| ８ お紺も俺のことが好きかも？ 祐介は、トイレから戻った。 『なんだ、こいつ、まだ、居るじゃないか！』 祐介は、てれ臭い。 （だいたい、嫌な客なら、この際だと思って、帰っているにちがいない…） 祐介は、元の席に座る。 （こいつは、ひょっとしたら、脈があるかもしれない。ここは、けんか腰にならず、下手に出た方がよさそうだ…） 「居てくれたんだね。うれしいよ」 祐介は、優しく言った。 何しろ、ここで帰られたら、寂しくてやりきれない。何とか、もう少し、この女に居てもらいたいというのが本音なのだから…。 「君がそばに居ると、何となく、気持ちが落ち着く。本当にありがとう」 テレながらも、祐介は言う。 と、お店の人が、ビールを持って来る。お盆を見ると、コップは２つあった。 「君は、もうやらないよね」 「ううん、少しだけならいいわ」 お紺がコップを取り、それをこちらに差し出している。 祐介は、お紺にビールを注いでやった。 そして、自分のコップにもビールを注ぐ。 「君は疲れているのに…」 「……」 「こうして付き合ってくれて、本当にありがとう」 「実は、わたし、今、月のもの（＝月のさわり）なの…」 「えっ！」 祐介は驚く。 が、何やらうれしくて、頬がゆるむ。 （そうか、そうだったのか！） 祐介は、相好を崩しながら、コップのビールをあおる。 「何よ、うれしそうに。こっちは気分、わるいのに…」 お紺がこっちをにらんでいる。 「ごめん、ごめん。そういうわけじゃないんだ。気に触ったら、ごめんよ。俺は、ただ…」 「ただ、何よ！」 お紺がしつこく追及して来る。 お手上げだ。 それで、祐介は自分の気持ちを、正直に言うしかなくなる。 「だって、生理ならさ、お相手ができないじゃないか」 「誰の？」 「だって、君は、さっきまで、ずっと、外国人の座敷に居たじゃないか。でも、生理じゃ、その人のお相手は、できなかったはずだからね」 「馬鹿！」 お紺の手が伸びて、祐介は、頭を叩かれていた。 （『痛い！』） 目から火花が飛び出たようだ。 が、不思議と、祐介は腹が立たない。むしろ、まともに自分に立ち向かってくれている、目の前の女に、感謝したいくらいなのだ。 （今、まともに、俺に向かってくれているのは、爺やと、このお紺だけだ。後の人間は、みんな、俺に愛想をつかしている…） 祐介は、叩かれたことがうれしく、素直にあやまる。 「ごめん。やきもちを焼いて。ひょっとして、外国人を相手に…」 「本当に、あなたって、馬鹿ねぇ」 お紺が、あきれたような顔をしている。 「ごめん、許して」 祐介としては、ひたすら、あやまるしかない。 もっとも、顔を伏せながら、うれしさを隠し切れないでいる。 （あいつ、今夜は、あの外人と、ヤッてはいなかったんだ！） 祐介は、顔を上げる。 そこには、疲れたような顔をした女がいた。 「送るよ」 「いいわよ」 「いや、送る。君は、とてもつかれたような顔をしている。ひとりでは帰させられない」 「……」 祐介は、サッと立ち上がり、店の人に人力車を頼んだ。 人力車に、お紺を先に乗せる。 お尻がキュンと引き締まって見える。 並んで座る。 照れくさい。 人力車を引く車夫の人は大変だろうに、と思いつつ、祐介は、右横をちらりと見る。お紺は、手を膝の上に置いていた。祐介は、お紺の左手に、自分の右手をそっと重ねる。恐る恐るだ。ゆっくりと。そして、ぴたりと上から重ね合わせる。お紺の手は動かない。横目でお紺の横顔を窺う。嫌がっている風な顔ではない。 祐介は、ホッとする。 自分の手ときたら、手の平が汗ばむ。そして、心臓の鼓動が高まる。すこし、手の平で、お紺の手の甲をさする。と、股間のモノに力がみなぎる。あわてて、手の動きを止め、そして、重ねていた手を、引っ込める。 （こいつは、今日は生理なんだ。そっとしておいてやらなくては…） 祐介は、両手を自分の両膝にきちんと置く。そして、正面を向いた。 人力車は、お紺の家の前に着いた。 祐介は、先に降りる。 車夫さんの力を借りることなく、お紺に手を差し伸べ、お紺の手を取って高い乗り台から地面に降ろしてやる。 「遅くまで、ごめんね。じゃ、僕は、これで」 祐介は、車夫さんの方を振り向き、『わたしの家まで、もうひとふんばりしてもらえないか』と言いかける。 と、祐介は袖を引っ張られる、すぐ横の人に。 見ると、お紺が、『だめよ、だめよ』と言わんばかりに、首を横に振っている。 祐介は、悟る。 「ああ、すまなかったねぇ。ここで、わたしも降りますよ。いくらになりますかね？」 そう言いながら、祐介は、人力車の御代を支払った。 祐介は、お紺のうちに入る。 ひょっとしたら、お茶でもごちそうしてくれるのかもしれないと、期待しながら。 「ねぇ、お風呂を沸かしてくれないかしら？」 「えっ？！」 祐介は、そんなこと、あまり、やったことがないのだ。 が、破れかぶれだ。この際、やるしかない。こうして、ふたり一緒に過ごせる時間を、お紺は作ってくれたのだから。嫌な客なら、サッサと、人力車に押し込み、送り出していたことだろう。 祐介は、また、いったん、外に出た。 そして、五右衛門風呂の焚き口のところに向かった。 祐介は、むかし、爺や（じいや）が風呂焚きをやっていた時のことを思い出していた。 （確か、松葉→松の小枝→薪の木というように、燃えやすいものから順番に、燃やして行っていたはずだ…） 松葉に火を点け、そして、その火を松の小枝に燃やしつける。 が、それから、なかなか、薪に火がつかない。 火吹き竹を使い、息を吹きかけても、炎が大きくならないのだ。 白い煙ばかりが出て来る。 煙が目に沁みる。そして、煙を吸い込んで、祐介は思わず、ゴホン、ゴホンと咳をしてしまう。 「あらあら、どうしたの」 お紺がそばにやって来た。 「ごめん、なかなか火がつかなくて」 祐介はあやまるしかない。 「だめよ、こんなにいっぱい、詰め込んじゃ」 「だって、たくさん入れれば、よく燃えると思ってさ」 「こんな風に、上下の間を空けてやって。すると、空気の通りがよくなるでしょ」 お紺が、長い小枝でもって、積み重ねた薪の木に隙間を作る。と、火が一気に燃え上がった。 「やった！。すごい、すごい」 「あなた、馬鹿ねぇ。こんなこともできないなんて！」 「家では、あまり、こういうこと、やりつけていないものだから…」 「まったく、あなたって、お坊ちゃんなんだから…」 祐介は、うずくまったまま、憂鬱になる。 （そうなんだ、こういう日常的なことが、何もできないんだ、俺ってやつは。でも、たぶん、小さい頃、からだが弱くて、家のことは何もさせてもらえなかったにちがいない…） 「どうしたの？」 黙っているので、お紺が聞いて来る。 「いや、何でもない。ただ、君の助けにならなくて…」 「まぁ、いいわよ、火が点いたんだから。さぁ、中に入りましょ。よく燃えているから、ここを少し離れても大丈夫よ」 「いや、僕はここで、待っているよ。この薪が燃え尽きたら、新しい薪をくべてあげるよ。ちゃんと、隙間を作りながら、薪を重ねて行くから大丈夫だよ」 「そこまでしなくていいのに…」 お紺は、焚き口を離れ、家の中に入って行った。 祐介は、火の勢いが落ちないよう、見張っている。 そして、むろん、薪も、少しずつ、火の中に、足していく。 と、頭の上の方から、湯の音がした。 が、祐介は、耳をふさぐ。 そして、頭の中で、数（かず）を数えはじめた。 何しろ、頭の上の方の、風呂おけの中に、お紺がつかっているのだ。まさか、襦袢をつけてではあるまい。はだかに決まっている。お紺のはだかを想像するだけで、股間のモノが猛々しくなるのだ。 （ひぃー、ふー、みぃー、よぉー、いつ、むぅー、なな、やぁー、ここのぉ、とぉー、・・・） しかし、時々、それが途切れる。 （あいつは、生理なんだから、今日はダメだからね…） 祐介は、スケベェな自分に言い聞かせている。 再び、 （ひぃー、ふー、みぃー、よぉー、いつ、むぅー、なな、やぁー、ここのぉ、とぉー、・・・） と、急に、湯の音がしなくなった。 （お紺のやつ、湯から上がったらしい） 祐介は、苦行から解放され、フーッとため息を吐いた。 が、祐介は迷っている。 （この火は、どうしたらいいのだろう？） このままにしておいたら、火事になりそうな気がする。 ともかく、お紺に、訊いてみなくては。 祐介が、立ち上がろうとする。 と、お紺が近寄って来る。 「あなた、そこで、何をしているのよ」 「だって、この火が危ないから、ちょっと、見張っていただけだよ」 「馬鹿ねぇ」 お紺が、そばまで、やって来た。 ぷーんと、何やら、いい匂いがする。 「ほら、こうして、少し、上に、灰をかけておくの。そうしたら空気も入らなくなって、しばらくしたら、火が消えていくわよ」 お紺がしゃがみ込んで、木の枝を使って、火のついた薪に、灰をかぶせている。 「はぁ、そういうものか…」 「まったく、あなたって、何も、知らないんだから」 祐介は、お紺に手を取られる。 が、祐介は、邪険に、お紺の手を振り払う。 「いいよ。俺は、もう大人なんだから、手なんか、つながなくても。家の玄関だって、すぐそばじゃないか…」 「だって…」 「それに、今日は、おまえのそばなんかに、寄りたくない…」 「どうしてよ」 「おまえのそばに行くと、オレ、発情しちゃうし…」 「まぁっ、あなたって、まったくのお坊ちゃんだわ」 祐介は、しかし、お紺の後から、家の玄関先に行く。 （さぁ、もう帰らなくては…） 祐介が、玄関先で、突っ立っていると、お紺が 「さぁ、お上がりなさいな」 と言う。 「もう、帰らなくては」 「お茶くらい、飲んで行きなさいよ」 「そうか…」 祐介は、実際、自分のことを情けないと思う。 なかなか、踏ん切り（ふんぎり）が、つかないのだ。 玄関先を上がり、卓袱台の前に座る。 祐介は、お紺に、お茶を入れてもらっていた。 （早く帰らないことには、お紺が、からだを休められない…） 祐介は、そう思うのだが、何とも、いい気分なのだ。 目の前には、好きな女がいる。そして、その女からは、いい匂いが立ち上っている。それに、お茶もおいしいのだ。 「この茶葉は、どこの産なんだろう？」 祐介が、聞くともなく聞く。 「そんなこと、どうでもいいでしょ」 お紺が怒ったように言う。 で、お紺の顔を、祐介はまじまじと見てしまっていた。 （こいつ、何で、怒っているんだ？） 祐介には、よく、わからない。 （早く、俺が帰らないからなのだろうか？。でも、さっき、俺が玄関先で『帰る』と言った時には、『上がれ』と、言ったはず。一体、どうなっているんだろう？） 「何か、しゃべってくれないかしら？」 お紺が、頬杖をつきながら、こっちを見ている。 祐介にとっては、それが、いかにも、色っぽい目つきに見える。 「別に、俺は、おまえと、こうしているだけでいいよ。何も、しゃべらなくても」 「馬鹿！」 祐介は、目を瞑り、急いで顔を下げつつ、手を頭の上に載せる。お紺に叩かれると思って。 「あっ、あ、はははは、はぁっ！」 見上げると、お紺のやつが、笑いころげていた…。 （なんで、こいつは、笑うんだ？） 祐介は、どうにも腑に落ちない。 （つづく） |
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| 2011.6.19掲載 |
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