４　仲介者の力によって再会

　僕は、だんだん、胸が苦しくなってきた…。
　店で会うたびに、何かを口走りそうになるのだが、それをグッとがまんしなければならなかった。

　とんでもない話なのだが、思わず口に出してしまいそうな言葉は、
『好きなんだ』
『愛している』
『付き合って欲しい』
『結婚してくれないか』
　などというものだった。

　僕には経済力がない。その上、顔もわるいし、スタイルといえば、脚がＯ脚で不恰好極まりない。それに彼女には恋人がいるにちがいないのだから、そもそもスタートをする前から勝負はついている…。

　ともかく、お店の中にいる、他のお客さんがたくさんおられるのに、僕が、大声で、彼女に、『好きなんです、付き合ってください』なんて言おうものなら、それこそ、彼女に大迷惑がかかる。

　僕は、彼女のいる本町店の前まで行くのだが、急に、回れ右をして、元来た道を引き返すのだった。
　が、どこへ行くという当てもない。
　かといって、うちに帰る気持ちにも、とうていなれない。
　僕は、インターネット喫茶に入り、コミック本を手にするしかなかった…。


　彼女に会いに行かないようになって、１カ月が過ぎようとしていた。
　僕は、しかし、メイド喫茶の雰囲気が恋しかった。それは、インターネット喫茶では得られない、エロチックで胸が躍るような気分だった。
　むろん、彼女の居る本町店に行けるはずもない。
　僕は、寺町店にいた。

「こんにちは」
　見ると、そのメイドさんの顔には見覚えがあった。
　以前、街の通りまで僕を追っかけて来てくれ、彼女（ミキちゃん）が寺町店でいじめに遭い、本町店に移ったということを教えてくれた女の子だった。

　僕は、おじぎをした。そして、お礼を言った。
「いつかは、すみません。その節は、お世話になりました」

「それはいいのだけれど、あなた、この頃、本町店に顔を出さないそうね」
「えっ！？」
「美幹（ミキ）、心配してたわよ、病気じゃないか、って」
「そんな」
「からだわるくして、入院でもしてたの？」
「いいえ、そんなことはないです」
「じゃ、どうして、本町店に行ってあげないのよ」
「でも…」
「彼女、本気で、心配してたわよ。いつも来るあなたが来ない、って」
「……」
　僕は、どう答えていいのか、わからなかった。
　でも、正直なところ、彼女にこれ以上、迷惑はかけられないと思った。僕はいい、僕はどうなってもいい。でも、彼女の生活を壊してしまうようなことだけは避けたい…。

「僕は、ただ、その、こういうお店の雰囲気が好きで。だから、本町店でもいいし、こちらの寺町店でもいいのです。それに、場合によっては、隣りの○○市にあるお店でも…」
「どうして？」
「こうしたお店には、僕の夢があるから…」
「馬鹿ねぇ、こんなお店になんか、夢なんてないよ」
「僕には、あるんです、ちゃんと。ワインレッドのワンピースと、真っ白なエプロンが好きなんです」
「馬鹿みたい。あなたもきっと、エプロンをした女の子の後ろ姿が好きなんでしょ？」
「えっ、どうして、それが…」
「そして、後ろから、ギュッと、抱きつきたい、とか」
「……」
　僕は、ドキッとなり、それから、顔を真っ赤にした。
　実際、それは、そのとおりだったからだ。

　僕は、夜寝るとき、いつも、本町店の彼女のことを想っていた。僕は、エプロン姿の彼女を、もはや、勝手に自分の新妻にしていたのだ。料理で忙しい彼女に、後ろから抱きつき、おっぱいを揉んでいた。そして、お尻からスカートをめくり、パンティをずり下げる。もう、僕のペニスは、ギンギンになって空を仰いでいる。気ぜわしく、股に手を差し入れ、ヴァギナの位置を確かめながら、腰を密着させていく。がしかし、ペニスの先端部が彼女のやわらかな内腿に触れたとたん、すでに、ドクドクッと精を打ち放っていた…。

　激しい自己嫌悪。
　が、性懲りもなく、それが、毎晩、打ち続くのだった…。

　夢は夢。
　現実とは違うのだ。

　僕は、彼女の友達と思われるメイドさんに言った。
「僕は、ネクラで、ひとりよがりの人間なんです。ですから、どうか、そっとしておいてやってください。僕なんか、現実の世界では、何にもできない男なんですから」
「あきれた…」
　そのメイドさんは、お尻を左右に振りながら、カウンターの方へ行ってしまった。

　ホワイト・デーがやってきた。
　世の中、モテるやつは、モテるのだ。
　うちの総務課にも、ちゃんと、ホワイト・チョコをもらう奴がいた…。

　その日、僕は、仕事が終わっても、うちに帰らなかった。
　すごく彼女に会いたかった。
　でも、僕には、ホワイト・チョコをもらえる可能性はなかった。
　インターネット喫茶に入った。
　しかし、コミック本を読んでもおもしろくなかった。
　で、結局、また、メイド喫茶に入っていた。
　さすがに、そこは、本町店ではなく、前によく入っていた寺町店だった。

　その日から、また、僕は、寺町店に行くようになった。
　寺町店に行くと、よく、彼女のことが思い出された。
　彼女は、実際、この店に勤めていたことがあったのだから…。

　ある日、僕は、また、寺町店に居た。
「ご主人さま、何になさいますか？」
　見ると、美幹（ミキ）ちゃんの友達だった。
　最近、この友達というのは、僕のところへ注文は取りに来てくれないのに。
　久しぶりに、僕のテーブルに来てくれた。
　名札を見る。『麻里』とあった。
「カフェ・オレをお願いします」
「かしこまりました、ご主人さま」

　僕は、ひとり、ｉ−Ｐａｄを眺めていた。
　と、誰かがそばに来たような。
　見あげると、さっきの、麻里とかいう名前のメイドさんだった。
「あなた、これから、からだ、空いてる？」
「えっ？」
「わたし、今日、ここ、７時までなの。それから、どこか、飲みに行こうよ」
「えっ、そんな、僕なんかと」
「あなた、美幹のこと、聞きたくない？」
「えっ、そりゃ、まぁ」
「だったら、７時１０分頃に、わたし、店を出るから、店の外で待っていて」
「ああ、それなら…」
　僕は、なぜか、そう返事をしてしまっていた。
　彼女のことを、そんなに知りたくはなかった。それに、彼女のことは早く忘れなくては、と思っていたぐらいなのに。
　でも、いつまでも、中途半端なままでは、辛すぎるという面もあることはあった。この際、『彼女には好きな人がいる』とか、『彼女には付き合っている人がいる』とか、麻里さんに聞いて、自分の気持ちにふんぎりをつけるのも、いいかもしれない…。


　僕と彼女の友達は、居酒屋の暖簾をくぐっていた。

　店員さんに、ふすまで仕切ってある小さい部屋に案内される。
「よぉっ、マイ、彼氏、連れて来たよ」
　なんと、彼女がいるじゃないか！。

（が、待てよ。彼氏、って、誰なんだろう？）
（マイ、ってのが、本名なのか？）

　彼女と彼女の友達は、けっこう、はしゃいでいた。
　ふたりで飲んで、食べている。

　僕は、機嫌がよくなかった。
　たぶん、こういうようになることは望んでいなかったのだろう。彼女とデイトをするなら、きちんと自分から申し込んでやるべきなのだ。それを他人様の力を借りることになって…。
　僕は、自分が変なプライドを持っていることにも嫌気がさしていて、黙って、チュウハイをあおっていた。

「じゃ、ミキ、わたしはこれで。彼氏と、うまく、ヤんなよ」
（彼氏、って、誰のことなんだろう）
　僕が、そんなことを思っているあいだに、彼女の友達は、部屋を出ていった。
　僕たちはふたりだけになった。
　何だか、具合がわるい。
　でも、心の中では、やっと彼女とふたりっきりになれたという、うれしさもあった。

　彼女は、赤ワインを飲んでいた。
　けっこう、それをおかわりしているのだ。
　僕は、内心、彼女は華奢なからだをしているわりには、アルコールには強いんだな、と少し見直してはいた。

「どうして、お店に来てくれないの？」
「……」
「何か、お店で、気に食わないことでもあったの？」
「……」

「何か、からだの調子でもわるかったの？」
　彼女が色々と聞いてくるのだが…。僕には、何と答えていいのか。つまり、その、もう、会いに行ってはいけない気がするだけの話で。それに、そのことは、僕自身の問題であって、彼女にはまったく関係のない話で。彼女は、彼女の今の生活を大切にし、今付き合っている彼氏と仲良くやってもらえば、それでけっこうな話で。僕は、彼女のいる世界の中には入っていけない、まったくの路傍の石であって。でも、そんなことを、どういう風に言ったらいいのだろうか？。

「わたしは、会いたかったのに…」
　彼女の言葉が耳に入る。彼女の顔は見れない。
　僕は、チュウハイをあおる。

（そんな馬鹿な。なんで…。が待てよ、なじみのお客さんが、急に来なくなったとしたら、そりゃ、気になることはあるかも…）

「彼女ができたの？」
　彼女がそんなことを言うなんて、似合わない。
　で、僕は、乱暴に答えた。
「そんなわけ、ないでしょ」
「じゃ、寺町店の方に、いい子がいて、そっちの方が…」
「馬鹿なこと、言うなよ」
　僕は、怒っていた。実際、僕は、彼女ひとすじだったのだから。

「わたしは、会いたかったのに」
「馬鹿。オレだって、会いたかったさ」
「会いに来てくれないんだから、さびしかったわ」
「馬鹿なこと言うなよ。俺だって、すごく、苦しかったんだから」
　僕は、また、チュウハイをあおっていた。
（なんで、僕は、彼女にこんなことを言わなくてはいけないんだ。僕は、自分の片想いの気持ちを大切にしていればいいのであって。何で、苦しかったとか、会いたかったとか、そんなことを彼女に言わなくてはならないんだ…）

「あなた、わたしのこと、好きなの？」
（何で、こいつは、こんなことを聞くんだろう？）
　僕は、アルコールが頭の中にまで回ってきたように感じた。なぜなら、自分が自分でないような気がしてきて。何かに、八つ当たりしたいような気持ちになっていた。

「好きでも、どうにもならない、ってことがあるだろう。会いたくても、相手のことを想って、会いに行かない、ということだって、あるさ」
「……」
　彼女はうつむいてしまった。
　が、しかたがない。彼女だって、苦しかったかもしれないが、僕だって、そうだったわけで。毎晩毎晩、寝られなくて困ったものだ。そうじゃないか、彼女のことを想って、オナッてしまうことだってあった。そして、自己嫌悪に陥る。どうしようもない現実の壁がある。夢想は夢想のまま終わらせるべきなのだ。２０（はたち）や２１，２じゃないんだから、それくらいの分別はつけなくては…。

「好きなんだ、君のこと。でも、それだけなんだよ」
「……」
「ごめんね。こんな僕が、好きになったりして…」
「……」

　僕は、あやまった。
　２月１４日に、逆チョコを彼女にあげたことすら後悔していた。
　僕なんかが、人を好きになんか、なっちゃ、いけなかったんだ。想ってもいいが、その想いは、自分の胸に閉まっておくべきだった…。

　僕は、チュウハイを飲もうとグラスを手にした。
　が、残りはほとんどなかった。
　もう注文はできない、この店を出なくては…。

　彼女を見た。
　泣いているような気がした。

（泣かしてしまったんだろうか？）

「どうして、わたしのことなんか？」
　彼女の声だった。
　やけくそだった、もう、彼女とは今日でおわりだ…。
「あたりまえのこと、聞くなよ。かわいくて、カッコよくて、セクシーだったからだよ」
「それだけ？」
　なんか、彼女は、べそをかいているみたいだった。

『まったく、子どもみたいなやつだな』
　と、僕は思う。
　が、外見ばかり言うのもどうかと思い、付け加えることにした。
「まぁ、あとは、優しそうだったからかな？」

「でも、どうして、そんなに人を好きになれるの？」
　彼女が顔を挙げている。
（じゃ、やっぱり、おまえは、おれのことなんか、そんなに好きじゃない、ってことか）

　彼女の目には、なみだがいっぱいだ。ちょっと可哀想になる。でも、スッゴク、かわいい。
「しかたがないだろ、君はかわいいもん。男なら、みんな、君のこと、好きになってしまうかも…」
　僕は、言ってしまって、照れくさくて仕方がなかった…。
　僕は、お勘定書を手にした。
「さぁ、出ようか」
「……」
　僕は、一足先に立ち、レジで勘定を済ませた。
　僕は、店の外に出ようと思った。そして、今日は、もう、まっすぐに、うちに帰ろうと思った。が、やはり、彼女が出て来るのを待つのが礼儀だと思った。ひとりで勝手に帰るのは、少々まずいと思うのだ。
　が、なかなか彼女が出てこない。

（どうしたんだろう？）
　僕は、心配になり、引き返す。
　部屋の中を覗く。
　彼女はなんと、テーブルの上に、顔を伏せるようにして寝ていた。

「どうしたの？」
　僕は、近くに寄り、顔を覗く。
「少し、気分がわるくて」
　そう言えば、顔色がわるい。
「飲みすぎたのかな？」
「そうみたい」

「どうしたら、いい？」
「お願い、ここで、少し、休ませて」
「……」
　
　僕は、迷う。どうしたものか？。
（このまま居てもいいのだろうか？）
　僕は、勇気を奮い起こして、尋ねる。
「僕も、ここに居て、いいかな？」
「ええ、そうしてくれると、うれしいわ」
　僕は、決めた。彼女の気分が良くなるまで、一緒にいよう、と。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（つづく）