| ９ 妄想の中でハジける 県の秋季大会がはじまっていた。 僕は、やはり、投げさせてもらえなかった。 サウスポーの木村がマウンドに立った。 球は、さほど速くはない。 しかし、コントロールが抜群にいい。 それに、サウスポー特有の、右バッターの膝元に食い込んで行くカーブがよかった。 僕は、ライト、７番で、スタメン起用してもらっていた…。 それで、十分満足しなければ…。 「おい、田村って子が、この１塁側スタンドに来ているぜ」 ベンチの中に座っていると、永岡監督が、僕に耳打ちをしてくるのだ。 「？？？」 （何で監督は、僕のクラスの女の子の名前まで、知っているんだろう？） 「馬鹿やろう！。彼女は、おまえが目当てにちがいない、っていうのに…」 「？？？」 「しょうがねぇなぁー。いつも、校庭で、おまえがフリーバッティングで投げてるのを、熱心に見てるんだぜ、彼女は。ふつう、フリーバッティングじゃ、バッターを見るもんだろ。しかし、彼女は、バッティングピッチャーをやってる、おまえの方ばっかり、見てるんだから…」 「……」 まさか、と思う。 実際、田村加奈は、成績もよくて、おれなんか、目じゃないはずだ。 それに塾もあって、野球の練習なんか、見ているひまはないはずだ。 僕は、監督から何を言われても、気にならなかった。 試合は、もう６回の裏に進んでいる。 僕は、バッターボックスに立っていた。 ツーアウトながら、ランナーが一人、一塁にいる。 「いいところ、見せてやれ！」 監督の声が聞こえた。 僕は、自分ながら、落ち着いているのが不思議だ。 ツーアウトでもあるし、気が楽だった。 （右方向にねらい、一塁ランナーをサードまで進めることができれば…） 僕は、ぼんやりと、そんなことを考えていた…。 だから、ツー・ストライクまで追い込まれるまでは、アウトコースの球だけを待つことにしようと思っていた。 初球だった。 アウトコースのストレート。 僕は、バット・ヘッドを遅らせながら、バットを出していた。 打球は、一・二塁間を、ライナーで抜けていた。 僕は、一塁ベースに立っていた。 そして、サード・コーチャーを見た。 タブル・スチールのサインでも出ていたら、大変だからだ。 が、それはなかった。 と、僕は、一塁スタンドの方を振り向いていた。 （あっ、本当だ、田村がいる。しかも、こっちを見てる） 僕は、あわてて、視線をグランドに戻した。 結局、僕らのチームは打てなくて、１対０で負けてしまっていた。 せっかく、サウスポーの木村が好投したのに。 １点取られたとはいえ、それは、こちらのエラーがらみで与えた点であって、木村の自責点とは言えなかった…。 でも、試合後のミーティングの時、監督は、怒らなかった。 「よし、また、明日から、春季大会に向けて、がんばろうや」 と、意気消沈する僕たちを励ましてくれた。 僕たちは、市営グランドに迎え来た、貸し切りバスに乗った。 僕は、窓側の席に座って、ぼんやりと、流れる町並みを見ていた。 と、マイクロバスは、自転車に乗っている女の子を追い越して行く。 僕は、振り返る。 （あっ、田村だ。あいつ、球場まで自転車で来たのか。ひょっとして、５０分も、６０分もかけて…） 僕は、信じられない気持ちだった。 （女の子なのに、なんで、野球が好きなんだ？） （あいつ、塾で忙しいはずなのに、なんで、野球の応援なんかに？） マイクロが、学校に着いた。 僕たちは、グランドで、軽くキャッチボールをした。 そして、部室で着替えをした。 「野村、よかったな」 監督だった。 「……」 僕は、照れていた。 「３回表の右中間に飛んだライナー、よく取ったな」 「はい。あれは、ちょっと、まぐれでした」 「ああいう風に、ともかく、グラブは脇に抱え込んだまま、落下点に向かって真っ直ぐ走れ。そして、取る瞬間に、すばやくグラブを出せばいいんだからな。ああいう呼吸をしっかり覚えておくんだ」 「はい」 「それと、６回裏、しっかりミートできたな、けっこうむずかしいそうなアウトコースの球だったのに。ああいう、アウトコースの球は、しっかり引きつけて打てばいいんだからな」 「はい」 「それに、何より、田村の目の前で、いいプレーができ、いいバッティングができたんだから」 「……」 監督は、笑っていた。 しかし、僕は、笑えなかった。 （そうだ、もし、大越先生が応援に来ておられたとしたら、きっと僕は、緊張しすぎて、あの右中間ライナーは取れなかっただろうし、あのアウトコースの球に対してだって、素直にバットが出なかっただろう…） 僕は、日曜日、クラスメイトの釜山良一と会っていた。 「なぁ、こうしてる時間、無駄だと思わない？」 釜山良一が僕に言う。 確かにそうかもしれない。 「おまえも、そろそろ、ケータイ、持ったら」 「めんどうで…」 「まぁ、彼女はできんな」 「……」 もし、僕が新聞社に入ったとしたら。 おそらく、ケータイやパソコンから本社の編集部に、メールで取材原稿を送らなくてはいけないだろう。 「おまえが、ケータイを持ったら、俺が、まず、メールを打ってやる。そうしたら、ほら、こうして、受信メールを開いて。返信を押して。文字入力して。確定して、送信を押せばいいんだから」 「なるほど。簡単なんだね」 「そうだろ。メールなら、相手は好きな時に見れるわけで。電話みたいに、相手の邪魔をすることがないからな」 「そうだな。後は、かあさんが許可してくれるか、どうかだな」 「そんな。おふくろの許可なんか、要るかよ」 「しかし…」 「それに、おまえは、ばぁちゃんから、お小遣い、たくさん、もらってるんだろ？」 「でも、まぁ、その、家族割にした方がいいから」 「ったく、おまえは、そういうところだけは、ケチだからなぁ」 「そうかな？」 「で、何だ、用事って？」 「その、あの…」 「だろ？。面と向かっては言いにくいことでも、メールなら言えるし…」 「ああ、そういうもんか…」 「ああ、そういうもんだ。で、何？。聞きたいことって？」 「つまり、その、男と女の、その、交尾のこと」 「ああ、性交のことだな」 「性交って言うのか？」 「ああ、植物なら交配、動物なら交尾、人間なら性交」 「ふーん、なるほど。それで、性交のことだけど、ああいう男の硬いモノが、どうして、女性のあそこに入るんだろう？」 「なんだ、そんなことか。つまり、あそこは、赤ちゃんの頭が通るぐらいだから、非常に柔軟性があるんだよ」 「ふーん、なるほど」 「しかも、ちゃんと、そういう時になると、あそこに潤滑油みたいなものが出てくるんだ」 「えっ、そんなものが……」 「でもな、それは、好きな人とじゃないと、出ないらしいよ」 「えっ、そうなんだ」 「そりゃ、そうだろ」 「どうして？」 「満員電車の中の痴漢が犯罪なのは、そういうことなんだ」 「えっ、何？」 「だからさ、好きでもない男に、指なんかあそこに突っ込まれたりしたら、それは、痛いっ、てことさ」 「……」 「そういう相手のことを無視してやるのは、やっぱり、ダメじゃないのか？」 「そうか。好きでないと、ダメなのか？」 「あたりまえだろ？。好きな人となら、そういうものが出て来るわけだから、女性としても、そういう硬いモノを受け入れても、あそこが痛くない、ってことよ」 「……」 「つまり、潤滑油というのは、自動車のエンジン・オイルみたいなものなんだ。シリンダー（円筒形の容器）の中で、ピストン（円筒形の容器内を、内壁に密着しながら、往復運動を繰り返す活栓のこと）が動くんだけど、結局、エンジン・オイルが、摩擦抵抗を少なくしてくれるから、スムーズに動けるんだ」 「シリンダーの中で、ピストンが、そんな動きをするの？」 「そうじゃないの？。だって、そういう直線運動を回転運動に変えて、車を走らせているんだから」 「そうか、そういうものなんだ」 僕は、半分くらいは納得できたような気がした。 それに、釜山のうちは、自動車整備工場をやっているし、自動車のガソリン機関のことには詳しいのだろうと思った。 「それで、こうた、おまえは、週に何回、セル・プレ（セルフ・プレジャー）してるんだ？」 「……」 「俺は、週イチ。で、毎週、週刊誌、買うわけ。お金がけっこう要って、こまっちゃうわけ」 「でも、そんな週刊誌、買わせてくれるの、中学生に」 「コンビニのお兄ちゃんたち、みんな、バイトだもの。そんなやかましいこと、言わないよ。書店の場合は、やかましい店長なんかがいて、だめな時も、あるけどね」 「そうなんだ」 「こうた、おまえも見たいか？」 「ああ」 「じゃ、帰り、俺んちの前を通れよ。俺の週刊誌、何冊か、くれてやるからさ」 「いいの？」 「いいさ、どうせ、おふくろのやつが、古紙回収日に出すんだから」 日曜日、夕方になっていた…。 とうさんも会社が休みなので、夕食はいつもより早い。 ６時半、スタートなのだ。 「今度、ＰＴＡで、人権同和問題の研修会、やるの。でも、なかなか、人が集まらなくて」 「そうか」 とうさんとかあさんが話している。 僕は、しゃべるのが面倒くさくて、黙っている。 「何でかしらね？」 「みんな、無関心だからさ。自分の身に直接、降りかかるまでは…」 「かげでは、みんな、あそこの家はどうだとか、言ってるくせにね」 「アメリカも大統領、決まったようだけど。でも、心配だな。人種差別って、アメリカでも、けっこう根強いらしいから…」 「そうね」 「何か、いい話はないのかい、ＰＴＡで」 「何もないのよ、それが。まぁ、女同士だと、けっこう、先生方の私生活の話、って、盛り上がるんだけど」 「ふーん、そうかい」 「例えば、英語の大越先生のこと、とか」 「ああ、うちのおばあちゃんのマンションに入っている人だね」 僕は、聞き耳を立てていた。 「大越先生って、フィアンセがいるんですってよ」 「そうなのか」 「なのに、体育の増田先生というのが、ちょっかいを出すんですって」 「へぇー。で、その増田先生というのは、独身なのかい？」 「ううん、妻帯者。子どもも二人いるわ」 「じゃ、問題だな」 「そうでしょ。でも、ＰＴＡの役員会、って言っても、そういう話題で盛り上がるわけなの。肝心の、今度の人権同和の研修会では、どんなテーマにしようとか、じゃ、どういう講師さんを呼べばいいのかとか、そういうことになると、みんな、黙ってしまうのよね」 「まぁ、うちの会社の会議でも、そんなもんだ。だれそれが今回は昇進だとか、左遷だとか、人事の話になると盛り上がるけど、商品開発や企画の話になると、みんな、口をつぐんで、発言しようとしない…」 僕は、ショックを受けていた。 （やはり、先生には、好きな人がいたんだ） そして、僕は、何かしら、腹が立っていた。 （増田先生って、バスケで国体の試合にまで、出た人なのに…） 入浴後、僕は、机に向かっていた。 高校入試は気になる。 大越先生にも、注目してもらいたい気持ちがある。 僕は、不定詞の副詞的用法の例文をノートに書いて、覚えようとしていた。 “Ｉ ｗｅｎｔ ｔｏ ｔｈｅ ｐａｒｋ ｔｏ ｐｌａｙ ｓｏｃｃｏｒ．” “Ｉ ｗｅｎｔ ｔｏ ｔｈｅ ｓｅａ ｔｏ ｓｗｉｍ．” がしかし、気になるのだ、釜山良一が言ったことが。 『好きな人となら、女の人は、あそこに潤滑油が出て来るんだ』 『潤滑油のおかげで、シリンダーの中で、ピストン運動がスムーズに行われるんだ』 “Ｉ ｅｎｊｏｙｅｄ ｓｗｉｍｍｉｎｇ ｉｎ ｔｈｅ ｓｅａ．” 僕は、不定詞から、動名詞に進みたかったのに…。 英語の例文が、まるで、頭の中に入って来なくなっていた。 （エンジンでもあるまいし、本当に、そんな潤滑油が出て来るんだろうか？） （なぜ、シリンダーの中で、ピストン運動をする必要があるんだろうか？） 『ｅｎｊｏｙ，ｍｉｎｄ，ｍｉｓｓなどといった他動詞は、動名詞しか取れません。また、ｗａｎｔ，ａｌｌｏｗ，ｐｒｏｍｉｓｅなどといった他動詞は、不定詞しか取れません。もっとも、ｒｅｍｅｍｂｅｒという他動詞は、動名詞も不定詞も取れますが、その場合、意味が異なってくるので、注意をしましょう』 僕は、頭の中が混乱して、ベッドに寝ころがってしまった。 目を瞑る。 と、突然、目の前に、大越先生の顔が…。 （どうしてなんだろう。しっかりと、目を瞑っているはずなのに…） どうしても、その先生の顔の映像が消せないのだ。 と、耳元では、釜山の声が…。 『シリンダー（円筒）の中で、ピストン（栓）を、往復させるんだ』 耳もとを手で押さえる。 が、どうしても、その声が聞こえて来るのだ。 そして、僕は、妄想にかきたてられていた。 （ひょっとしたら、女性器の中で、男性器を、往復させるのでは？） 僕は、ひどく下品で、エッチな人間になりさがってしまっていた…。 こともあろうに、先生の女性器の中に、僕は、僕の硬くなった男性器を押し込み、そして、その男性器を押し込んだり、引っ張り出したりしたい、と思いはじめていたのだ…。 （そうすると、きっと、気持ちが良くなるのに、ちがいない…） 僕は、目を瞑っているというのに。 先生の顔が…。 先生の顔が、ゆがんでいる。 （痛いのだ、きっと！） そんなこと、わかっている。 しかし、僕は、僕の硬くなったモノを押し込もうしているのだ、先生のシリンダーの中へ。 （『いけないわ、こうたくん、いけないわ』） （『せんせい、せんせい、ゆるしてください』） （『だめよ、だめよ』） （『でも、好きなんです、先生のことが、死ぬほど』） （『だめよ、だめよ。痛いわ、痛いわ、お願い、やめて、こうたくん』） （『先生、ごめんなさい、ゆるして、ゆるして』） 僕は、布団を抱き締めていた。 そして、股の間にも、丸めた布団をしっかりと挟み込んでいて…。 「ウッ！」 僕は呻く。 その時、頭が真っ白になり、ハジけるものがあった、股間のところで。 が、スゴク、気持ちがいい。 頭の中が痺れる。 何か、スーッと頭から、血の気が引いていくような気がした。 ベットリと、ブリーフが濡れているのがわかる。 が、僕は、身動きできないでいた。 （ああ、また、僕は、先生を汚してしまった…） 僕は、目に涙をにじませていた。 僕は、先生が、潤滑油を出してくれなかったことで、気落ちしていた。 それに、欲望を止めることできなかったことで、自分自身が情けなくなっていた…。 （つづく） |
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| 2008.11.26掲載 |
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