９　セックスだけの関係でいいのか？

　僕は、彼女と、彼女の部屋にいた。
　僕は、気持ちよく射精できた。彼女も気持ちよく、アクメ（頂点）に達してくれたのではないかと思う。
　僕は、彼女のからだから、離れたくなかった。

　そして、僕は、彼女を横抱えにしながら、こんな幸せがあるのなら、彼女と結婚してもいいなと思っていた。
　が、問題は、彼女を果たして幸せにすることができるかどうかということだった。

　ある意味、セックスをすれば、男は誰だって射精し、いい気持ちになれるものだ。そして、男と女のやることなんて、誰がやっても同じことで、この男としかアクメに達しない、なんてことはないと思うのだ。彼女だって、他の男と寝ても、アクメに達することができるだろう。セックスをして、女をアクメに至らしめるということは、何も、僕の専売特許ではないのだ。男なら誰だって、女をイカせることができる…。

　僕が、僕であり続けられる存在理由というのは、別に、セックスがうまいとかへただとか、そういうことではないように思う。
　大切なことは、彼女のためにいかに働き、いかにお金を稼ぎ、いかに幸せにしてあげられるか、ということではないだろうか。

　男と女の関係は、セックスだけではない。たぶん、お互いがお互いを思いやりながら、額に汗して働き、そして、働いた後は、いかにして、ふたりして、ゆったりとした、静かな時間を、過ごしていくかにかかっているのではないだろうか。

　そうだ、そうなんだ、ふたりして、互いに思いやりの気持ちを持ちながら、多少の苦労はあるかもしれないが、遠くまで歩いていくことなんだ。そういう、覚悟というか、決意が大切なんだ。

　僕は、ちょっとばかり、自分の胸の鼓動が速まったような気がした。
「ねぇ、こんな僕だけど、これからも、真剣に付き合ってくれないか？」
「えっ？！」
「その、つまり、僕なんか、海の物とも、山の物ともつかないもの（＝将来、どうなるものか、まったく見当もつかない存在）なんだけど、しかし、これから、結婚を前提に、付き合ってくれないか？」
「……」
「実際、わからないんだよ、君のこと、幸せにしてあげられるかどうか…。でも、努力したいんだ、一生懸命…」
「今、そんなに、真剣に悩まなくても…」

「どうして？」
「わたし、そんな立派な女じゃないし…」

「そんなこと、言うなよ」
「あなたには、幼稚園の先生みたいな、子ども好きで、心の優しい人が似合っていると思うよ」

「馬鹿なこと、言うなよ。僕は、君と結婚したい、と言っているんだ」
「そんな、結婚だとか、急がなくても…」

「わかってるよ。でも、これだけはわかって欲しい。君の体が目的だけで、僕は君と付き合っているわけじゃない。君が好きで、そして、君に何とか喜んでもらいたいと。そして、君を幸せにしたいと、思っているんだからね」
「わかっているわ」

「わかっているなら、いいね？」
「何が？」

「うーん、その、結婚を前提にして、これからも付き合う、ということ」
「……」

　彼女から返事がない。
　僕は不安になる。

（僕のこと、きらいなんだろうか。他に好きな人がいるんだろうか？。僕みたいな、精神的にフニャフニャした、優柔不断で、しかも、経済力もない男なんか、結婚の対象にはならないんだろうか？）

　僕は、あせっている。
　目の前に、ちゃんと、彼女がいるというのに。

「君のこと、すごく好きなんだ。だから、結婚して欲しいんだ。好きなだけじゃだめかい？」
「だから、そんなに、先を急がなくても。今のままで、ゆっくりと付き合っていけたら、わたしは、それで、十分なんだけど…」

「だめだ、そんないい加減なことじゃ。最終的には、結婚をめざして付き合うというような、方向性のある付き合い方をしなくては…」
「あなたって、やっぱり、公務員だわ」

「なに？。どういう意味？」
「頭が固いというか、考え方が固い、というか」

「でも、そういう風に考えるのが、普通じゃないの？」
「普通じゃないよ。ちょっと真面目に考えすぎよ」

「そうかな？」
「そうよ」

　僕は、悲しくなった。
　やはり、彼女の中で、僕は、“Ｏｎｅ　Ｏｆ　Ｔｈｅｍ”（数多くのボーイフレンドの中の１人）なのだ。独りに絞られてはいないのだ。
　僕は、彼女にとって、オンリー・ワンでありたいのに…。

　僕は、彼女のからだの温もりをそばで感じているというのに、頭の中は妙に冷え冷えとして、不安に襲われる。
「ねぇ、黙って、僕の許から去っていかないで。僕のこと、捨てないでね」
　僕は、彼女の胸にしがみついていた…。

　僕は、彼女の部屋に泊まりたかった。しかし、それでは、けじめがつかなくなって、しまいには、彼女にきらわれるようになるかもしれない。それに、僕は、父親のことが気になった。父親は、僕のために、予備校から、大学から、専門学校から、すべて授業料を払ってくれたのだから。父親には頭が上がらなかった。朝帰りはできない。

「僕、帰るよ｣
「泊まって行ったら？」
「でも、家の者が心配するから」
「そうね」

　僕は、彼女を愛していた。
　だから、ズルズルと、いいかげんな付き合いはしてはならないのだ。でも、今、彼女とちょっとでも離れるのは、つらかった…。


｢ヤマ、なんだ、さっきから、あくびばっかりしているぞ｣
　僕は、あくびをしているところを、職場の上司に、見られていたらしい。
　実際、このところ、彼女とのアレが過ぎるのかもしれない…。
　仕事と、セックスと、それは両立させなくてはならない…。

　が、仕事って、何だろう？。
　統計調査の事務って、単純で、ルーチン（定型的）のような気がした、僕には。だから、うちの統計調査係の人たちが、黙々として、調査員が持って来た統計調査表を審査している姿を見ると、本当に尊敬してしまうのだ。

　もっとも、僕は、生意気なところもある。内心、こんなルーチンな仕事なんか希望していなかったのに、と、よく思うことがあった。

　配属先の希望調書としては、第１希望は、社会福祉部の高齢者福祉課だった。今のうちの政令市では、どんな介護施設が必要か、実態把握をし、そして、増設が必要なら、県や国と折衝してみたかった。

　そして、第２希望は、商工労働部の産業振興課だったのに。うちの政令市では、どのような製造業を育成していくべきか、中小企業の人たちと一緒に議論をし、財政課や市中銀行の人たちと資金調達の折衝してみたかったのに…。

　本人希望は、叶うものではないらしい。
　が、ともかく、うちの政令市では、団塊の世代（１９４７〜４９年生まれ）の職員が、６０歳定年を迎えて大量退職したため、新規採用の枠が広がり、ラッキーにも、僕は採用試験に合格し、職員として採用されたのだった。そのことだけでありがたいと思わなくてはいけないのかもしれない…。
　が、ともかく、うちの係以外の人たちも、みんな真面目に仕事をしていて、僕は、こういう地味な仕事を、本当にずっとやっていけるのか、不安だった…。
　僕にもっと力があるなら、民間の観光旅行会社に勤め、新しい人気商品を開発して、実績を上げ、どんどんボーナスをもらって、彼女を幸せにできるのに。

　少なくとも、今の、うちの所属では、成績主義ではなく、市の給与条例によって、給料月額の決定も、賞与（勤勉手当、期末手当）の額の決定も、職員間で不平等が起きないよう、公平に、客観的に、機械的に行われていた。


　僕は、一応、店内には入らなくても、彼女の勤めている、本町のメイド喫茶の近くを、うろついていた。
　外から見れば、わかるのだ、彼女が出勤しているかどうか。
　窓を通して、内で働いている彼女の姿が見られると、僕は、安心した。
　そして、彼女のケータイに、メールを入れた。

　彼女の姿が見られないと心配になって、彼女のアパートに行く。新聞受けとか、郵便受けに、新聞とか、郵便物がたまっていないと、僕は安心した。そして、ケータイにメールを入れ、すぐに彼女から返信があると、部屋の中に入れてもらえるのだった。

　ある日、僕は、彼女が、店にも出ていなくて、その上、アパートも留守にしていることに気がついた。それは、ひどく心配なことだった。むろん、ケータイも入れた。しかし、彼女のケータイは切られていて、つながらなかった…。
　
　３日目のことだ。
　曜日は、金曜だった
　彼女は、店にも出ていなかった。だいたい、統計的に言っても、この曜日の日は、彼女は出勤日のはずだった。
　僕は、ケータイにメールを入れた。
　しかし、返信はなかった。
　ケータイをかけた。
　電源が切られてはいない。がしかし、彼女は、ケータイに出てくれなかった。

　マナーモードにして、どこか音楽会にでも行っているんだろうか。それとも、マナーモードにしたまま、誰かと静かな喫茶店で会っているのだろうか？

　僕は、彼女のアパートに向かっていた。
　アパートに着いた。
　見上げる。
　彼女は居そうになかった。僕には、その部屋の、カーテンの締め具合、窓の明るさなど、外側からの雰囲気で、彼女が部屋の中にいるかいないか、わかるのだった。

　僕は、アパートの外で待った。
　時々、ケータイを取り出して、メールが来ていないか、確かめた。

　うろついて、早や３時間も経っただろうか？。
　ふと気がつくと、外は真っ暗だった。
　その暗闇の中から、彼女が現われたのだった。
　何か、大きめの、旅行カバンみたいなものを、片手に持って…。

「どうしたの？」
「どうしたも、こうしたもないよ。僕は心配で、心配で…」
「ごめんなさい」
「何度も、メールを入れたのに」
「ごめんなさい。今日は、ずっと、ケータイは、カバンの中にしまっていたから…」

　彼女は、機嫌が良さそうではなかった、決して。
　僕は、本当に、彼女のことをずっと待っていたのに。

　が、僕がお願いをすると、部屋に入れてはくれた。

「どうしていたんだよ」
　僕は、どうしてか、詰問口調になっていた。
「ごめんなさい。里に帰っていたの」
　そういえば、彼女自身の口から、彼女は、ここから電車で１時間ばかり東に行ったＫ市の生まれで、ご両親は、このＫ市に住んでおられると聞いたことがある…。
「なんだ、そうなのか。そうならそうと、言ってくれればいいのに」
「夕ご飯は済んだの？」
「えっ！」
「さっき、おなかが鳴っているの、聞こえたわよ」
「えっ？」
　どうやら、僕は、おなかが空いているのもわからず、彼女を問い詰めていたらしい。

「インスタントでもいいなら、ラーメンがあるわ。それでいい？」
「ああ、お願いします」
　僕は、実際、彼女の顔を見たので安心し、急に空腹感を覚えていたのだった。

　僕は、彼女と布団の中にいた。
「本当に、Ｋ市で、昔、仲の良かったボーイフレンドと会ったりしていないよね」
「馬鹿ねぇ」
「でも、本当に心配したんだよ。２日も、お店、休むんだもの…」
「……」

「メールしたのに、何度も」
「……」
「少しは、待つ身のつらさのことも考えてよ」
「……」
「ちょっとだけでも、ケータイを、見てくれればいいんだよ。僕が君のことを心配している、ってこと、君なら、わかるだろ」
「ごめんなさい」
「……」
　僕は、無言で、彼女をさらに抱き寄せた。
　さびしかった。
　アパートの外で、３時間待っている時、本当に色んなことを考えて、つらかった…。

　僕は、一人っ子で、両親に甘やかされて育てられた、世間知らずの坊ちゃんなのだ。つい、彼女の同情を得ようと、甘えてしまう。僕は、悪いとは知りながら、彼女に訴えかけていた。
「待ったんだ、ずっと、この２日間。心配で。そして、会いたくて。だから、今夜は、君を抱かせてもらうよ」
「……」
　彼女は、いつもより、何か疲れていて、憂鬱そうだった。だから、僕は、もっと彼女をいたわってあげるべきなのだ。でも、どうしても彼女を抱き、彼女をイカせて、自分自身が安心したいのだ。彼女は、ふる里に帰って、彼氏と会ってきたんじゃない、ご両親のうち、誰かが、からだの具合がわるくて、そのお見舞いに、ふる里に帰って来たんだ、そうにちがいない…。

　僕は、彼女の「うん」という返事も聞かず、ただ、彼女の着ているものを剥ぎ取っていた。
　僕は、僕が意外に嫉妬深い男だとわかって、ヤケを起こしそうな気持ちになっていた。
　
　僕は、父親によく言われていた、
『おまえは、１９やハタチじゃないんだ、もう２８だろ。自分のことはきちんと自分で始末できるようになれ』
　と。
　実際、１９や２０歳ではないのだから、もっと大人になり、彼女をいたわってあげなくてはならないはずだった。でも、僕は、知識は多少、大脳皮質に記憶されているとはいえ、世間の荒波に、もまれているというわけではないから、精神的にはまだ幼稚なままだった…。

　僕は、無理矢理、彼女のおっぱいを揉み、そして、股間に手を置いて、恥骨や割れ目の辺りを擦っていた。彼女は無反応だった。彼女は、目を瞑っていた。僕とのセックスのことではなく、何か他のことを考えているように思えた。

　僕は、彼女に聞いた。
「やりたくないの？」
「ごめんなさい。今、そういう気持ちになれなくて…」
「ああ…」
　
　そうだ、そうなんだ。彼女の友達の、麻里さんが言っていたじゃないか、『彼女、今はひとりだし…』と。

（彼女には、昔、好きな人がいたんだ、きっと。今、その彼氏は、Ｋ市に住んでいて。それで、彼女は、Ｋ市に帰ったんだ…）

　僕は、みじめな気持ちになった。
　昔の恋人のことを忘れさせるほど、僕は、魅力的な男ではないのだ。
　給料の低いこともさることながら、もっと、性格的に明るくて、前向きでなくては。そうでなければ、彼女だって、会っていても楽しくないだろう。男と女って、セックスして、互いに、いい気持ちになることも必要かもしれないが、しかし、スポーツとか、色んなことをして、ふたりで楽しく語り合うということも、大切なことかもしれない…。
　僕は、自分の陰鬱で非社交的な性格をのろっていた…。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（つづく）