は遅いが、仕事が仕事だけに腹は膨れている。そして、味もまあ満足のいくものだった。

　僕は出口恭介。フリーで『食い物ライター』をやっている。年が若いからそこまで売れてはいないけれども、今までにいくつも、そういったグルメ雑誌に記事を出してきた。
　また、たまに食い物に関すること以外も、記事の対象にしている。正直、ラーメン屋のことばかり書いていても貯金がたまりそうにはないのだ。

　さて、僕は暗い夜道の中を車で走っていた。あたりは本当に何もなく、ただ道があるだけ、という場所だった。
（…おや、こんな場所通ったかな？暗いから道を間違えただろうか）
　僕は、異変に気づいた。いつの間にか、まったく知らない場所を走っていたのである。
「まいったな、周りに人家もないし、迂闊に道を曲がるとさらに迷いかねない」
　何しろ、わき道がいくつもある道なのだ。そのほとんどが、この近くの住民が利用している生活道路だけれども、主要道路に出るにも、そういった細道を通らなければならないのである。
「…おや？あれはなんだろう？」
　引き返そうか、と思ったところで、前のほうに明かりが見えた。それも、いくつも、だった。
「…こんな僻地にビルが建っているのか？」
　僕は思わず目を疑った。が、その考えが間違っていることにすぐ気づいた。ビルではなく、大きな屋敷だったようだ。
だが、こんな場所にこんな大きな家が建っていること自体違和感たっぷりなのである。
（しかし、渡りに船だ。人がいれば道を聞けるし、ひょっとしたら一泊させてもらえるかもしれない）
　僕は調子のいいことを考え、その屋敷に向かって車のスピードを上げた。

「すごい家だな…よっぽどの金持ちが住んでいるんだろうか？」
　僻地とはいわないが、人通りがあまりない場所にたつには目立つ屋敷だった。洋風のつくりで、外から見ただけでもかなりの数の部屋があることがわかる。
「明かりがついた部屋がいくつもないな…もう時間が遅いから仕方がないか」
　僕は、その大きな門扉の前へと歩み寄った。
「夜分すみません、道に迷ったので、道を聞きたいのですが、どなたかいらっしゃいませんか！？」
　インターフォンを押してから、呼んでみる。しかし、反応はない。
（まいったな…ひょっとしたら、みんな寝てしまったのかもしれない）
　何度か呼びかけてみて、僕は素直にあきらめることにし、屋敷に背を向けたそのときだった。

（女性の悲鳴…！？）
　不意に、僕の背筋が凍りついた。誰かの悲鳴が聞こえた気がしたのである。それも、屋敷の中から。
「馬鹿な、幽霊屋敷じゃあるまいし」
　もう一度門扉に近づいてみるも、声はしない。
「…気のせいだ。この屋敷自体、みんな眠ってしまって誰もいないとわかると、幽霊屋敷に見えなくもないからな…」
　今の気分が悲鳴まで聞こえさせたのかもしれない、と僕は再び振り返ろうとしたそのときだった。

「…悲鳴だ、間違いない！」
　僕は、思わず門扉を開け放っていた。今考えれば、この門扉が開いていたことすら怪しいのだ。

　屋敷への道を駆け抜け、僕は玄関にたどりついた。庭には誰もいなかった。これだけ広い屋敷だ。
　番犬くらいいるかと思ったのだが、僕の予想は大きく外れた。
「…鍵が開いている」
　僕は、玄関扉を開いて中に入り込んだ。

「…この屋敷、いったいどんな人間が住んでいたんだ？」
　豪奢なつくりなのだが、派手というわけではない。おそらくはここに住んでいる人間の趣味なのだろう。
　だが、金持ちにありがちな成金趣味ではないことだけでも僕をなんとなく安心させてくれる。
「…って、安心しているわけじゃない」
　そう思うことができたのは、再び大きな叫び声が聞こえたからだった。
（強盗か…！？この広い屋敷だからありえる！）
　もし強盗なら、足音を立てるのは得策ではない。幸いにして絨毯敷きのため、僕は早歩きの状態で先を急いだ。
（二階から声がしたようだ）
　階段をようやく見つけ、音を立てないように駆け上がる。

（ここだ！）
　ようやく声の場所を突き止めた僕は、次に上がった声を聞いて愕然とした。

『あっ、あっ、あああっ、だ、だめです、わたし、もう…っ、ああっ！』
　愕然というよりは、肩透かしというか、なんというか。

　つまり、この家に住む誰かが、インターフォンの声も聞こえなくなるほどの没入度でセックスをしていた声だったわけだ。
（…参ったな）
　女性の『あのとき』の声が耳を突く。僕が思うに、この女性を抱いている男は、とんでもない幸せ者だろう。
『あっ、ど、どこでもいいです、どこにでも受け止めます、中でも、顔でもっ！』
　内容は淫らなのだが、どこか清楚さをも感じさせる雰囲気が、その声にはあった。聞く気はないのだが、女性の悲鳴にも似たあえぎ声は、僕を惹きつけていたのも確かだった。

『やあぁっ！む、胸もっ！胸もしてくださいっ！あ、熱いっ！！』
　どうやら、女性は激しくイったようだ。なるほど、悲鳴はこの声だったわけだ。
　皮肉にも、僕は自分が男であることをいやでも思い知らされていた。下半身がとんでもないことになっていて、すぐに歩き出せそうもなかった。いくら人が寝ているといったって、この広い屋敷を前かがみで歩き回るのは嫌だ。

『ああ、あなた、とてもよかったです、激しくて、やさしくて、とても…』
（貞淑なのか、過激なのかよくわからない奥方様だなぁ…）
　ほほえましい、とはとてもいえそうもないが、どうやらおしどり夫婦ではあるらしい。
　僕は除き趣味はないのだが、このときばかりはこの奥方様の顔を見たくなっていた。そこで、僕は鍵穴を覗き込んだ。

　ところが、僕はまたしても愕然とした。鍵穴からは部屋の中の様子が少しだけ見て取れる。
　しかし、ベッドの上には誰もいないうえ、おそらく飲み物が入っているであろうグラスが宙を飛んでいたのである。
　そして、あろうことかそのグラスが何もない中空でとまり、傾けられた。
　背筋が寒くなった。僕はいったい、何を見たのだろうか？
（ゆ、幽霊かっ！？）
『…レイさん、綺麗だ…』
　今度は男の声。だが、綺麗もなにも、中に誰もいないのは、この僕が一番わかっている。
　第一、幽霊に『レイさん』とはまるでとってつけたかのような名前だ。
『…そんなに見つめないでください…年をとったとはいえ、見られれば恥ずかしいのですから』
（だから見えないんだってば）
　僕は頭の中でつぶやいた。
『…それに、そんなことをいわれたら、また、その、したくなってしまうじゃありませんか』
　鍵穴を通して、ベッドの掛け布がめくれ上がるのがわかる。しかし、その下にはやはり誰もいない。

『あっ、あなた、あんなに出たというのに、もう、こんなに…』
『レイさんこそ、もうこんなにして…』
『それはあなたがわたしのなかに出した液体じゃありませんか…！』
　とても過激な会話が僕の眼前で繰り広げられる。

　そしてまた、『姿なき行為』行為が始まり、幽霊二人はそれに没入していった…。

　僕はこれ幸い、として一目散に逃げ去った。
（ゆ、幽霊が、セックスするなんて話、あるのか…？）

　結局僕は、近くに偶然あった旅館で一夜を明かすことになった。もっとも、眠れなかったけれども。
　家までは遠かったし、夜も遅く、家まで帰る気にもならなかった。
（…姿が見えたなら、どんな人なのだろうか？）
　僕は、生前の『レイさん』の姿を想像してしまう。

　迷った結果、僕はあの屋敷のことを旅館の人間に聞いてみた。すると、女将は意外な反応を見せた。
『あなた、あの幽霊屋敷に行きなさったのですか！』

　聞いてみると、僕が行ったあの屋敷は、この界隈でも幽霊屋敷として有名らしい。それというのも、誰もいないのに声がしたり（僕が見たヤツかもしれないが）、夜中にやはり誰もいないのに、明かりがついていたり、はなはだしいものは、女の子が空を飛んでいた、なんていううわさまであるらしかった。
「何か、あなたも見たんですか？ここにきたとき、やけに憔悴した顔だと思ったんですが」
　僕は質問に答えなかった。いや、答えられるわけがなかった。僕が見たものは、女将に挙げられたもの以上に過激だったからだ。

　迷った挙句、僕はそのまま家に帰ることにした。あの屋敷が本当に幽霊屋敷なら、僕は近づかないほうがいいだろう。
　それに、それを調べるのに適任の人間を、僕は知っていた。

　家に帰ると、僕は早速電話の受話器を手に取っていた。
『…はい、『氷室探偵事務所』です』
　女性の綺麗な声が、僕の耳に届き、僕はようやく安心したような気持ちになった…。