３　妹みたいに可愛い女

　眞司は、真衣を見た。
　目は閉じられていて、前に突き出したような、くちびるが濡れている。

　と、眞司は、股間がひどく熱くなっているのに気がついた。

（早く離れないことには、ヤバいことになる）
　しかし、そういう思いとは裏腹に、下半身はくっついたまま、離れたがらないのだ。

『この女が、俺のからだに巻きつけている手を解けばいいのだ』
『やるべきことは、簡単なはずだ』
　理性がそう囁いているのを、眞司は気づいている。
　しかし、今の眞司には、その簡単なことができないでいた。

　しかも、この女は、自分の顔を、やや上に持ち上げながら、目を閉じている。俺には、どうしても、求めている、という風にしか見えないのだ。
　眞司は、その、うっとりとした真衣の顔を見ているだけで、股間のモノが、ビックンと頭をもたげる。
　眞司は、目を閉じた。
（この女のセクシーな顔は、今は、禁物だ…）

　やわらかな、真衣のくちびるに触れたいという気持ちは、さほど強くはない。
　しかし、無防備に、からだをあずけてくる、無邪気な彼女の心に、少しは答えたいという気持ちがある。
　眞司は、本能的に、真衣のからだを引き寄せていた。そして、呻くような声を発したかと思うと、真衣のくちびるを、おのれのもので塞いでいた。

　真衣は、しっかりと目を閉じていた。
　しかし、なつかしい彼氏の匂いに包まれ、不思議なことには、目の前には、バラの花が一杯に咲き誇っている庭園の風景が見えるのだった。
（あの頃の時間が、戻って来て欲しい…）
　真衣は、今度は、彼氏を逃すまいと、しっかりと彼氏のからだにしがみついた。

　彼氏の胸の鼓動が伝わって来る。
　そして、真衣のからだも、熱くなった。
　太腿に、硬いものが感じられる。
　しかも、それは、まるで、心臓にも似て、ドクドクと息づき、真衣に、やや、くすぐったい感じを伴った快感を呼び起こす。

　真衣は、丘の一番高みをめざしていた。
　が、せっかくだったのに…。彼は、急に身を引き…。そして、甘い唇を離してしまった。
　そして、甘い吐息が耳元でした。

「ごめん、ごめんなさい」
　彼氏、いや、彼の声だった。

「どうしたの？」
　真衣は、身を離し、そっと彼に尋ねる。
　彼の顔は、真っ赤に染まっていた。

「すまない。暴発してしまって…」
　情けなさそうな、彼の声が耳元を刺激する。

「何？、どうしたの？」
　真衣は、自分が高みに登りつめようと、夢中になっていたせいか、彼の身に起こったことが、わからないでいた。

「ごめん、射精してしまったんだ」
　彼は、申し訳なさそうに、視線を落とし、頭を下げていた。

　真衣は、なぜか、赤面していた。
　真衣は、自分が興奮し、反って、そのことで、彼をも興奮させてしまったのかもしれない、と思った。
　真衣は、肩を落としている彼を、慰めるように言った。
「わたし、どうしたらいいかしら？」

　眞司は、顔を伏せたまま、言った。
「ごめん。パンツの中に、精液を出してしまったんだ。トイレを使わせてくれない？」

「いいわ」
　真衣は、手を引いて、案内してくれた。
　ドアを開く。
　そこには、トイレがあり、横には、アコーディオン・カーテンが引いてあった。そのカーテンの向こう側には、バス・ルームがあるにちがいない。

「さぁ、どうぞ。遠慮しなくて、いいわ」
　真衣は、中に入るよう、うながした。

　眞司が入る。後から、真衣も入って来る。
　ふたりもいっぺんに入ると、狭い。
　しかし、アコーディオン・カーテンが開けられると、広い空間が現われた。

「さあ、脱ぎなさい。洗って、乾燥機に、かけなくっちゃ」
「いいよ」

「よくないわよ。あなた、ズボンだけ穿いたままで、外を歩けるの？」
「多少のことは、がまんしなくっちゃ…」

「だめだめ、だめよ」
「……」

　狭いところで、真衣と押し問答していると、また、変な気分になりそうだ。
　眞司は、やぶれかぶれで、スボンを脱いだ。トランクスを見る。内側には、びっしょりと精液がついていて、それが、布地を通して、外側にまで、滲み出ていた。
　眞司は、恥ずかしくて、倒れそうだった。

　が、勇気を奮い起こして、トランクスを脱ぎ、それを洗面台の中に入れ、そばにあったハンド・ソープを落とし入れて、水を流しながら、自分でもみ洗いをした。彼女には、絶対にトランクスを触れさせてはいけないと、すばやく…。

「そこも拭いたら？」
　真衣の声がした。
　真衣の視線を、股間に感じる。
　下を見る。
　ペニスの先にも、何やら白い液状のものが、くっついている。
「ああ…」
　眞司は、そう言いながら、トイレットペーパーを切り取り、くちゃくちゃと手で揉み、紙の質を柔らかくして、それでもって、ペニスの先っぽを、きれいに、ぬぐった。

　眞司は、真衣が逃げないのが嫌だったけれども、『あっちに行けよ』という命令文が言えず、ハンド・ソープのついたトランクスを水洗いしている。それでも、照れ隠しに、そばの真衣に聞いた。
「乾くまで、何分くらいかかるかな？」

「そうね、わたしのところの乾燥機だと、３０分はかかりそうね」
　真衣が言った。

「そんなに…」
　眞司は不服そうに言う。
「それぐらいは、かかるわよ」
　真衣は、眞司の手から、絞ったトランクスを奪い取り、バス・ルームを出て行った。
　眞司は、ホッとする。やっと、一人にしてもらえたから…。

　もっとも、眞司は、部屋に戻って行っても、身の置き所がないことを知っていた。
　それでスボンを穿いてからも、ためいきを吐き、バスタブの縁に腰を降ろし、（ああ、あいつに、ぶざまなところ、見られちゃったな）と思いながら、頭を抱え込んだ。

　しかし、いつまでも、バス・ルームに居るわけにも行かない。
　何だか、蒸し暑く、空気の流れが悪く感じられるのだ。
　眞司は、換気扇を回した。

　でも、眞司は、ここを出て行く決意をした。
　部屋に戻る。
　が、真衣は居なかった。
（あいつ、どこに行ったんだろう？）

　窓の外を見た。
　ベランダの物干し竿に、自分のトランクスが掛けてある。
（乾燥機が、故障しているんだろうか？）

　と、そばに彼女の机があった。
　机の上は、きちんと整理されている。
　そして、写真があった。きちんとフレームに入れられて、机の上に立てかけられている。
　何か、高校生みたいな…。
（ひょっとして、彼女の弟さんかな？）
　それにしても、ハンサムだ。
　弟にしても、ちょっと、焼ける…。

「どうしたの？」
　彼女の声だ。彼女が帰って来たらしい。

　眞司は、あわてて机の上の写真から目をそらし、玄関の方を振り向く。

「トランクス、買って来てあげたよ。コンビニで」
　明るい彼女の声だ。
「ああ、ありがとう」
　眞司は、救われたような気になって、素直に頭を下げた。

　フルチンで帰るつもりだった。
（そんなにまでしなくてもよいのに）と眞司は思うが、うれしい。

　真衣から、品物を受け取りながら、眞司は言う。
「じゃ、また、トイレ、借りるね」

「そんな狭いところに入らなくても、ここで穿いたら？」
　真衣が、真面目な顔をして言う。

　眞司は、固まっている。
　だって、夜道なのに、わざわざ出かけて、買って来てくれたのだ、彼女が。その彼女の言うことなら、聞くべきではないのか。が、それにしても、恥ずかしい。眞司は、トランクスの入ったビニール袋を手にしたまま、突っ立っている。

「冗談よ、冗談だわよ」
　真衣が笑っている。
　その笑顔に釣られて、眞司は、呪縛から解き放たれ、からだが自由になった。
「なんだ、冗談か…」
　眞司は、テレながら、でも、ちょっと、うれしそうに、トイレに向かった。

　真衣は、赤くなっている。
　思い出しているのだ。
　彼が一生懸命、汚れたトランクスを洗っている時、垣間見られた、彼の股間に揺れる、ペニスとテスティクルズ（睾丸）を。

　幼い頃、父親と一緒にお風呂に入ったことはあるのだろうが、父親のそれを思い出すことはできない。
（意外に、かわいいものだったわ。ペニスの先っぽは、明らかにピンク色をしていたわ。決して、グロテスクじゃなかった。だけど、テスティクルズの袋にも、ヘアが生えているんだね…）

「ありがとう」
　真衣の背後で、彼の声がした。
　なぜか、真衣は、振り向けないでいる。
　
　真衣は、後ろで、彼が困った顔をしながら、突っ立っているのを感じている。

「オレ…」
　気弱そうな彼の声がする。

「なに…？」
　真衣は、彼氏に背を向けたまま聞いている。

「そろそろ、オレ、帰らなくっちゃ」
「乾いてないよ、まだ…」

　眞司は、困っている。
　確かに、『今度の英語の授業のとき、持って来てくれよ』なんて、頼めるわけがない。あんな、汚れたトランクスを、彼女のきれいなバッグには、入れさせられない…。

「乾燥機、故障してるんだ」
「そうよ」

「じゃ、ドライヤー、ない？」
「そんなもの、使うの？」

　彼女が振り向いた。

（スッゲェ、かわいい）
　眞司は、言葉を失う。
　が、頭を働かせてはいる。
（髪の毛を乾かすものと、下着を乾かすものとは、そんなにちがうものなんだろうか？）

「こう、風が出るところを、かなり、離してさ。で、やれば、トランクスに当たらないし、君のドライヤーも汚れることはないと思うけど…」

（こいつは、馬鹿か）と真衣は思う。
「じゃ、やってみたら、ドライヤー、貸してあげるから」
　と、彼に答える。

「すまない」
　彼は、本当に、申し訳なさそうな顔をしている。

　しかたがない。真衣は、ドライヤーを出した。

（えっ、なんだ、こりゃ…）
　眞司は、手渡されたドライヤーを見て、驚く。
　先っぽに、ヘアブラシがついているのだ。これじゃ、暖かい空気を送るのは、むずかしいじゃないか。

「どうしたの？」
「送気口がない」
「そのヘアブラシ、取り外せるよ」
「ああ、そうなの」

　眞司は、ヘアブラシを、少し、ひねりながら、先っぽから取り外した。送気口が出て来た。直径で、３．５センチはある。ここから出る温風を当てれば、トランクスも乾くにちがいない。

　トランクスを竿から取り外す。
　彼女に、きたない、濡れたトランクスを見られないよう、彼女には、背を向けて、ドライヤーをかける。

　と、眞司は、手のしたクランクスを、ひったくられていた、彼女に。
　見ると、彼女は、そのトランクスを、洗濯機の上に取り付けられた乾燥機の中に、放り込んでいるではないか。そして、しかも、そのスイッチを押すと、なんと、乾燥機の中のドラムが回るではないか…。

（えっ、いつ、直したんだ、あいつは？）
　眞司は、彼女の手際の良さに、驚いていた…。

「３０分もあれば、いけるよね」
　眞司は、明るい声で、そう、真衣に言った。

　真衣は、膝をかかえ、絨毯の上に座っていた。
（３０分経ったら、あいつ、意気揚々として、帰るんだろうな）
　真衣は、癪（しゃく）にさわっている。わざと、彼を無視することにした。

　眞司は、乾燥機が回っているのを見ていた。
　速く乾かないかな、と思って…。
　しかし、時々、彼女の背中が目の端に入って来た。
　ほっそりとしていて、すごくセクシーな肩だった。ちょっと、右手でも、その肩の上に載せてみたい感じがする。しかし、トイレを借りたり、下着を買って来てもらったり、大事なドライヤーを借りたりしたのだ。これ以上、借りをつくるわけにはいかない。

　と、机の上の写真のことが思い出された。
　残念ながら、今、ここに座っていると、写真の中味までは見えない。

（弟なんだろうか？。それとも、恋人？）
　眞司は、考え込んでいる。
（しかし、弟の写真なんか、部屋に飾るだろうか？）

『やはり、恋人か…』
　眞司は、そう結論づけた。
　が、ひどく悲しい気がする。

『なぜだろう？』、『ひょっとしたら、オレはこの子に惚れたのかも？』
　眞司は自問自答していた…。

　真衣は、膝を抱えながら、彼のことを考えていた。
　まっすぐ見つめると、彼は、自分の目を、宙に泳がせるのだ。
　いや、目だけではない、変化するのは…。
　見つめると、彼は、からだ全体を膠着させたかのように、固まるのだ。まるで、パソコンがフリーズしたみたいに。

（おもしろい人…）
　真衣は、心の中で、ちょっと笑った。
（あいつ、わたしが笑いかけると、顔の筋肉をヒクヒクさせる…）
　真衣は、ハッとして、背筋を伸ばした。
（あいつ、ひょっとして、わたしのこと、好きかも？）

　それから、真衣は思った。
（あいつ、わたしのこと、好きなんだ。だったら、失敗したまま、帰したら、もう、彼は自信を失くして、わたしに、近寄らなくなるかも…）

　真衣は、振り向いた。
　と、彼と目が合った。
　彼は、すぐに目を逸らした。
　彼の目の中で、赤い色をした、羞恥心のような光が、よぎったような気がした。

　真衣は、確かめたくなった。
「あなた、机の上の写真、見たでしょう」
「……」

　彼から返事はない。
　真衣は、彼の白い顔が、ほんのりとピンク色に染まっていくのを、見た。
　やっぱり、彼は、あの写真を見たのだ。

　真衣は、咄嗟に言った。
「好きなの、彼のこと、わたしは…」

「えっ！」
　彼が、素っ頓狂な声を挙げる。顔をさらに赤らめ、顔を伏せた。

　真衣は、目の前の彼を、穴のあくほど見ていた。
　彼は、がっくりと肩を落としていた。
　彼が、かわいそうになる。

　真衣は、絨毯の上に手をつき、膝ごと前に進む。
　彼のそばにまで来た。
「ねぇ、焼き餅を焼いたの？」

　と、彼が、目を挙げた。
　きれいな目だった。

「そんな馬鹿なこと、ねぇだろう！」
　険しい目つきをして、彼が言葉を吐き出している。

　真衣は、心が震える。彼のことが怖くてではない。
（ひょっとして、彼は、わたしのこと…）
　真衣は、その後の言葉が、言い出せないでいる。

「おまえは、かわいいし、その上、セクシーだから、いっぱいボーイフレンドがいるんだろう。オレなんか、ワン・ノブ・ゼムにもなれやしない…」

　真衣は、目の前の彼が言っている意味がわからないでいた。
　が、何か言わないといけないと思った。
「それで、あなたは、わたしのワン・ノブ・ゼムになりたいわけ？」

　眞司は、呆けた顔で、真衣を見つめていた。
（こいつ、こんなオレでも、ボーイフレンドの一員にしてくれるんだろうか？）

　眞司が、じっと見つめていると、彼女の目に、恥ずかしそうなものが浮かんでいるのに気づいた。
（ひょっとしたら、脈があるかも…）
　と、眞司は思った。
　それで、眞司は、勇気を奮い起こそうとしていた。
（彼女の前で、あんな大失態を演じてしまったのだ。この際、恥の上塗りをした、って、どうって、ことないさ）
　眞司は、おなかの下に力を込めた。
「なりたい…」

　真衣は、あきれていた。
（なんで、こいつ、『俺は、君の、オンリー・ワンでなくっちゃ、だめだ』と言わないの…）
　真衣は、がっかりして、目を伏せた。

　眞司は、真衣から返事がなく、気落ちしていた。
（やっぱり、ワン・ノブ・ゼムにも、なれないのか？）

　眞司は、フラれていた。
　それなのに、なぜか、彼女のそばに、にじり寄っていた。
　彼女の肩に、そっと手を置く。
「オレ、やっぱり、あきらめるよ、おまえのこと」

　と、彼女が、顔を上げ、キッと眞司をにらんだ。
「なんで、すぐに、あきらめるの！？」
　
　眞司は、彼女の視線の奥に、何かキラリと光ったものを感じ、ドキッとした。いや、胸の中に、一縷の望みが湧き上がってくるのを感じた。

「いいのか、あきらめなくて…」
　眞司は、彼女の肩先に置いた手に力を込めて言った。

　彼女は、『うん』とばかり、頷いた。

　眞司は、うれしかった。もう、後先のことは考えられない。彼女の濡れたくちびるだけを見ていた。そして、そのくちびるに、自分の唇を重ねたいと思った。すると、今まで、股間の中で、臆病に隠れていたものが、急に頭をもたげてきた。

（今は、前に行くしかない）
　眞司は、もうひとりの自分がそう囁くのを聞き、まるで、ひとりで合点したかのように、頭を縦に振っていた。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（つづく）