４　なぜこんな時に女は泣くのだろうか

　龍次は、先生のくちびるに夢中になっている…。

「苦しいわ」
　先生が、自分の胸を軽く押している。
　そして、下を向きながら、苦しそうに息を吐いておられる。

「ごめんなさい。つい、夢中になって」
　龍次は、先生の肩を抱いたまま、あやまっている。

「いいの。でも、うれしいわ」
　先生の目が潤んで、輝いている。
　龍次は、自分の胸が濡れていくのがわかる。
（ひょっとして、先生は、僕のことを…）

「僕も、胸がドキドキしていて。先生にキスできて、うれしいような…」
「まぁ、龍次さん、ったら」
　先生が、指先で龍次の胸を突き、そして、抱きついてくる。

　先生の内腿のあたりが、龍次の股間に当たる。

　もう、だめだ。
　バレバレだった。
　股間のモノは大きく、硬くなっており、そのことを、先生は、もう、わかりすぎるほどわかっているだろう。
（俺ときたら、本当に、情けない、スケベェな中年だ）
　龍次は恥ずかしく、腰を後ろに引く。
　しかし、また、腰に回された先生の手で、龍次は引き寄せられている。

「ああ、先生、だめです」
「いいのよ。遠慮しなくても」

「でも…」
「好きなんでしょ、わたしのこと」
「ええ…（でも、好きだというだけで、こんなことを先生に対して、してもいいのですか？）」
　龍次は、自問自答しながら、その自問自答にすら、恥ずかしい気がするのだ。

　でも、こうしてふたりでくっついていると、心臓の辺りは興奮してドクドクと音を立てているようなのだが、股間のあたりは、やわらかな先生の内腿のあたりに触れられて、とても気持ち良く感じられる。

　ふたりはしっかりと抱き合っている。
　龍次は、なぜか頭の中から血が失せていくようで、立っておれないほどになっていくのを感じている。
「先生、僕は、もうだめです…」
　龍次は、先生の耳元で、情けない声を出していた。

「龍次さん、どうしたの？」
　先生が心配そうに聞かれる。
「なぜか、急に、頭がフラフラして…」
　龍次は先生の肩にすがるようにして答えているのだ。

「大丈夫なの？」
「大丈夫です。ただ、立っているのが、ちょっと、つらいだけです」

「少し、横になったら…」
「……」

　先生が龍次のからだから離れて、他の部屋へ向かわれる。
　龍次も、その後に続いている。
　ふたりは和室に入った。
　そこに、慶太君は寝ていなかった。
　おそらく慶太君は、隣の部屋なのだろう。

　先生は、床を敷いてくれていた。
　龍次も敷布団にシーツを掛ける時は手伝う。

「ありがとう」
　先生がにっこりと笑う。
　その笑顔にホッとする。

　先生が、上着を取ってくださる。
　そして、ズボンも脱がせてくださる。
　龍次はふとんの上に横になり、そして、目をつむった。
（少し休ませていただいたなら、早く、ここをおいとましなくては…）


　と、龍次は、先生の匂いがし、われに返って、目を開けた。
　部屋のライトは落ちていた。
　しかし、よく見ると、そばに寝て、こちらを見ておられるのは、やはり先生だった。先生は、目を開いておられる。そして、パジャマを着ておられる。

　龍次は、薄暗い中で、先生の目をじっと見ている。
　薄暗くて、はっきりとはしないが…。
　龍次には、先生の目が、妖しく光っているように思えた。
　龍次は怖くなる。
　が、その一方で、股間のものは、完全に息づき始めている。

　龍次は、上半身を起こした。
　そして、寝ている先生に言葉を掛ける。
「先生…」
　
　先生は、上半身を起こされた。
　先生の匂いが伝わって来る。
　その匂いは、女の人のものだった。
　いや、その匂いは、雌のものだった。

「先生、おれは…」
　龍次は自分の声がふるえているのがわかる。
「わかっているわ。わたしのこと、欲しいのね」
　先生は、足を崩し、下を向いておられる。

「ええ。でも、俺は…」
「いいのよ」

「俺は、先生のこと、大好きです」
「わたしも、龍次さんのこと、大好きよ」

「先生、俺、先生が欲しいです」
「わかっているわ」

「でも、俺には、先生を抱く資格が…」
「そんなこと、言わないで。龍次さんがそんなこと言ったら、わたしだって、抱かれる資格がないわ」

「先生、ゆるしてください。こんな俺が先生のこと、好きになって」
「ううん。うれしいわ。男らしくて、いつも保育園のために働いてくれる龍次さんが、たのもしく感じられて」

「そんな。いつも、俺は、先生を見るたびに、ドキドキしてしまって。本当に男らしくなくて。たくましいなんてもんじゃなくて。俺は、ただ、ちょっとでも、先生の顔が見たくて、あすなろ保育園に行っているだけなのに…」
「わたしも、何だか、龍次さんだけを待っていたような気がするわ」

　ふたりのあいだに言葉がなくなっていく。

　龍次は立ち上がり、この部屋を早く出て行くべきだと思った。
　しかし、動けない。
　
　龍次は、今、この場を立ち去ると、先生が悲しむような気がした。
　いや、先生の肩を抱いていなくても、ずっと、このままふたり、近くで寄り添い合い、互いのぬくもりを感じていたかった…。

「龍次さん、わたし、寒いわ」
「えっ！」
　龍次は驚く。
　が、この部屋ははじめてだ。
　この部屋には、エアコンがあるのだろうか？。
　エアコンのリモコンはどこにあるのだろうか？。
　先生の顔をうかがう。
　本当に寒そうだった。
　龍次は、肩を抱き、先生のからだを抱き寄せた。
　そして、先生のからだを温めてあげようと、背中をゆっくりと撫でてあげる。

「ああ…」
　龍次は、思わず、ため息をついた。

「どうなさったの？」
　先生の問いに答えられるはずもない。
　ただ、先生のやわらかな体に触れているうちに、股間のものが硬くなり、欲情した結果発せられた言葉だったような気がしたからだった。

「龍次さん、だいじょうぶ？」
「はい。ただ、その、劣情というか、欲情というか、そんなものが、湧き上がったような気がして。すみません」

「そんなことないわ。龍次さん、正直なんだもの。ひょっとして、わたしのからだ、抱きたくなったんじゃないかしら」
「ええ、すみません」
「ううん。わたしも龍次さんに、抱いて欲しいと思っているの」
　
　龍次は、頭の中が真っ白になる。

　が、龍次は、急に不安になる。
（先生を妊娠させてしまったらどうしよう…）
　龍次は勇気を振り絞って尋ねた。
「先生、抱くにしても、避妊はどうしたらいいのでしょうか？」
　
「いいのよ。今日は安全日だから」
　先生は、ちょっと笑われたような気がしたが、龍次の目を避けるように、そう、目を伏せながら、告げられた。

　龍次は、再び、先生のくちびるを奪った。
　もう、どうなってもいいと思った。
　死のうと思った。
　この先、何年、何十年と生きたって、何のいいこともなさそうに思えた。

　龍次はいったん先生からからだを離した。
　下着を脱ぐ。
　トランクスだけの姿になって、布団の上にすわり直した。
　すると、薄暗い闇に慣れた目で、先生も、パジャマの上を脱ぎ、下のパジャマもぬいで、キャミソールだけの姿になって、布団の上にすわっておられるのがわかった。

　龍次は、震える手を先生の肩に置く。
　そして、そっと抱き寄せる。が、もうそれだけで、トランクスの中のモノは、ビンビンに硬くなっていく。
　顔を傾け、先生の小さな顔に近づけながら、唇を先生のくちびるに重ねる。先生は、目を閉じて、ややくちびるを開けながら、龍次の唇を噛むように吸い付いて来られる。それが龍次には、うれしい。しっかりと先生の肩先の肉を、手で握りしめていく。

　と、先生が、龍次の胸を少し、手で押す。
「肩がとても痛いわ」
「ああ、ごめんなさい」

　先生の目が濡れている。
　龍次はその目を見ているだけで、たまらなくなる。もう、理性が吹っ飛んでしまっている。
「先生、好きです」
　龍次は、目を瞑りながら、また、先生のくちびるをむさぼる。

　龍次は、キスをしていながらも、ふと、
（ああ、俺には、先生を抱く資格なんてないのに）
　と考えている。でも、もう引き返すことができない。欲望に負けているのだ。
　唇を離し、龍次は訴える。
「先生、俺は、先生が欲しいです」
「ああ、亜里沙と言って！」
「はい、あ、ありさ……。俺は、俺は。こんなんだけど、おまえのことが、死ぬほど好きなんだ」

　龍次は、亜里沙を抱えるようにして、ゆっくりと仰向けに寝かせつける。

　上から覆いかぶさるようにして、亜里沙のくちびるを奪い取る。

「龍次さん、苦しいわ」
　先生があえぐように言われる。
「ごめんなさい、亜里沙さんのことが欲しくて、欲しくて」
「わかっていたわ、龍次さんの気持ち」
「えっ？！」

　龍次はドキリとする。
（俺は、俺の気持ちを隠して来たのに、どうして、先生は…）

「わたし、龍次さんのこと、ずっと見ていたの。わたし、龍次さんのこと、好きだったから。そうすると、龍次さんが、わたしのこと、好きだということが、だんだんに、わかって来たの…」
「そうでしたか。自分では、隠そうと必死だったのに…」

「どうして？」
「だって、そうじゃないですか。俺は、安サラリーマンで、しかも、年取った中年で」

「お願い。ご自分のこと、そんなに蔑まないで」
「だって、それは、本当のことだから」

「わたしが、好きな人なのよ、あなたは。だから、だから、自分のこと、そんな風に言わないで。あなたがそんな風に自分のことを悪く言われると、わたしは、とても悲しいわ」
「……」

　龍次には、先生が悲しむという気持ちがわからない…。

「龍次さんには、わたしの気持ちがわからないのね」
「……」
　実際、龍次には、先生の気持ちがわからない。俺は、先生にとって、路傍の石にしか過ぎなく、先生を幸せにしてあげられる力がないのだから。そんな俺のことを、先生が好きになるはずがない…。

　龍次は、半身を起こしながら、薄闇の中で、先生を見下ろしていた。
　目を凝らして先生の目を見た。潤んでいる。先生は泣いているようだ。

「先生、泣いているのですか？」
「……」
　先生から返事はなかった。
　しかし、龍次には、先生が泣いているとしか思えなかった。

「先生は、ひょっとして、俺のために泣いているのですか？」
「……」
　先生から、返事はなかった。
　ただ、上半身が固まったように、じっと何かに耐え、天井のあたりを見ておられるように思えた。

「俺は、俺は、誰かを好きになる権利なんてなかったのに…」
「……」

「だけど、だけど、俺は、好きになってしまって。ごめんなさい、ごめんなさい」
　龍次は、上半身を起こし、座ったまま、泣いた。

（ああ、好きなだけでよかったのに。片想いのままで、よかったのに。どうして、こんなことに…）
　龍次の目から熱いものが溢れ出る。

　と、先生も、起き上がってこられたような気配がした。

「どうしたの、龍次さん」
「ごめんなさい。あなたのこと、好きになる資格なんてない俺が、あなたのこと、好きになってしまって。本当にごめんなさい」

「あなた、本当に、わたしのこと、好きなの」
「わからない、わからない。先生、わかってください。俺は、どうしていいか、わからないんです。先生のこと、愛しているわけでもない。慶太君の将来のこと、考えているわけでもない。ただ、先生のことが好きで。そして、その好きになる気持ちを、俺は、どうしても、捨て切れなかった…」

　龍次は、自分の唇に、誰かのくちびるが触れて来るのがわかった。そのくちびるは濡れていて、ひどくやわらかく熱かった。
　しかも、その誰かの頬は、濡れている。

　龍次は、自分の頬も濡れているのがわかった。
　
　濡れた頬同士をくっつけ合いながら、ふたりは、互いのくちびるをむさぼり合っていた。

「先生、好きです、大好きです」
「龍次さん、わたしもよ。わたしもあなたのこと、大好きよ」

　龍次は、ふたたび、荒々しく、亜里沙を布団の上に寝かせつけながら、亜里沙のくちびるを塞ぎ、奪っていた。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（つづく）