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　壮大な大地の中央に、ポツンとたたずむ一人の女。
　青い空の中でユラユラと揺れている太陽が、その地に似合わぬ白い肌をジリジリと焦がしていく。頭皮から滲みでた汗は、女の滑らかな肌に一筋の道をつくっていた。
　まだ幼さを残している女の瞳が、ジッと空を見つめたまま長い睫を揺らす。
　大きな黒目には哀感が漂い、どこか絶望的な雰囲気さえ醸し出している。
　悲壮感に満ちた女の顔は、場違いながらも実に美しかった。
「不安か？」
　女の後を追い、ゆっくりと近づいてきた男が心配そうに声をかける。
　空を見つめたまま、黙ってかぶりを振る女。
「俺がついている。……心配するな」
　男は、女の肩を掴んで強引に振り向かせると、ギュッと力を込めて華奢な身体を抱きしめた。
「はい、カァット！　オッケー、オッケー！　最高だったよ！」
　スピーカーから地鳴りするほどの大声が響いてくる。
　仁美は、ベテラン俳優の岩瀬にポンポンと肩を叩かれながら安堵の表情を浮かべた。
「今日の撮影はこれで終わりでーす！　仁美ちゃん、明日からいよいよ濃厚なシーンに突入するから、体調だけはしっかり整えててね！」
　監督に黙礼する仁美の表情は、密かに強張っていた。

　長澤仁美二十二歳。
　身長１６８センチに、上から８６、６０、８８、と、類まれな官能ボディに愛くるしい笑顔でグラビアを賑わせ、十六歳でスクリーンデビューを果たした国民的アイドル。
　十七歳の頃、ベストセラー小説の映画版にヒロインとして抜擢。
　映画は記録的な数字を叩き出し、大ヒットとなった。
　これがきっかけとなり、本格的に女優業の道を歩みだした仁美。
　その顔つきも童顔だった美少女のイメージから少しずつ脱皮し、サラサラのショートヘアーにややふっくらとした頬は変わらぬものの、どこか遠くを見るような目差しは大人の色気を十分に醸し出している。
　仕事のオファーは次から次へと舞い込んできた。
　CM、ドラマ、映画……与えられる仕事はなんでも意欲的に取り組んだ。
　仁美の質を落としたくないという事務所の方針で、バラエティとグラビア雑誌からは完全に姿を消したが、それでも仁美の人気が落ちることはなかった。
　だが、仁美が二十歳を過ぎた頃、芸能界には新しいヒロインがぞくぞくと生まれだし、それは日本国内からだけでなく、韓国、中国、またはロシアといった海外からのニューフェイスも出現しだしていた。
　目まぐるしく入れ替わる芸能界の人間模様。
　それらはほとんどグラビアやバラエティが中心となっているのだが、仁美自信がグラビアの出身だけに、その脅威を感じずにはいられなかった。

　午前中に撮影を終えた仁美は、その日のうちに東京へ戻った。
　飛行機を降り、宿泊先のホテルへとタクシーで移動する仁美。
　その車内で、仁美は明日に控えた濡れ場シーンの不安をマネージャーに打ち明けた。
「ねえ、マネージャー……」
「んっ、どうしたの？」
「明日の撮影のことなんだけど……例のシーンではやっぱり脱がなきゃ駄目なのかな？」
　仁美が、女性マネージャーのメガネの奥にある切れ長の眼をそっと覗き込む。
　クランクイン後にそんなことを聞くのは無意味だと分かっていた。
　しかし、どうしても乳房を晒すということにふんぎりがつかない。
「仁美ちゃん、この映画は絶対にヒットするわ。これは仁美ちゃんにとってもターニングポイントだと思うの。ここでどれくらい迫真の演技ができるか、何人の人を自分の演技に引き込むことができるか、女優としての地位を強固なものにするためにも、ここが頑張りどころなのよ」
　マネージャーの高島優子は、ミニスカートの中で黒いストッキングに包まれた流麗な太ももを重ねながら力強く言った。
「う、うん……それはわかっているつもりなんだけど……」
　淡い桃色の唇をキュッと噛み締める仁美。
「ねえ、今夜は彼をホテルに呼んだら？」
「えっ？　そ、そんなことしたら……」
「大丈夫よ。あなたがあのホテルに泊まることは誰も知らないし、それに、私が上手くやってあげるから」
　高島は、人差し指でメガネのズレを直しながら、色っぽくウインクしてみせた。
「うん。じゃあ、ホテルへ着いたら電話してみるよ。その後にマネージャーの部屋に行くね」
「ふふ、まかせといて。そのかわり、ちゃんと彼氏に不安を取り除いてもらうのよ」
　高島が意地悪な眼で睨み、グイッと顔を寄せる。
　仁美は、舌をぺロッとだして愛くるしく微笑んだ。
　仁美にとって、高島の存在は絶大だった。
　女優顔負けの美貌に回転のはやい知的な頭脳。
　前に一度、女優に挑戦してみたら、と仁美に聞かれたことがある。
　表には立ちたくないの―――それが彼女の答えだった。
　信頼のおける、頼れる姉さん……仁美は心から高島を敬っていた。

　部屋に着くと、仁美はすぐにバッグから携帯をとりだした。
　ネオンが灯りはじめる市街地を高層ビルの窓からジッと見つめ、受話器から聞こえてくる彼氏の声を涼しい顔で待ち望む。

　プルルルル、プルルルル、―――

　仁美の表情が歪みかけたとき、ふと呼び出し音が切れて若い男の声が聞こえてきた。
『もしもし、どうした？』
　馴染み深い軽く軟らかな声に、仁美の表情がパッと歓喜する。
『ねえ、いま大丈夫？』
『ああ』
『あのね、いまオオタニホテルにいるんだけど……今夜、逢えないかな？』
『うーん、そうだな……この後もう一本入ってるんで、ちょっと遅くなるかもしんないよ。それでもいい？』
『うん。私は大丈夫』
　仁美は、隠しきれない笑みを顔に上げて話した。
『でもさ、俺がそっちへ行って大丈夫か？』
　声の主、市原宏は売れっ子の若手俳優である。
　ファッション雑誌のモデル時代、あるテレビ局の大物プロデューサーに見初められ、異例のドラマデビューを果たしてからというもの、人気はうなぎ上りで、いまや誰もが知る超有名人だ。
　まだマスコミには知られていないが、二人の交際歴はやがて一年になろうとしていた。
『うちのマネージャーがうまく逢わせてあげるって』
『ああ、高島さんか。だったら大丈夫だな。じゃあさ、仕事が終わったらすぐに行くよ』
『うん、待ってる』
　笑顔で電話を切ると、仁美は暮れゆく街並みに向かって暗い溜息をついた。

　シャワーを浴び、Tシャツにスパッツというラフな格好で台本を片手に念入りな演技練習を行う仁美。
　明日のメインである絡みのシーンは飛ばした。
　その部分に入り込むと、市原が来る前に濡れてしまうような気がした。
　脚本家の熱意は台本の全ページからヒシヒシと伝わってくるが、官能部分においては特に力の入れようを感じてならなかった。

　男の口が女の唇を軽く噛み、それを厭らしく引っ張りながらプルンッと離す。重ねた唇の中で淫らに舌を絡ませ合い、男の手が女の乳房を荒々しく揉みしだく―――

　濃厚な描写で書き綴られている官能部分は、何度読み返しても仁美の秘芯を熱く疼かせた。
　そして、それが仁美の決断を後悔させていた。
「ふぅ、……やっぱり受けるんじゃなかったかなぁ、この映画」
　ボソッと呟き、チラリと時計に眼をやる。

　トントン、トントン、―――

「あっ、ヒロちゃんだ！」
　夜の十二時を過ぎた頃、ようやくドアを叩く乾いた音が聞こえてきた。
　仁美は小走りでドアに向かった。

　ガチャ、―――

「よっ、お待たせ」
　サングラスの奥で、市原の優しそうな垂れ眼がニッと笑う。
　仁美もつられて微笑んだ。
「あっ、はやく入って」
「んっ、ああ」
　市原は、両手を後ろにまわし、背筋を伸ばしながらゆっくりと部屋の中を歩いた。
　途中、備え付けの冷蔵庫から缶ビールを一本取り出すと、それをベッドに腰をおろしてからグビグビと飲み、爽快な表情を仁美に向けた。
「どうした？　なんだか元気がないぞ？」
「うん、実はね、まだ迷っているの」
　仁美は、市原の隣へ腰をおろし、溜息混じりに言った。
「迷ってるって……例のアレか？」
「うん……」
　飲みかけのビールをテーブルに置き、市原が台本に手を伸ばす。
　それをパラパラとめくり、印をつけてある官能部分の箇所を黙読した。
「うーん、これ、ずいぶんハードだな……」
「でしょう？　ねえ、どう思う？」
「どう思うったって……」
　市原は眉をしかめた。
　もちろん脱いで欲しくないし、映画自体をキャンセルしてもらいたいとさえ思っている。
　しかし、その思いは簡単に口にできるものではない。
　女優として生きていくなら濡れ場は必至だ。
　いまを回避しても、そのうち必ず同じ境遇に立たされるであろう。
　今回の映画出演に関して、市原は仁美の知らぬところでマネージャーの高島からも強く念を押されていた。

『いまのままだと長澤仁美は消えてしまう……もうソフトタッチの演技では駄目なの。変貌を遂げる時期にきているのよ。女優として確固たる地位を築くなら今しかない。この映画は間違いなく売れるわ。この中で一皮も二皮も剥けた長澤仁美を、より多くの人に見てもらいたい。そして、あの子が本物の女優であることを知ってもらいたいの』

　高島の言葉に、市原は強く共感した。
　高島の言葉は、自分にも当てはまっていた。
　市原宏という二枚目俳優を引き立てるため、ときにはベテランの大物俳優でさえ汚れ役にまわることがある。市原もそれに甘んじていた。自分は売れっ子だから、それが当たり前だと思っていた。
　だが、年を重ねるうちに、自分が一つのスタイルしか持っていないことにふと気付いた。
　だからこそ、いま仁美が置かれている状況というものが、仁美本人より分かるのだ。

「なあ、俺は……うん、やるべきだと思う」
「えっ？」
「いや、そんな偉そうなこと言える身分じゃないんだけど、なんていうか……あれだよ。俺もお前もさ、一度おもいっきり汚れたほうがいいんだよ」
「汚れる？」
「うん、汚れる。俺ってさ、いつも二枚目の役ばっかりじゃない。ふっ、あるとき気付いたんだよ。俺ってさ、それ以外の演技……やれないんだよね。視聴者から酷く憎まれる役とか、怯えさせる役とか、どうしようもなく惨めな役とかさ」
「ヒロくん……」
　市原は、テーブルに置いた缶ビールを手に取ると、残りを一気に咽へ流し込んでから話を続けた。
「お前も俺と同じなんじゃないかって、ふと思った。だから俺は反対しなかった。お前がせっかく新しい境地を見出そうとしてんのにさ、それを恋人の俺が邪魔しちゃうなんて、もっての他だ」
　精悍な眉を優しく折り曲げながら、市原は無理して笑顔をつくった。
「ヒロくん、台本読んだでしょう。……裸になるだけじゃないのよ。キスだって舌を絡めちゃうくらいに激しいし、それに、それにおっぱいだって……」
　市原は仁美の身体を力いっぱい抱きしめた。
「言うなよ」
「ヒロくん……」
「俺だって普通の人間だ。嫉妬はするさ。今回の絡み……いや、映画自体、お前が本当に嫌だと思うのならやめればいい。だけど、だけど俺はお前に頑張ってほしいんだよ。お前には素質がある。また、素質以上に天性の煌きがある。いまのお前が大人の演技を身につければ、間違いなく日本映画界に名を刻む女優になれるって、俺は信じてる」
　背中にまわした市原の手が、グッと力を込めてくる。
　仁美は、栗色の髪に頬を埋めながら、潤んだ瞳をそっと閉じた。
「ヒロくん……わたし、頑張る。どこまで自分を曝け出せるか分からないけど、とことん頑張ってみる」
「仁美……」
　市原と仁美は、そのまま自然な形でベッドに崩れた。
　唇を重ね、激しく舌を絡めながら、互いの衣服をゆっくりと脱がせていく。
　全裸になると、市原は仁美の乳房を掴んで小さく囁いた。
「仁美……俺も一応、役者だ。仕事の一環として脱ぐことには、これからも反対はしない。俺はお前のことを心から愛している。そして、誰よりもお前の成功を願っている。俺がいつもお前の傍にいるってこと、それだけは忘れないでくれ」
「ヒ、ヒロくん……」
　仁美の唇がプルプルと震えた。
　大きな瞳の端からは、純愛を湛えた涙がツツーッとこぼれ落ちた。

　深夜のベッドで淫らに絡み合う若い男女の裸身。
　市原は、いつも以上の激しさで仁美を抱いた。
「あっ、あん、痛い」
「えっ、ごめん」
　口に含んだ乳首をあわてて離す市原。
　つい力が入り、無意識のうちに歯をたてていたのだ。
　市原の身体は異常に疼いていた。
　嫉妬……胸奥にへばり付くこの二文字。
　自分はもっとクールだと思っていた。
　が、しかし、独占欲の強いもう一人の自分が、いつまでも嫉妬の焔を燃やし続けている。
　市原は、仁美の優雅な裸体をマジマジと見つめた。
　そして、円やかな乳椀を両手で存分にこねあげると、ササッと下半身のほうへ移動して淫靡な花園に顔を埋めた。

　ペチャ、ピチャ、ペチャペチャ、―――

「あ、ああん……んっ、んん」
　仁美の唇が、白い歯を覗かせながら甘い声を漏らしていく。
　市原の舌は、花びらの一枚一枚を掻き分けながら奥のほうへと入り込んできた。
　淡いピンクの内肉は、しとどに濡れていた。
　清純な仁美がひっそりと湧き立たせた厭らしい蜜を、市原の口が音をたてて啜り上げる。

　チュチュ、チュル、チュバ、―――

「あ、いや……は、恥ずかしいよ、ヒロくん」
　市原は、無心で仁美の分泌物を舐めた。
　唇を押し付け、舌を這わせ、湧き出た蜜をすべて舐め尽しても、なおも市原は舐め続けた。
　細めだが、黒目部分の大きな市原の垂れ眼。
　その眼の表面には、うっすらと哀感の涙が揺れていた。