| ４ 彼女の夫に成りすまし 「先生は、知っておられますか？」 「何を？」 ３階のナース・ステーションで、俺は、看護師の佐田川由香にたずねられていた…。 「黒木さん、入院しておられるんですよ、うちの病院に…」 「えっ、そうなの？。で、何で？」 「切迫流産なんです」 「ああ・・・」 黒木舞は、よほどついてないようだ。 つわりもひどかったし。 俺は、黒木舞の主治医ではないが、黒木舞は、たぶん、もう妊娠の中期、つまり、最後にあった月経の第１日から数えて１２週から１５週を過ぎているはずなのだ。 とすれば、つわりがおさまり、気分はよくなっているはずなのだが…。 つわりがおさまったかと思えば、今度は、切迫流産（せっぱく・りゅうざん）か…。 切迫流産は、確かに、胎児が流れ出るという、「流産」では決してない。 だが、その一歩手前なのだ。 だから、危険なことは危険なのだ。 出血があったり、下腹部が痛む。 子宮口が広がってもいるかもしれないし、安静にしていないと、本当に、胎児が体外に流れ出てしまうことになる。 この時期、すなわち、妊娠１２週から１５週の時期では、胎児は身長１５センチ、体重は１００グラムぐらいにはなっているだろう。 それに、こんなことがくせになると、二番目の子供を妊娠した時でさえ、いつ、また、流産してしまうかもしれない…。 俺は、見舞いに行きたかった。 どこの病室なんだろう。 後で、こっそり、調べてみよう。 「先生、見舞いに行かれなくてもいいんですか？」 「えっ、どうして？」 「だって…」 佐田川由香が、上目遣いに、俺を見る。 「みんな、言っていますよ、先生は、黒木さんのことが好きなんだ、って」 「まさか！」 俺は、信用しない。 佐田川由香には、このあいだ、フランス料理をごちそうしてあげた。 それで、俺に、媚でも売っているのだろう…。 「６２０号室の個室に入っておられるんです、黒木さん」 「ああ、そうなの」 俺は、わざと、気のないような返事をしている。 「うちの高村婦長が、産婦人科の婦長に特別に頼み込まれて、個室を用意してもらわれたらしいんです」 「そうなのか」 「先生、お花でも買って、お見舞いに行かれたらどうですか？」 「いいよ、そんな…」 実際、見舞いになんか行って、何と彼女に言ったらいいのだろうか？ （『このたびは、大変だったね。気をつけてね。この病気は、風邪とおんなじだからね、安静にしているのが一番の薬だからね』とでも、言えばいいのだろうか？） ともかく、見舞いに行って、彼女のご主人と鉢合わせになるのが一番いやだ。 彼女は、何にも知らないことなのだ、あの夜のことは。 ひどいつわりに悩まされ、俺の部屋に運び込まれ、睡眠剤を打たれていて、意識がなかったのだから…。 しかし、俺は、完全にそうだった、とはいえないが、ともかく、彼女のヴァギナに、ペニスの先っぽを、入れ込んでしまったのだから。 入れなければよかった…。 ご主人に合わせる顔がない…。 「先生、何を悩んでおられるんです？。６２０号室って、６階の東病棟、一番奥の部屋なんですけど…」 「わかっているさ、そんなこと…」 「わたしが、お花、持って行ってさしあげましょうか、先生の代わりに…」 「フーム…」 俺は、考え込む。 （いいかもしれないな。その方が目立たなくて…） 「いいのかな、そんなこと、君に頼んで…」 「いいですよ」 「そうか。そうなのか。じゃ、また、今度、君とは、イタリア料理でも、中華料理でも、食べに行く、ということで…」 「はい。それじゃ、先生から、ということで、彼女のお部屋に、お花を持って行っておきますわ」 「本当に、いいのかな？。そんなこと、頼んで」 「はい」 俺は、素直に頭を下げた。 そして、幾ばくかのお金を、佐田川由香に渡した。 「先生、ついでに、いい花瓶があったら、花瓶も買っていいですか？」 「ああ、いいのがあったら…」 「はい、わかりました。お任せください」 佐田川由香は、にっこり笑い、力強く言った。 （ああ、手術のときにも、こんな風に、しっかり受け答えをしてくれるといいのになぁ…） 俺は、６階、産婦人科入院病棟の、ナース・ステーションに電話をした。 そして、そこにいた看護師に、黒木舞の主治医の名前を聞いた。 産婦人科の木島だった。 俺の大学の後輩にあたる。 木島医師の部屋に、俺は電話をした。 「ああ、オレオレ」 「ああ、先輩。何ですか？」 「あのな、黒木舞という看護師がいるだろう。あれは、うちの内科（消化器）の看護師でな。どうなんだ、容態は？」 「何とか、止まりました。子宮収縮抑制剤、使いましたが」 「ああ、そうか」 「で、胎児も健康ですし、母体の方も、出血は、今は、止まっています」 「そうか。で、どれくらい、かかりそう？」 「１０日間くらいの入院で…」 「ああ、そうか。じゃ、よろしく頼むな」 「で、黒木舞って、先輩の何なんですか？」 「別に。単に、うちの内科の同僚ということだよ…」 「そうですか？。なかなか、かわいい子ですよねぇ。先輩、気があるんじゃないですか、あの子に…」 「馬鹿言え、そんなんじゃ、ないって…」 俺は、しかし、照れながら、電話を切った。 それにしても、俺は、恋でもした、というのだろうか？。 そういえば、百人一首の中に、平 兼盛（たいらの・かねもり）の歌があったな…。 『忍（しの）ぶれど 色に出（い）でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで』 もし俺が、黒木舞に恋しているなら、その恋心というやつが、俺の知らぬ間に、自然と表に出てしまったのだろうか？。 俺は、ほんのちょっとだが、黒木舞からの電話を待っていた。 佐田川由香が、黒木舞の病室に、花を届ける。 佐田川由香は、黒木舞に、本当の届け主の名前を告げるだろう。 とすれば、黒木舞は、俺の部屋に、お礼の電話を入れてくるはず…。 が、しかし、待っても、そんな電話は来なかった…。 黒木舞に、俺は、きらわれているのかもしれない…。 いやいや、あんな調子のいいことを言いながら、佐田川由香のやつ、病室に花束を届けていないのかもしれない…。 俺の所属する内科の入院病棟は、３階だった。 しかし、俺は、時々、エレベーターに乗り、その箱にたった一人のときは、６階のボタンを押していた。 ひょっとしたら、６階まで行けば、６階のフロアで、彼女が歩いているのを見かけることがあるかもしれない…。 エレベーターが、６階で止まり、ドアが開く。 しかし、俺は、エレベーターを降り、６階のフロアに踏み入るということはなかった…。 だって、そうであろう。内科（消化器系）の医師が、産婦人科の入院病棟の廊下を、ウロウロ歩き回っているなんて、それは、とてもおかしいことにちがいない…。 それに、実際のところ、看護師の佐田川由香のことを信用してやるべきだろう。 佐田川由香は、６２０号室の黒木舞の部屋に、花を届けているにちがいない。 俺の贈った花が、黒木舞の個室に飾ってあるかどうかなんて、確かめる必要もない…。 黒木舞だって、見舞いをもらった人たちには、退院後に、お礼に行くことにしているのだろう…。 俺は、自分の部屋にいた。 今日は、夜勤だった。 しかし、今日の昼間の手術で、ひどく疲れた。 腕時計を見る。 針は、深夜の１２時を回っていた。 最近は、欧米型の食生活になったせいか、大腸ガンの手術の回数は増えている。 大腸ポリープも、それが悪性のガンであれ、良性の線腫であれ、きのこ状に盛り上がった形のもので、それが、直径１センチ以下の大きさのものであれば、内視鏡でもって、本当に楽に切り取れる。 つまり、きのこ型のポリープに、ワイヤーを引っ掛け、電流を流して、茎の下のところから焼き切ってしまうのだ。 しかし、今日のクライアント（患者）の大腸ガンは、正常な腸の粘膜が、突然ガン化したもので、すでに陥没していた。 平坦部にできた、初期ガンであれば、楽だったものを。 が、ともかく、開腹手術をすることなく、内視鏡で、陥没した進行ガンを治療することにはしたのだが…。 大腸の粘膜の一部分に、麻酔剤をふっかける極局部麻酔だ。 粘膜に、電気ゴテを当て、ガン化した細胞を削り取る。 がしかし、誤って、正常な細胞に、高熱の電気ゴテを当てれば、場合によっては、飛び上がるほどに、患者が驚くことがあるのだ。 患者に、全く痛みや熱さを感じさせず、ガン細胞を削り取っていくのが、医者としての腕の見せどころなのだ。 俺は、眠気を覚えたので、ケータイのメニューボタンを押し、さらにツールのところを押す。 そして、アラームで、３０分後の時刻を編集・セットした。 たった３０分でも仮眠を取ると、頭がすっきりするのだ。 俺は、エレベーターに乗っていた、なぜか…。 エレベーターに乗っているのは、俺ひとり…。 そして、エレベーターは、６階へ向かう…。 俺の行くべき、内科の入院病棟は、３階だというのに…。 ６階に着く。 ドアが開く。 いつもなら、外へは出ないのに。 俺は、外へ出て、６階のフロアに足を踏み入れていた。 頬をつねってみる。 痛くない。 夢だ。 夢なら、俺は、黒木舞に会ってもいいはずだ。 俺は、特別個室になっている、６２０号室に向かっていた。 胸がドキドキする。 彼女に会えるのだ、久しぶりに。 ６２０号室のドアを引く。 が、開かない。 どうやら、中からロックしてあるみたいだ。 俺は、６階のナース・ステーションに向かった。 不思議なことだが、ナース・ステーションには、誰も待機していなかった。 夜間というのに、ナースたちは、みんな、入院患者たちの部屋に見回りに行って、出払っているみたいだった。 俺は、マスター・キーが納めてある、壁掛けのシールボックスの前に立っていた。 暗証番号を入力する。 すると、シールボックスの扉が開いた。 俺は、６２０号の個室に戻って行く。 マスター・キーであるカードキーをドアの差込口に、差し込む。 そして、ドアを左にスライドさせた。 部屋は暗かった。 俺は、ポケットに入れていた懐中電灯を出し、照らした。 ベッドを見る。 人が寝ている。 さらに近づく。 やはり、彼女だった。 よく寝ている。 横を照らすと、ベッドの横には、折りたたみのパイプ椅子がおいてあり、その上を見ると、サイドボードの上に、きれいな花が、花瓶に挿して、飾ってあった。 （ああ、ちゃんと、佐田川由香が、俺の代わりに、見舞いをしてくれたらしいな…） 懐中電灯を戻す。 彼女の顔を、遠慮がちに、そっと照らす。 顔色はわるくない。 安心した。 俺は、懐中電灯を消した。 いつまでもいると、まずい。 ひょっとして、彼女が目を覚ますかもしれない。 暗闇の中を、俺は、そっと、ドアのところへ、抜き足差し足で向かった。 『あなた…』 俺は、ドキッとした。 暗闇の中を、俺は、振り返る。 『あなた、もう少し、ここに居て』 顔は見えない。 がしかし、確かに、聞き覚えのある、黒木舞の声だった。 足が震えている。 もし、俺が部屋にいることがバレたら…。 きっと、黒木舞は、驚き、大きな声を上げるだろう。 夜中、１人部屋に寝ている、女性患者の許（もと）を、こっそり尋ねるなんて。 あってはならないことだ。 バレたら、懲戒解雇は間違いないことだ。 そんな、あたりまえのことがわからない、なんて！ 正気の沙汰とは、思えない。 俺は、足の震えが止められなかった。 そして、唇さえ、わなわなと震えはじめていた。 『あなた、どうしたの？』 俺は、気づいた。 闇の中なのだ。 相手は、俺が誰だか、わからないはずだ。 （落ち着け、落ち着け） 俺は、ふと、彼女のご主人が、建設会社に勤めているということを思い出した。 俺は、よくは見えないが、闇の中で、ベッドに寝ているだろう彼女の方に向かって、言葉を投げかけた。 『いや、今、建設現場では、みんな、忙しくしていてね。僕も、そうは休みが取れないんだ』 『もう少し、もう少し、居てちょうだい』 彼女の声が耳元に聞こえるようだ。 いつの間にか、俺は、暗闇の中で、寝ている彼女の、すぐそばまで、歩み寄ってきていたようだ。 それに、暗闇に目が慣れてきたせいか、うっすらと、彼女の顔の輪郭がわかってきた。 彼女の顔に、俺は、自分の顔を、さらに近づける。 彼女の目は開いていなかった。 どうやら、彼女は、夢うつつのなかで、ご主人のことを想っているみたいだった…。 俺は、そんな彼女が愛おしく、一時だけでもいい、彼女のご主人になってあげようと思った。 それで、俺は、中腰になりながら、ベッドに寝ている彼女の、片方の手を取った。 彼女の手は、暖かかった。 俺は、片手で、そばの折りたたみ椅子を取り、それを近くに引き寄せ、そこに腰掛けた。 そして、両手で、彼女の右の手を取り、その手に頬ずりした。 今、俺は、彼女のハズバンド（夫）なのだ。 だから、何をしたっていいのだ。 俺は、彼女の手の甲に、ｋｉｓｓをした。 『ねぇ、あなた、あなたもここに来て、少し、横になって休んだら…』 『馬鹿なことを言ったらいけないよ、いつ、看護師さんが入って来られるか、わからないじゃないか』 『大丈夫だわ。こんな夜更け、個室になんか、見回りには来ないわよ』 『そうかい』 でも、俺は心配だった。 『じゃ、ちょっとだけね。でも、ドアに、ロックだけはしておくよ』 俺は、椅子から立ち上がり、ドアのところに行った。 暗闇だが、もう目が慣れて、ロックをする場所も何となく、わかった。 そして、ベッドのところに戻った。 おそるおそる、いや、ドキドキしながら、ベッドの上に、あがる。 彼女が、ベッドの向こう側に、からだを移動してくれたようだ。 その隙間になったところに、俺は、自分の体を差し入れていた。 俺は、横向きになり、彼女のおなかに、俺のからだが当たったりしないよう、気をつけながら、やはり横向きになった彼女の肩口を、そっと抱いた。 彼女の体臭が鼻腔を刺激する。 下半身をくっつけたい。 でも、彼女のおなかを圧迫してはいけないのだ。 と、すやすやと、寝息が聞こえてきた。 彼女は、再び、寝入ってしまったらしい。 （さぁ、もう、帰らなくては…。いつ、誰が、ひょっこりと、この個室に入って来るかもしれないのだから…） 俺は、彼女のおでこのあたりに、そっと、口づけした。 とっても、いい匂いがした。 とても、幸せな気分だった。 これは、きっと、夢なんだろう、と思う。 俺は、彼女が目を覚まさないよう、静かに、離れ、ベッドから降りようとした。 が、そのとき、彼女が、寝返りを打ったらしいのだ。 こちらを向いていたのに。 彼女は、こっちに背を向けたのだ。 無意識かもしれないが…。 彼女の、後ろ向きになった、首筋のあたりから、とてもいい匂いが漂ってくるのだ。 俺は、彼女の身を乗り越えるようにして、向こう側を向いている顔をうかがう。 彼女は、すっかり寝入ってしまっているようだ…。 何と言う、無防備な。 そして、今は、暗闇…。 俺の中で、何かが崩れはじめていた…。 俺は、悪魔の声を聞いた。 『おまえは、彼女の夫なのだ。だから、今、おまえは、何をしても許される』 俺は、彼女の背中側から、手を伸ばし、彼女の腋の下をくぐり抜け、胸のところに手を置いた。 パジャマの上からだが、そっと、彼女の乳房の上に、手を置く。 彼女の寝息を聞く。 乱れはなかった。 俺は、彼女の寝息に耳を傾けながら、注意深く、彼女の乳房を、ゆるやかに、静かに、やさしく、揉みはじめていた…。 パジャマの下には、ブラジャーをつけていないように思えた。 そして、やがて、パジャマの布地の下からでも、彼女の乳首が、おっ立ちはじめて来るのがわかった。 むろん、俺の股間のペニスも、硬く、大きくなりはじめている。 俺は、大胆にも、指先で、コリコリしてきた乳首を揉み始めていた。 『はぁ、うーん』 彼女の吐息がした。 俺は、びっくりした。 彼女の目を覚まさせたのかもしれない…。 俺は、手を引っ込めようとした。 が、その手が引き戻せない。 どうやら、彼女が、俺の手の上に、自分の手を乗せているようなのだ。 俺は、覚悟を決めていた。 （俺は、今、彼女の夫なのだ。夫なら夫らしく、きちんと、彼女を愛してあげなくては…） 俺は、彼女の手を少し、上にあげさせた。 そして、俺の手を、彼女の手の下から、ゆっくりと抜き取った…。 そして、パジャマの前のボタンをはずし、生の、スベスベした彼女の肌に、直接、タッチしはじめていた…。 （つづく） |
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| 2009.1.17掲載 |
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