| ７ お紺と離れられない祐介 女が泣いている。 （こまったことになったなぁ…） しかし、祐介は、まんざらでもない顔をしている。 下目使いに、良江を見る。 良江は、肩をふるわせながら泣いているのだ。 （何でもない男にすがって、女が泣くであろうか？） 祐介は、自分がけっこうモテていると思い、やに下がっている。 （お紺のやつ、今頃、外国の男と、いちゃついているんだろう。とすれば、今夜は、この女と…） 祐介は、そう思いながら、ぐっと力を込めて、女のからだを引き寄せる。 と、祐介の耳に、ささやかながらも何かを引く音がした。 （襖の開いた音かな？） 祐介が後ろを振り向く。 目を吊り上げた女が立っていた。 怒った顔だ。 般若というか、鬼のような、怖い顔だった。 『えっ！、ひょっとして、この女は、お紺なのか？』 祐介が、そう思った瞬間、本能的に、正面に向いて抱いている女を、邪険に突き放し、再びからだを後ろ向きにしながら、立ち上がる。 立ち去っていく女の背中に、祐介は、言葉を投げつけている。 「おまえが、外国人と仲良くしてるからだ！」 祐介は、その背中を向けた女が誰なのか、しかともわからず、怒鳴るように叫ぶ。 「待てよ、待て、と言っているだろうが」 「知らない！」 女は、振り向きもせず、廊下を先へ先へと進んでいく。 よせばいいのに、祐介は、女の後を追う。 なぜなら、さっき、ぷいと横を向いて、部屋から出て行こうとした女、それは、まぎれもなく、お紺だと気がついたからだ。 何しろ、この女、ずいぶんと待たせやがったのだ。悪態のひとつも吐かないことには、気がおさまらない、というものだ。 やっと、近くまで辿り着く。 「おい、待てよ」 女は、やや歩みを止める。が、振り向きもせず、そのまま、やはり前へ進みそうにする。 「おい、待てよ。さんざん、待たせやがって」 「……」 祐介は、女の肩に手を置いた。 「おまえ、なぁ、少しぐらい、あやまれよ。俺は、さんざん、待たされたんだからな」 女は、振り向かない。 で、祐介は、女の肩に置いた手に、力を込める。 「おい、あやまれよ」 「なんで、わたしが、あやまらなきゃならないのよ」 女が振り向く。 （ああ、やっぱり、お紺だった。よかった。それでも、こいつの顔を見られてよかった…） 祐介は、女の肩に置いた手を解き放つ。 女の正面に立っているので、もう女は逃げられない。 少し、後に下る。 が、祐介からは、きたない言葉が口を突いて出ていた。 「おまえなぁ、女将がおまえの部屋に行っただろうが。それで、おまえだって、俺が来ていることをわかっていたはずだ」 「それがどうしたのよ」 お紺の眉は、まだ釣り上がっている。 「俺が、こんなに待っているのに。おまえときたら、外国人と、いちゃいちゃ、しやぁがって」 「いちゃいちゃ、なんか、していないわよ」 「いや、したわさ」 「してないわよ」 「肩を抱かしてやっただろう」 「そんな。それぐらいなことは…」 「そうだろう、そうだろう、それが、いちゃいちゃ、したってことさ」 「そんな馬鹿な。あんた、ちょっと、おかしいんじゃない？」 「おかしくなんか、ないさ。俺は、本当に待っていたんだ。おまえに会いたくて、会いたくて…」 「……」 「待っているあいだ、すごく、つらくてさ。そうしたら、良江が来てくれて。俺を慰めてくれてさ」 「……」 「俺は、本当に、待っていたんだよ」 祐介は、涙ぐみそうになった。 （何としても、お紺のやつを、引き止めなくては…） 今の祐介には、恥も外聞もない。 ともかく、泣きすがってでも、この女を引き止めたい、この女と部屋を取り、酒でも酌み交わしたい、と思っていた。 お紺は、怒っている。 が、祐介の目には、色っぽい女と写っている。 （ここで、焼きもちを焼くのは、まずい） 祐介は、それで、自分の想いを込めて、お紺の目を見つめることにする。 祐介がじっと、お紺の目を見る。 すると、お紺の目に、戸惑いが見えはじめる。 （ここで、誤解を解いておかねばならない） と、祐介は思い、弁解であろうと何であろうと構わぬ、と思い定める。 「さっきは、わるかった。ただ、良江から離婚したと聞いて、慰めていたんだ。かわいそうだと思ってね、ほんのわずかだったんだもの…」 祐介は、そう言いながら、ちょっと、恥ずかしかった。 なぜなら、お紺がやって来なかったら、良江を口説き、今夜は、良江と寝ようかな、と思っていたからだった。 お紺は、顔を俯けている。 まだ、すねているように思えた。 もう少し、真剣に口説かなくては、お紺に、逃げられると思った。 「良江の愚痴を聞いていただけさ。心の中では、君のことを想っていて。早く、来てくれないかと、そればっかり思っていたんだ…」 「……」 お紺は、逃げない。 その場に突っ立ったままだ。 （脈はありそうだ） 祐介は、勇気を振り絞る。 「会いたかったんだ、すごく…」 祐介は、半歩近づく。 そして、手を、お紺の肩先きに伸ばそうとしたが…。 「いやよ、わたし…」 お紺のまなざしに、まだ、すねたようなものを、祐介は感じ取る。 「愛しているんだ。俺がどんなにつらい思いをして、夕方から、君のことを待っていたか」 「……」 近づいているのに、お紺は逃げない。 祐介としたら、もう、お紺を逃がさぬように、と、それしか頭にないのだ。 「俺は、今日、叔父と叔母のところに行って。このあいだ、お見合いの席を無断でドタキャンしたことを、あやまりに行ったんだ。叔父には、こっぴどく叱られたけど。でも、君のことを想えば、それにも耐えることができて。叔父の家を出たら、本当に、君に会いたくなって。ずっと、ずっと、夕方まで、つらい時間を過ごしたんだよ」 「……」 祐介には、お紺の、きつい目つきが、ちょっと、ゆるんだように思えた。 「会いたかった。でも、こうして会えて、よかった。ともかく、僕の部屋に来てくれて、ありがとう。うれしかったよ」 「……」 お紺が、顔を上げ、こっちの目を見ている。 とってもきれいな目だ。 祐介は、そっと、手を、お紺の肩先に置く。 「きれいだね。愛しているよ」 祐介は、お紺の目を見つめながら、言った。 お紺は、ちょっと、恥ずかしそうに、目を伏せた。 祐介も、恥ずかしそうに、もじもじしているお紺を見ていると、なぜか、こっちまで恥ずかしくなるようなのだ。 で、言葉が出ない。 本当は、『ふたりきりになれる部屋に行こうよ』と言いたいのだが。 でも、元の部屋には、戻れない。良江がいるのだから。 が、お紺なら、女将と交渉して、別の部屋を押さえてくれるだろう。その部屋に行って、お紺を力いっぱい抱き締め、そして、お紺のくちびるを早く吸いたい…。 お紺のからだから、いい匂いがしてくる。 祐介は、股間のモノが、元気づいてくるのを感じる。 （こいつが、お紺の、腿のあたりを、コツンコツンと叩かないうちに、早く口説かなくては、恥ずかしくって、立ってはおられんぞ…） 祐介は、女に勃起を悟られないよう、落ち着き払って言う。 「あのさ、あの部屋以外に、部屋を取れないかな、君の顔でさ」 お紺は、思案顔だった。 やはり、良江のことを心配しているのだろうか。 「わたし、やっと、からだが空いたの」 「そうか」 祐介は、うれしそうな声を挙げた。 「それに、今夜は、もう予約は入っていないし」 「そうかい、そうかい」 祐介は、顔を崩している。 「どこかへ、飲みに行きましょうか？」 「ああっ、いいね、いいね」 祐介は、得意満面。 （俺でも、こんな美人に、モテるんだ） 「わたし、ちょっと、良江ちゃんに、ことわって来るわ」 「すまないね」 祐介は、頭を掻く。 「じゃ、俺、玄関のところで、待ってるから」 ふたりで、妓楼を出た。 祐介は、どこでもよかったが…。 「江戸前寿司というのは、どう？」 と、一応、女に伺いを立てる。 「ねぇ、近くに、てんぷら屋があるの。そこへ行きましょう」 「ああ、いいよ」 祐介は、あまり食欲がない。 お紺は、煮えたぎった油壷に、金属の櫛に刺してある天麩羅の材料、むろん、その玉ねぎとか、サツマイモとか、シシトウとか、材料には、衣がつけてあるが、その材料を突っ込んで、揚げ具合を見て、引き上げ、塩やタレをつけて、食べている。 口を尖らしながら、アツアツの天麩羅を頬張っているお紺の口許を見つめながら、 （チーズ・フォンデュの日本版というか、天麩羅版なんだろうか？） などと、祐介は考えている。 が、その一方では、良江をあのまま、放って来たことが悔やまれるのかもしれない…。 本当は、お紺に、 『良江のやつ、どうしてた？。怒っていただろうね、やはり』 と訊きたかったのだ…。 が、訊けない。 その理由が、わからないのだ、祐介には。 しかし、祐介は、ここでは、お紺のことばかりを考えなくては、と思い直しはじめている。 「あなたもお食べなさいよ」 「ああ」 祐介は機嫌を直し、金串に刺してあるてんぷらの材料を手に取った。 祐介は、幸せだった。 こうして、好きな女と、一緒に居られるのだから。 が、お紺は、おなかが、もう、ふくれたらしく、所在なげに見えた。 祐介が推察するに、お紺は、もう、自分のうちに帰りたいのだろうか。 （こいつだって、疲れているのかもしれない。外人相手に、ずいぶんとテンションを上げて、しゃべくりまくったのだろうから…） が、祐介にすれば、何もしゃべらなくてもいい。こうしてお紺のそばに居られたら、それだけでいいのだ。 「さぁ、帰りましょうか」 お紺の言葉がした。 キュンと、祐介の胸に痛みが走る。 「ああ。君は、先に帰ったらいいよ。俺は、少し、ここでビールでも飲んで。それから、鮭茶漬けでも食べて、帰るからさ」 「あら、そうなの？」 「ああ」 「それでは、わたしは、ひとあし、お先に」 「ああ。本当に、遅くまで付き合ってくれて、ありがとう」 祐介は、頭を垂れさせた。 そして、寂しくて、悲しくなって、目に涙がにじんできたので、そのまま、顔を伏せたままにしておいた。 「お勘定は、どうしたらいいのかしら」 「馬鹿。俺が誘ったんだから、俺が払うさ」 祐介は、顔を伏せたまま、しゃべる。 涙のにじんだ目なんか、こいつに見られたくはない。 「なによ。わたしが帰るんだから、ちゃんと、顔を上げて、さようならと、言ってよ」 「馬鹿野郎！」 聞き分けの無い、お紺に腹が立った。 思わず、顔を上げる。 「何よ、その目。真っ赤よ！」 お紺が、びっくりして、目をひん剥いている。 「目にゴミが入ったのよ」 「あらっ、大変。目薬でも、もらってあげましょうか？」 「馬鹿野郎！」 「でも、このお店に、ちゃんと置いてあるかもしれないわよ」 「馬鹿野郎、こんな天麩羅屋に、そんな上等のもの、置いているか！」 「そりゃ、わかんないわよ、聞いてみなきゃ」 「わかる」 「わかんないわよ」 「そうさ、俺は、どうしていいか、わからないんだよ」 「……」 「おまえを引き止めていいものか、帰してやるべきなのか、わかんないんだよ」 「ふーん、あなたは、そんなにわたしのこと、大切に思っているんだ」 「馬鹿野郎。大事になんか思っていないよ。ただ、おまえと長く一緒に居たいだけさ」 「ふーん、そんなに、人を愛せるものなの？」 「別に、愛してなんか、いないよ。ただ、おまえが帰る、と言うもんだから、急に、悲しくなっただけで」 「ふーん。それで、どうしたいわけ？」 「まぁ、少し、ビールでも飲んで、酔っ払って。人力車でも、この店から呼んでもらってさ。そいで、家に帰るさ」 「大丈夫かしら？」 「大丈夫だよ。多少、酔っ払わないと、大番頭の爺やに、俺は、合わせる顔がないのよ」 「まぁ、甘ちゃんなのね」 「おお、そうなんだ、俺は、甘ちゃんなんだ。だから、俺なんか放っておいて、さぁ、あんたは帰りなよ。俺は、送って行ってやれないからさ。何なら、人力車を頼んでやろうか？」 「おあいにくさま。わたしは、ちゃんと、ひとりで帰れますから、心配しないで」 祐介は、お紺と遣り合っているうちに、目の中の涙が乾いてきたように思えた。 それで、勝手に自分だけ立ち上がり、お店の人に、ビールを頼んだ。そして、トイレに向かった。 （顔でも洗わなきゃ、涙が、目許に張り付いちゃって、気持ちわるいや） 祐介は、顔を洗い、顔を上げて、洗面台の鏡を見る。 何と言うことだ、目の中が赤くなっていて、目の周りの筋肉も腫れぼったい感じだ。 （もう、俺も、若くはないんだな） 洗面台に手をつき、からだをかがめる。 （ああ、どうすりゃ、いいんだ。男らしくなりたいのに、何という無様なことを…） すると、せっかく目を洗ったのに、新たな涙が出て来る。 また、顔を伏せて、顔を洗う。 （ああ、お紺のやつ、早く席を立って、ひとりで帰ってくれないかな。こんな不細工な顔、あいつに見られたくないや） と、祐介は思った。 （つづく） |
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| 2011.6.12掲載 |
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