| １１（＝最終話） 好きなのはお紺、それともセックス？ 「あんたの行動はお見通しなのよ」 お紺の言葉に、祐介はカァーッとなる。 「何で、来なかったんだ！」 祐介は思わず、大きな声を出していた。 そして、自分の顔が真っ赤になっているのがわかった。 「ごめんなさい。ちょっと用事ができたものだから…」 気にはしているのか、お紺の目に、反省の色は見える。 しかし、祐介の怒りは、おさまらない。 「そんな言い訳なんか、するな！」 「ごめんなさい」 お紺が頭をちょっと下げた。 しかし、何と言う、愁傷そうな声を出すんだ、と祐介は内心、感心している。 祐介は、女に腕を取られている。 「ここじゃなくて、松前に行きましょうよ」 女が男の腕をゆすりながら、誘っている。 「今日は、おまえなんかと何も話したくない」 祐介は、そっぽを向く。 が、そんなことを言いながらも、お紺の、良い体臭の匂いが鼻の穴から入って来て、何やら気持ちが動揺している。それに、お紺の姿が見られただけで、心のどこかで、ひどく安心してしまっているところもある。やはり、牛鍋屋で待っているとき、（お紺のやつ、からだの加減でも悪くしたんじゃあるまいか）と心配していたことも事実だったのだから。 祐介は、お紺の方を見ないようにしている。 「わたしじゃだめなの？」 お紺が、真剣そうに、純情そうに、自分を見ているように、祐介には思える。 （演技だ、演技に決まっている。騙されてたまるもんか） 祐介は、しかし、女にゆすられている腕を引き離そうとはしない。 と、女が男の腕を取ったまま、歩き出そうとした。 祐介は踏みとどまろうとしたが、女の力はけっこう強く、引きずられている。そして、とうとう、女に引っ張られながら、女の後に付き従っている始末だった。 ふたりは、車の滞留所に着く。 幸いというか、一台、車が空いていた。 それで、その人力車に乗る。 女は、片手を祐介の膝の上に置いている。 その手のぬくもりがいい。 祐介は、愚かにも、その女の手の上に、自分の手を重ねていた。 女の手は柔らかい。つい、会いたかったという心情が漏れ出る。 「でもさ、連絡ぐらい、くれればいいのに…」 という祐介の声は、もはや、女を責めている口調では決してない。 明らかに、女に甘えている声であった。 「ごめんなさい」 「これでも、俺は心配していたんだぞ。何か、事故にでも遭ったんじゃないか、と」 祐介はそう言いながらも、（なんで、こんな約束も果たせないような女に、俺は惚れているんだろう？）と思う。 自分が悲しいのだ。そして、情けない。だからこそ、この馬鹿な女にだって甘えたいのだろう…。 「俺が、あの店で、どんな気持ちで待っていたか、おまえにはわからないだろう」 祐介は、自分が捨て台詞をしゃべっているようなのだが、どこかで女に取りすがって甘えているように思えた。 祐介は、お紺と、『松前』という妓楼に上がった。 お紺が、部屋の予約や料理の注文などをやってくれる。 こんな時、お紺はひどく手際がいいのだ。 だから、逢引（＝デイト）をすっぽかされるなんて、考えられもしない。 結局のところ、お紺には、普通の女以上に優れているところと、普通の女以上に欠けているところとが、あるのかもしれない…。 普通の女以上に欠けているところといえば…。 それは、例えば、お客との約束、そして卸問屋との約束を守れないこと。 大切な相手との大事な約束を平気で破る、それでは呉服問屋の女主人の立場は保てないだろう。 （やはり、この女は、俺の遊び相手でしかないのか…） 祐介は、盃を空けて、その盃を女に渡す。 そして、その盃にお酒を注いでやった。 （所詮、俺には、こんな優しさしか、この女には示してやれないのだ…） 祐介は悲しかった。 「ねぇ、どうしたの？」 お紺が聞いてくる。 お紺にすれば、無口な祐介のことが気になるのだろうか？。 「いや、何でもない。ただ、やはり、おまえにとって大切なのは、子どもなんだな、と思ってね」 「しようがないでしょ」 「まぁな。ただ、相手がお前の子どもでよかったよ」 「それは、どういう意味なの？」 お紺が口を尖がらせている。 「来なかった理由が、おまえが好きな男と遭っていた、ということでなくて、よかった、という意味さ」 「あなた、やきもちを焼いているの？」 「そんなことはない」 祐介は照れている。 「わたしの好きな人は、あなただけよ」 お紺の言葉に、祐介は目を丸くしている。 （まさか？、こいつが俺に惚れているなんて、ありえない、ありえない。こんな女の甘い言葉で、いつも、俺は騙されている…） 祐介は、自分で自分の盃に酒を注ぎ、それを飲み干す。 「信じなさいよ」 お紺が追い討ちをかけるように言っている。 祐介は、顔が上げられないでいた。 照れ隠しに言う。 「俺には、何の取り得もないからな」 「そんなことはないわ」 「……」 「あなたは、優しいもの…」 「……」 「だって、活動写真をすっぽかしたのに、怒らなくて。人力車では手をにぎってくれたもの…」 お紺の声はいかにも殊勝らしい。が、祐介は図に乗るまいと思っている。自制心が働いているのだ。 （この女には、裏表があるからな。一概には信じられない…） それでも、祐介は女の心を推し量るように、女の目を覗き込む。 きれいな目だった。 それにともかく、この女の顔は、きれいだ。 色が白く、目鼻立ちが整っているのだ。 （俺は、結局、この女の外見に惚れている…） 祐介は突然言った。 「いや、俺は心が優しいんじゃない。おまえの顔に惚れているだけだ」 「何よ、それ？」 お紺は機嫌がわるそうだ。 お紺にすれば、わざわざ男に惚れている、と言ってやっているのに、その男が喜ばないからだろうか？。 が、祐介は正直に言うしかない。 「おまえがブスなら、おれが優しいわけがないだろう」 女は黙っている。 祐介は言い募る。 「所詮、男は、かわいい女にしか目がないんだ。そして、そのかわいい女とヤルことだけしか考えていないんだ。そして、女にヤラセてもらうために、その女に優しくするだけなんだから…」 女が口を開いている。 「じゃあ、男ってみんな、ヤッテしまったら、もうその女には優しくしなくなる、ってこと？」 「まぁ、そんなところかもしれないな」 「そんなの寂しすぎるよ」 お紺は抗議しているみたいだった。 お紺にすれば、アレをやった後も、男にはやさしくされたいみたいだ。 （こんな商売をしているんだ、この女は。男にそんな純情を求めてもしようがないと、もう、とっくにあきらめている、と思っていたが…） 祐介はそんなことを考えながら、目の前の女がスレているのか、スレていない（＝純情な）のか、よくわからなくなっていた。 が、祐介には自分のことなら、多少はわかる。 （自分は、女が好きで、アレが好きなんだ。この女は色気のある女だ。だからこの女が好きなんだ。別に、女房にしようというわけじゃない） 所詮、こんな妓楼に上がって、まともなことになるわけがない。結局、遊びごとなんだ。世間一般の常識と、遊びの世界の常識とは、まるっきり違うんだから。 祐介は、自分がまるで恋する役者になっているような気がした。 そうなのだ、この目の前にいる女だって、役者なんだ。俺みたいな男に惚れるわけがないだろう。ただ、惚れている演技をしているだけなんだ。 「お紺、酒はもういいよ。それより、隣りの部屋で、しっぽりと濡れようじゃないか」 祐介は、自分が、芝居がかったセリフを言っているような気がした。 居直っている、祐介は。 酒席を勝手に立ち、隣りの部屋に行く。 そして、布団の中に入った。 仰向けに寝る。 目を閉じた。 （長い一日だったなぁ） と思う。 確かに、牛鍋屋でお紺を待っているとき、（この懐中時計は、針が止まっているのではないか）と思われたものだった。 「ねぇ、本当に、やらなくちゃいけないの？。わたし、やりたくないわ」 祐介は目を開けた。 見上げると、そばにお紺がいる。 （何ということだ、この女、床入りの準備もしていない！。俺もなめられたもんだ） 祐介は、寝たまま、からだをよじり、お紺に背を向けた。 ふて腐れている。 （この期に及んで、何たる優柔不断な女か！） 「もうおまえなんか、知らん。帰れ！」 横になったまま、祐介は、そう叫んでいた。 朝早くから目覚め、散髪屋に行っても、そわそわし、牛鍋屋で待たされ、ほとほと疲れていた。目を瞑る。背中で、戸の閉る音がし、お紺が出て行ったような気配がしたが、祐介は、むしろ、ホッとしたような気持ちになった。 祐介は、ふと目覚めた。 部屋が暗い。 まだ夜中みたいな気がした。 横向きに寝ていた。仰向けになろうと、寝返りを打つ。と、何かが右の肩先に触れ、それが邪魔になって、仰向けになれない。 が、暗くてよくは見えないが、それは布団というか、物ではなく、人間のからだみたいな気がした。 その人間の頭のようなものに、祐介はおのれの顔を近づけてみる。 鼻の中に、髪につける、びん付け油の匂いがして来た。 よくよく嗅いでみれば、それは、芸者たちがつける油の匂いであり、しかも、その油の匂いは、どこかで記憶があるのだった。 （そうだ、この匂いは、お紺のものだ！） そういう思いに至ったとき、なぜか、股間のモノがビクンと頭をもたげていた。 祐介が思うに、お紺のやつ、どこか座敷に上がり、そこが終わったものだから、また、ここに引き返して来たものらしい。 最初、この部屋に入って来た時、お紺のやつは、『わたし、やりたくないわ』などと言っていたが、それは、どうやら、俺のことがきらいではなく、別の座敷に行かなくてはならない用事があったのやもしれない…。 （俺は、こいつに、きらわれてはいない） そう思うと、祐介はうれしかった。 がしかし、すぐに、 （そうはいっても、こいつ、二股をかけやがったんだ） と思い、腹が立つ。 で、祐介は、また、寝返りを打ち、お紺の方に、背中を向けて目をつむった。 （なんて、この女はずるがしこいのだろう。こっちも立てるが、あっちも立てる。所詮、こいつの目的は、銭もうけなんだ。むろん、一人の男に貢ぐためではなかろう。たぶん、田舎の両親に預けているという、二人のわが子の養育費のためであろうが…） 祐介は、お紺をして、二人のわが子を忘れさせるほどに、俺を惚れさせる魅力がないことはわかっていた。 いや、何よりも、お紺のほか、お紺とかつての亭主との間にできた子の養育まで、おのれに責任が取れないということを、重々、承知していた。 祐介は自由でありたかった。 一人の女に縛られたくなかった。 たとえば、仮に、お紺のやつを嫁に迎えたとしたら、もう、芸者遊びはできなくなるだろう。それでは、生きる楽しみがない…。 祐介は、背中を向けてはいるが、そばに寝ている女に、心の中で、そっと、さようならを言った。 すると、なぜか、ホッとして、眠気が襲ってきた。 祐介は目覚めた。 寝返りを打つ。 女の背中が見えた。 部屋は、暗くはなかったのだ。 もう朝らしい。 祐介は、女を起こさないよう、そっと、布団の中を出た。 そして、身づくろいをして、部屋を出る。 襖を閉め、障子戸を閉めて、廊下に出る。 そこで、はじめて、祐介は背伸びをした。 そして、勝手を知っている妓楼の洗面場に行って、顔を洗った。 祐介は、妓楼の長い階段を降り、もう玄関先に着いていた。 「だんなさま、おはようございます」 見ると、下足番の源じいであった。 「おお、おはよう」 祐介は、声を掛ける。 「源じい、いつも早いのぉ、ごくろうさん」 「どうなさいました、まだ、早ようございますのに…」 源じいが、不審そうに尋ねる。 「いや、わしの店で、今日は展示会があってのぉ。早く店に戻らねばならぬのだ」 「そうでございましたか。では、お気をつけなさってくださいませ…」 「ああ、ありがとう。そうだ、源じい。もし、お紺のやつが、俺のことを聞いてきたら、『何やら用事がおありとかで、早々にお帰りになりました』と言っておいてくれないか？」 「はい、ようございますよ。でも、お紺さまに、何か、他にもお伝えすることはございませんか？」 「そうだな」 祐介は少し考え込んだ。 もう、会いには来ないかもしれない…。 しかし、そんなことは、この源じいには関係のないことだ…。 それで、祐介は、源じいに言った。 「そうだな。また、近いうちに会いに来る、と、お紺には、伝えてもらえないだろうか？」 「はい、承知をいたしました」 源じいが頭を下げている。 「源じい、そちも達者でな」 祐介がそう言うと、源じいがちょっと小首を傾げた。 が、それにかまわず、祐介は踝を返し、妓楼を離れ、大通りへと向かって歩きはじめていた。 （おわり） |
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| 2011.9.4掲載 |
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