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「んでさぁ、それがツボにはいっちゃってNG連発！」
「わかるな〜、わかるよ、それ」
　皆がドラマ撮影での笑い話で盛り上がる中、仁美だけはうっすらと作り笑いを浮かべながら溜息まじりに酒を飲んでいた。
　その席に、彼氏である市原の姿はなかった。
　つい先ほど仁美の携帯に、『トラブルがあって仕事が長引きそうだから、今夜はどうもそっちへ行けそうにない』と、連絡があったのだ。
　仁美は『何時でもいいから来て』と言ったが、市原は仕事を優先に考え、『ごめん、今日はもう行けそうにない』と、かたくこれを断った。
　市原が来ないのであれば帰ろうか……一度はそう思ったが、いったん口に入れたアルコールが帰る気力を失わせた。また、隣ではしゃいでいる隆太の陽気が、心情にある暗い影をわずかに和らげてくれている。隆太自身、いつもと様子が違う仁美を気遣っているのか、皆に笑いを提供しながら、合間には必ず仁美へ声をかけていた。
「それでさ、パスタを食いながら彼女を笑わせるっていうシーンがあったんだよ。監督から、お前だったらアドリブのほうがよさそうだ、なんて言われたもんで、つい俺も気合が入っちゃってさ」
　まわりを見渡しながら隆太が得意げに話す。
「っで、お前、どうやって彼女を笑わせたんだよ？」
「うっひっひ、それはね、あっ、仁美ちゃん、ちょっと相手役やってよ」
「えっ？　わ、わたし？」
「うん。いい、俺のことをジッと見ててね」
「はい」
　仁美は少しあきれたような表情で隆太を見つめた。
「仁美ちゃん、俺さ、最近どうも鼻が変なんだよ〜」
　隆太が顔を伏せ、うなだれながら言う。
「えっ？　鼻、どうかしたの？」
「ねえ、ちょっと見てくれないかなぁ〜」
　顔を上げ、隆太は仁美のほうへ寄りながら鼻の穴を見せた。
「プッ！　あっはっはは」
　鼻の穴を覗くなり、腹を抱えて笑い声をあげる仁美。
「なになに？　どうしたんだよ、仁美ちゃん！　隆太、こっちにも見せてみろ！」
　みんなが一同に席を立って隆太の鼻を覗きにくる。
「ぐわっ、なんだ、こいつ！　いつのまにピーナッツなんて入れたんだよ」
「ぎゃっはっは、ピーナッツが詰ってるよ！　そりゃ、変だな」
　皆の笑いのなかには仁美の笑顔も含まれていた。隆太は心の中で大きくガッツポーズをとった。

　隆太の優しさは仁美もじゅうぶんに知っていた。
　隆太がいるから市原がいない席でも安心して飲める。それは本心だ。
「ひ、仁美ちゃん、今夜はちょっと飲みすぎなんじゃない？」
　ハイペースで飲み続ける仁美に、隆太が心配そうな顔で声をかける。
「いいの。明日は撮影ないし、それに……ちょっと酔いたい気分なの。隆太くん、今夜は最後まで付き合ってね。えへへ」
　酔いの見える仁美に、隆太は渋顔で焼酎をあおった。

　皆一様に酔いはじめた時、誰かが映画の話題を口にした。
　酔っ払いながら、口々にこれまで出演してきた映画のことを若さゆえ自慢しはじめる。そんな中、俳優仲間の一人が津上幸太郎との絡みを不意に仁美へ尋ねてきた。
「あの人さ、ベッドシーンではかなり過激だって噂だけど、実際はどうだったの？」
「えっ？　そ、そんなこと……どうだっていいじゃない」
　赤ら顔にわずかな色欲を滲ませた若者に、仁美は冷たく答えた。
「だってさ、津上さんって、前張りしないんだろ？　芸能界では有名な話しじゃん。仁美ちゃんも今回の映画ではヘア解禁してんだからさ、当然しなかったんだろ？　まさか……ほ、本当にやっちゃったりとかして」
　仁美の表情がわずかに凍りついた。
「おい！　お前さ、ば、馬鹿なんじゃねーの！　そ、そ、そんなこと聞くなんてどうかしてるぞ！　無神経さにも程があるってんだよ！」
　隆太がテーブルを叩きながら激しく怒鳴った。
「な、なんだよ、俺はただ……」
「うるさい！　お前、いいから黙って家に帰れ！」
　声を荒げる隆太に、まわりが水を打ったように静まり返る。そんな中、その場に居たたまれなくなったのか、仁美がガタガタッと椅子を倒して席をたってしまった。
「あ、仁美ちゃん！」
　隆太が腰をあげながら叫ぶ。
「お、おい、俺はただ冗談のつもりで……」
「黙れ！　いいか、お前は馬鹿！　大ばか者！　地上最悪の生き物だ！　わかったか！」
　男を罵倒し、隆太は急いで仁美を追った。

　あわてて店を飛び出し、隆太はキョロキョロと必死であたりを見回しながら仁美の姿を探した。
「ど、どこへ行ったんだ……って、ここにいるじゃん！」
　仁美は、店の入り口横でポツンと座り込んでいた。
　声をかけながら、心配そうにソーッと伏せた顔を覗き込む隆太。
　泣いているのか、声をかけても俯いた顔からは何の返答もない。
「仁美ちゃん……大丈夫？　あ、あいつの言ったことなんか気にすんなって。あいつはお墨付きの無神経ヤロウなんだからさ。もうあいつなんかと飲むことは一生ないんだから。ねっ」
　隆太の言葉に、仁美が少しだけ顔をあげた。
「おっ、大丈夫かい？」
「隆太くん……」
「んっ、なに？」
「吐きそう……」
「ええええっ！？　マ、マジで？」
「うん……」
　大げさな動作で、仁美が安心して吐けそうな場所を必死になって探す。店に戻るわけにはいかない。
「ひ、仁美ちゃん、とりあえずどっかに移動しよう！　た、立てる？」
　隆太の焦った口調に、仁美が小さく首を振った。
「うーん……しょうがない。ほら、仁美ちゃん！　俺の肩につかまって！」
　急に走って酔いがまわったのか、仁美の反応はかなり薄い。隆太は、躊躇しながらも仁美の脇下に腕を差し込んで身体を抱き起こし、急いでその場から移動した。

　なかなかタクシーがつかまらず、隆太は仕方なく公園の先にあるタクシー乗り場を目指すことにした。
　隆太に支えられながらヨロヨロと千鳥足で歩く仁美。
　しっかりと自分の足で歩きながら、仁美はこのとき軽い夢を見ていた。
　ぼんやりとした意識の中で感じる、心地よい温もりと幸福感……幻想の中で、仁美は青い海のど真ん中で爽快な笑みを浮かべていた。市原とはまるで違う男の匂いが、仁美の心に不思議な安堵感をかもし出していたのだ。
「兄ちゃんら、いまからホテルかい？　いいね〜、羨ましいぜ〜」
　人気のない夜の公園にさしかかったとき、あきらかに茶化したような声が前方から聞こえてきた。
「かぁ〜、こんなにベロベロに酔っ払わせちゃってよ。兄ちゃん、あんた、すげえ悪人だろ？　えっ？　なあ、俺らにも輪姦させろよ。独り占めはよくないぜ」
　バサバサに伸びた茶髪の男が、片割れの坊主頭と野卑に笑いながら近づいてくる。
（チッ！　こんなときに……やべえな）
　隆太は、うなだれたまま胸で大きく息をしている仁美をチラリと見やり、ギュッと奥歯を噛みしめた。
「わお！　この子、メッチャ可愛いじゃねーか！　つーか、誰かに似てんなぁ」
　仁美の顔を下から覗き込み、茶髪が好色たらたらに喜声をあげる。
「マジかよ！　どれどれ」
　坊主頭はすかさずタトゥーの入った腕を伸ばし、仁美の細い顎をクイッと持ち上げた。
「や、やめろよ！」
　隆太が身体を半身に捻りながら叫ぶ。
「なんだよ、コラ！　てめえ一人でいい思いしようってのか！　罰が当たんぞ！」
「うるせえ！　俺らにかまうな！」
　隆太は後ろへ下がりながら力を込めて言い放った。……が、次の瞬間、一瞬にして地面を舐めていた。
「だから言ったじゃねーか、罰が当たるって。くひひっ」
　横方から繰り出された茶髪のパンチが、隆太の顔面を歪ませながら身体ごと地面に薙ぎ倒していたのだ。
「クッ、……ンクッ……」
　一瞬、何が起きたのか理解できず、カッと眼を見開いたまま地面を睨む隆太。
「な、なに？　どうしたの？」
　一緒に倒れこんだ仁美が、ふと夢から覚めてあたりをキョロキョロと見回す。
「えっ？　あっ、隆太くん！？」
　仁美は、訳が分からぬまま倒れている隆太に声をかけた。
「おい、やっぱりそうだぜ。この子、ほら、いま話題になってる映画があんじゃねーかよ」
「誰だよ？　俺よ、そういうのに疎いからわかんねー」
「ほれ、これでどうよ？」
　茶髪が、仁美の前にしゃがみ込んで深くかぶっていた帽子と赤ぶちのメガネをパッと取り払ってみせる。
「キャッ、な、何するんですか！？」
　驚きながらも、不躾な男をキッと睨む仁美。
「お、あるある！　見たことあんぜ！　そういえばよ、男のほうも何処かで見たことあんぜ」
「へへっ、今夜はついてるぜ。おい、さっそくホテルに連れ込んでヤリまくろうぜ。んでよ、写真とビデオに撮って……うひひ、こりゃあ、ガッポリ稼げるんじゃねーか？」
　茶髪が強引に仁美の身体を抱き寄せ、ニヤニヤしながら顔を近づけていく。
「グッドアイデア！　よし、すぐにこっちへ車まわしてくるぜ」
　そういうと、坊主頭はダッシュでその場から走り去った。
「えーと、名前何っつたかな〜、思い出せね〜。まあいいか、後で調べりゃすぐだし。それにしても美人だぜ〜、身体も美味そうだし。なあ、キスさせてくれよ」
　背中にまわした茶髪の手が、物凄い力で仁美の身体を絞り上げていく。そして、すぐに分厚い唇がスーッと美貌へ迫ってきた。
「あっ……嫌ッ……や、やめて」
　仁美は必死に顔を振った。茶髪の胸と肩を何度も殴った。だが、男の屈強な力には勝てず、ほんのりと色づいた頬に茶髪の唇がついに押し当てられてしまった。
　唇から即座にニュルッと舌が飛び出し、ベロベロと頬を舐めながら口唇へと迫ってくる。仁美はなおも顔を激しく左右に振りたてて抵抗した。
「そんなにキスは嫌かい？　まあいいや、どうせ後でたっぷりとしゃぶらせてもらうんだからさ。うひひっ。そういや、あんた意外とおっぱい大きかったよな？」
　ヤニ臭い息を吐きかけながら、茶髪がごつい手で胸元をまさぐりはじめる。太い指の一本一本が、バストの大きさとその感触を確かめようと野蛮な動きで肉に減り込んでいく。
「い、嫌ッ！　……だ、誰か」
「へへっ、誰も助けちゃくれねえよ。見ろよ、あんたの彼氏も一発であの様だ」
　細い顎をしゃくってから、茶髪はケラケラと笑った。
　このとき茶髪はちゃんと眼で隆太の姿を確認すべきだった。
「あっ！」
　見上げる仁美の眼に、茶髪がおもむろに振り向く。
「不意打ちとは汚ねえ奴だ」
「あっ、てめえ！？」

　バシィーーーン！！

　無防備に振り向いた茶髪の顔面を、隆太の凄まじいまわし蹴りが勢いよく打ち抜いた。
　首が激しく上下し、言葉なくその場に昏倒する茶髪。
「仁美ちゃん、逃げよう！」
　呆然とする仁美の手を引き、隆太は急いでその場から逃げた。
「ああ〜、コラァ！！　手前らアアアーー！！」
「ぬお！　やばい！　ひ、仁美ちゃん、こっちだ！！」
　車をまわしてきた坊主頭が事態急変に気付き、スリップ音をけたたましく鳴らしながら追いかけてくる。隆太は仁美の手をきつく握り締めながら脇道に入り、とにかく車が通れそうにない道を選んで必死に逃げた。
　そして、ふと気付けばいつのまにか二人はラブホテルへと逃げ込んでいた。